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復活した幻の柚子酒

1.   一本の百年柚子

家の前に百年が経つ一本の柚子の木がある。
福島市東部、美しい里山が広がる山口は、昔からの農業が営まれる地域だ。
百年柚子はその田園を眼下に見下ろす高台にある。
家を囲むのは手入れが行き届いた美しい竹林、東南に開けた斜面にある柚子畑、かぼす、すだち、柿の木々、さらに奥の高台には、福島の市街地を一望できる畑が広がる。
安田家は、明治時代から百年以上続く農家である。
現在は、三代目の家長、和昭(71)、養(67)夫婦がさらに豊かな農に取り組んでいる。
冒頭の柚子の木は、二代目の和夫さんが子供の時、近所の手伝いのお礼に貰ってきて植えたものである。
最近の柚子は継木で、数年で実が成るが、昔の種から育てた『実生(みしょう)』と呼ばれる柚子は実るまで16年ほどかかる。
木だけが育っていつまでもならない木に業を煮やした初代和三郎さんが、「切ってしまえ」と木に刃物を入れた時、頭上から白い花びらが落ちてきて、切られるのを免れたと言う、謂れのある柚子の木である。

2.   百本の柚子

現在百本の柚子を栽培しているが、本格的に栽培を始める一本目のきっかけは、秋に長女が生まれた時に、花の時から香りが良く、実も美しい百年柚子が実っていた時期だったため、柚子を記念樹にと選んだからである。
翌年、百年柚子が大豊作となり二女が生まれた。
農家の将来を考えて、30年後柚子農家になれるように毎年少しずつ柚子の苗木を植え続けた。
植え始めて20年程で少しずつ実がつき始めた。
夫婦で力を合わせて懸命に農業に取り組んだ努力が実って、上質の作物が採れ、出荷先の評判も高くなった。
「柚子酒を造ろう」と酒蔵から柚子の注文が入ったのはそんな時だった。
試行錯誤の末、3年後「これは」と皆が思う柚子酒が仕上がった。
柚子酒の発売発表日は2011/3/11 午後3時。
その時から時は止まった。
さぁ、これから、と夢が膨らむときに東日本大震災と原発事故。
震災前年の12月に収穫し、仕込み、販売に合わせて発送済みだった酒も『フクシマの酒』となりすべて戻されてきた。
柚子酒は幻となった。
風評である。
30年積み上げてきたものが、いっぺんに崩れ去った。
もう、立ち直れないと思った。
柚子農家として生きるために手入れしてきた畑の柚子も全て廃棄せざるをえなかった。
柚子の栽培を始めてから今までの40年の内、10年余のロスである。
被害の大きさは物損よりも精神的被害の方が大である。

3.   日々努力

真面目に正直に働き日々前向きに努力していく、安田家のモットーは『日々努力』。
筍、柚子、あんぽ柿の出荷停止という三重苦に見舞われても、立ち止まることは出来ない。
新たにミニトマトの栽培を始め、代表作物まで育て上げた。
震災から10年が過ぎ、周りの地域では柚子の出荷制限が解除され、避難区域への帰還が始まっても福島市の柚子は解除にならなかった。
それでも毎年放射線の数値を測り安全性の確認をし続け、2022年3月末ようやく柚子の出荷制限解除の通知が届いた。
震災後も休むことなく植えた柚子にも今年実がついて、今では百本ほどになった。
柚子は表年と裏年があり、今年は裏年で1/3しか実らなかったが、12年ぶりの柚子の出荷には何ら問題なかった。
毎年声をかけ続けてくれた会津酒造さんに真っ先に連絡を入れ、『柚子酒』の復活をお願いした。
10月に柚子の収穫が始まり、柚子酒復活のゴーサインと共に、会津酒造の若社長、渡部景大さん、専務の裕高さん、長男の和尚の若い力三人のタッグで12月末ついに幻に終わった『柚子酒』の復活を見ることが出来た。
「若い人たちは逞しく立ち直った。過去に積み上げてきたものが少ない分、逞しいですね。私たちも、若い人に負けずに一から始めよう、と決心したのです。」(養)

YAMAWA YUZU LIQUEUR

4.   毎日を普通に暮らす大切さ

「農のどんなことも“楽しい”と思ってやってみれば楽しいのだ、と気づいたのです。農作業も一つ出来るようになれば楽しい。今日はこれが出来た、明日はもっと出来るようになろう、と頑張ると楽しいことが積み重なってきます。」(養)
「農の楽しさは、自分達でライフデザインを作れる所です。」(養)
「農業は未来永劫途切れる事なく続く必要不可欠な職業です。その事にプライドを持って取り組んでいける農業従事者でありたいと思います。」(養)
2023年卯年は和昭の干支の年である。
毎日を一生懸命働き普通に暮らす事の大切さ、そうして家族の歴史が一つずつ継って未来への希望となるのだと思う。
親子、孫、三代の年男が揃う安田家の飛躍の年となることを願っている。


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