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北海道の廃線跡探訪 第64回 幌内線(3/3)三笠~幌内間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます

北海道の廃線跡探訪第64回 幌内線その3 三笠~幌内間です。

三笠~幌内間は線路が撤去されずに、三笠トロッコ鉄道が軌道自転車などを走らせています。
終点幌内には、三笠鉄道の村幌内ゾーンがあり、車輌が数多く保存されているほか、鉄道記念館もあります。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.三笠~幌内

1/5万地形図「岩見沢」昭和60年修正に加筆

幌内への線路は、三笠駅構内の岩見沢方ですでに分岐していた。

岩見沢方にある三笠幌内川を渡り道道917号とクロスすると、クロフォード公園の端をまわるように右へカーブ、再び道道とクロスして並行する。
両方とも道路整備により踏切の跡はない。

①三笠幌内川橋梁 3本のうち、一番左が幌内方面への線路があったガーダー 2016年8月撮影

道道南側へ移ると、三笠~幌内間を運行している、三笠トロッコ鉄道の始発駅となっている。
近くには看板代わりなのか、三井芦別みついあしべつ炭鉱の坑外線で使われていたディーゼル機関車や動輪なども置かれている。

②元三井芦別炭鉱の北陸重機工業製のディーゼル機関車 2016年8月撮影

レールはうっすらと光っており、「生きて」いる。
トロッコとはいっても、訪れた日には三笠方にモーターカー、それに軌道自転車のようなオープンのトロッコを2輌連結した堂々たる?3輌編成だった。

③3輛編成のトロッコ列車 2016年8月撮影

踏切には道路側に「一時停止」、線路側にも「踏切停止」の標識がある。
沿線に農地しかなく、踏切も農道クラスしかない、旧美幸線のトロッコ王国と異なり、クルマも通行する踏切があることは、事故防止に気をつかうことだろう。

かつて木造の炭住(炭鉱住宅)が並んでいた線路の南側は、鉄筋コンクリート造の改良住宅と新しい民家も建っているが、ほとんどが空き地や林となり、住宅街の道が林間の道へと変わってしまった。

その道が道道へ出るあたりに、三笠~幌内間の旅客営業廃止までは幌内住吉駅があった。

崩れかけたホームの一部らしき石組もあったが、ちょっと線路からは離れすぎている感じがする。しかし、営業時の写真のホーム擁壁とはよく似ているので、これがホームの名残なら、後年線路を敷きかえたのだろう。
道道側には「幌内住吉駅跡」の立て札も立てられている。

④幌内住吉のホーム跡 線路側にも「踏切停止」の標識がある 2016年8月撮影

幌内までの線路は、草が生えているところもあるが、しっかりしているように見受けられる。
途中駅?の「小池坂」には、体験運転の折り返しのための転車台や駅名標も設けられていた。
国鉄駅名標にあわせた造りや字体といい、よくできている。

③三笠トロッコ鉄道の「小池坂駅」 2016年8月撮影

3.幌内

構内入換用の引上線が右に見えると、線路はやがて幌内駅構内に入る。

勾配のない引上線は本線と高低差があり、ここまでが動態保存蒸機S-304の走る区間となっている。

⑤幌内駅跡の三笠鉄道の村幌内ゾーン 右の線路がS304走行線路 2016年8月撮影

運転日の構内には、石炭焚きのS-304から出る煙の匂いも漂い、汽笛の音が谷間に響いている。
S-304は室蘭市の鉄原てつげんコークスで使われ、会社の構内から室蘭本線御崎みさき駅まで出てきていた。同僚のS-205とともに、国内で最後の実用蒸気機関車だった。
1939(昭和14)年日本車輌製造で作られた、素っ気ない産業用蒸機だが、石炭を焚いて走る「本物」のよさを味わえる。

⑤動態保存されているS-304 1996年9月撮影(古い写真でスミマセン。タイトル写真も同じ)

幌内駅構内は三笠鉄道村幌内ゾーンとなり、幌内線廃止直後の9月に開館した三笠鉄道記念館を中心に、屋内外に北海道で活躍した車輌が展示されている。

保存車輌は、ディーゼル機関車:DD51 610・DE10 1702・DD14 1・DD15 17・DD16 15、気動車:キハ22 52・キハ56 16・キハ27 23・キロ26 104・キシ80 31、客車:オハフ46 504・スハ45 20・オハフ33 451・スエ30 41・スエ32 1・スユニ50 505、貨車:ソ81+チキ6147・セキ6657・トラ72568・ワム66172、準貨車(除雪車):キ274・キ756。

鉄道記念館内には、蒸気機関車:59609(実際は29622だそうです)・C12 2、電気機関車:ED76 505、ディーゼル機関車:DD13 353が保存されている。

⑤キハ22 52+キハ56 16+キハ27 23などの保存車輌 2016年8月撮影
⑤DD14 1 同
⑤ソ81とチキ6147 同

一方、開館時に食堂や売店に利用されていた車輌は、道道反対側の駐車場に移されている。


⑤道道をはさんで山側に移されたキロ26 104+スハ45 20+オハフ46 504などの保存車輌
2016年8月撮影

新たに炭鉱関係の車輌も増えている。
住友赤平炭鉱から来た、バッテリー機関車と人車は、前後に機関車をつけプッシュプル運転をしていたこともある。

⑤運転されていた住友赤平炭鉱の人車 乗車賃はたしか100円か200円だった 1996年9月撮影

太平洋炭鉱(現・釧路コールマイン)の坑外線で使われていた電気機関車や炭車、それに夕張鉄道社紋の残る北炭真谷地専用鉄道のモーターカー(S-304の代わりに冬の体験乗車に使われた)などもある。

⑤太平洋炭鉱で使われていた電気機関車と炭車 2016年8月撮影
⑤夕張鉄道の社紋も残る排雪モーターカー 2016年8月撮影

4.幌内~幌内炭鉱

1/5万地形図「岩見沢」昭和60年修正に加筆

幌内を出た線路は、選炭場などのある幌内炭鉱まで延びていた。

炭鉱構内に入る手前にガーダー橋の上幌内川橋梁があり、レールは残るが枕木はほとんど朽ちている。

⑥上幌内川橋梁 2020年4月撮影

その手前には平トロが直角に置かれ、三笠トロッコ鉄道の終点「Kawasimo Sta.」となっていた(今は運行されていない)。

⑦三笠トロッコ鉄道の終点「川下駅」 2016年8月撮影

幌内炭鉱の構内は鬱蒼とした林に変わり、三笠ジオパークのひとつとして遊歩道や案内板が整備されている。

構内を入ってすぐコンクリート桁の第十五号橋梁があり、横には旧線か複線だったのか、レンガ積みの橋台も残っていた。

⑧第十五号橋梁 2020年4月撮影

幌内炭鉱の石炭を小樽へ運ぶために敷設された幌内線は、炭鉱と盛衰をともにせざるをえなかった。

三笠市は幌内線を炭鉱閉山後も存続させようと手をつくしたが、私鉄としての復活も、復元蒸機(「弁慶号」7100形)の運行も実現しなかった。

幌内地区どころか三笠市全体の人口減少さえ止まらず、三笠~幌内間の北海道中央バスの路線さえ廃止された現状では(市営バスで代替)、無理して実現しなくてよかったと思える。

廃線跡になってしまった現在、結果的には、なまじ中途半端な復元蒸機よりも、トロッコのほうがずっとふさわしいようにも感じる。

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は、瀬棚線(国縫~瀬棚間)を予定しています。

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