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北海道の廃線跡探訪 第76回 標津線(9/9)奥行臼~厚床間

1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます

北海道の廃線跡探訪第76回 標津線しべつ奥行臼おくゆきうす厚床あっとこです。

この区間は奥行臼駅がほぼそのまま保存されているほか、路盤は厚床フットパスとなって整備されているところもあり、風連川橋梁などは圧巻です。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.奥行臼

1/5地形図「姉別」昭和58年修正に加筆

奥行臼は別海町指定文化財として、駅構内が営業当時のまま保存され、末期には撤去されていた貨物側線も復元されている。

①別海方から奥行臼駅構内を望む 2011年9月撮影(タイトル写真も同じ)

建物も、駅便所・保線トロリー小屋や詰所があり、さらに春別駅の風呂場も移築保存されている。
もちろん、線路やホーム、通信柱や駅名標などもそのまま。

①奥行臼駅構内から別海方を望む 左は旧春別駅の風呂場と貨物ホーム 2011年9月撮影

車輌がないのでガランとしているが、なまじ色あせた車輌があるよりは、かえって営業当時を彷彿とさせる

構内は手入れが行き届き、一見廃駅という感じはしないが、傾いた通信柱や錆びたレールを見ると、もう列車は来ないのだと実感される。

①奥行臼駅構内から厚床方を望む 2011年9月撮影

営業当時との違いは、駅舎のアルミサッシが木製窓枠に戻され、車寄せにあった駅名板がない(板自体は元の待合室内に保存)のと、保存関係の看板がある(駅舎にもつけられている)くらいだろうか。

文化財として、当時の雰囲気を残すため、極力よけいなものは設置しないという方針なのかもしれない。

①奥行臼駅舎 2011年9月撮影
営業当時の奥行臼駅舎 1985年9月撮影

内部も、駅事務室は別として、待合室に記念スタンプが置かれ、写真類が飾られているのが目立つ程度。

①奥行臼駅舎内部 駅名板が出札口上に移されている 2011年9月撮影
駅舎内部にあるスタンプ

建物もごく一部がなくなっているが、営業末期にはすでになかったのかもしれない。
標津線廃止から30年以上、よくぞここまでよい状態を保っていると感心せざるを得ない。

①駅名標 2011年9月撮影

駅前近くには国指定史跡旧奥行臼駅逓所もあり、ちょっとした歴史的景観保存地区のようになっている。もちろん移築したものではないから、存在感は抜群。

②近くにある旧奥行臼駅逓所 2011年9月撮影

2.奥行臼~厚床

1/5地形図「姉別」昭和58年修正に加筆

奥行臼を出ると、路盤は湿地帯や牧草地のなかを突っ切っているが、並行する道路はおろか、クロスする道路もない(地形図に描かれた奥行臼の南の旧国道はなくなっている)。

ようやく風蓮川の手前でマトモな道路が国道から分かれ、その道路と直交する路盤が確認できる。
奥行臼方はひどいヤブだが、風蓮川の手前までは農地への作業道となっている。

③踏切跡から奥行臼方を望む 2011年9月撮影

作業道の先は放置状態だったが、2012年ころ根室フットパス「明郷パス」として整備された。

④風連川橋梁の手前から奥行臼方を望む ヤブこぎしなくてよくなった 2020年9月撮影
④風連川橋梁入口 明郷パスの看板がある 2020年9月撮影

風連川橋梁は、現存する標津線の橋では最長で、ガーダー12連181mもあり、営業当時では第2標津川橋梁の269mに次ぐ長さだった。

④風連川橋梁 このときは保守用通路のあるところまでしか行けなかった 2011年9月撮影

以前は、中間部に保守用通路がないので、橋を渡りきるのは困難だったが、フットパス化にあたり、建築現場用足場板と単管を使い、手すりもある立派な通路がつくられ、標津線の時刻表と写真も掲示されていた。

④中間部のガーダーの上に設けられた通路 ありがたし! 2020年9月撮影
④風連川橋梁の途中にある解説板 2020年9月撮影

風蓮川を渡ると根室市となる。

築堤となった路盤は、湿原のなかを一直線に通り、訪問当日は高曇りの空で、暑くもなく寒くもなく、さわやかな風が湿原を渡る絶好の廃線跡日和だった。

⑤風連川橋梁~風連川避溢橋梁間の湿原をゆく低い築堤 2020年9月撮影
⑥根室フットパス(明郷パス)の看板 2020年9月撮影

つづいて風連川避溢ひいつ橋梁となる。

ここにも注意書きがあったが、それには「逃益橋(とうますばし)」とある。なんのことかと思ったが、「避溢橋」のまちがいと思われる。

この避溢橋梁はIビームを連ねた低い橋だが、ここにも足場板と単管で通路がつくられている。

⑦風連川避溢橋梁入口 ここにも通路あり 2020年9月撮影
⑦風連川避溢橋梁 2020年9月撮影

避溢橋梁を渡った先も歩きやすそうな路盤が一直線に続いていた

⑦風連川避溢橋梁から厚床方を望む 2020年9月撮影

湿原を抜けた路盤はやがて林のなかを通り、国道243号とクロスするが、国道は直線化され踏切の跡はない

1/5地形図「厚床」昭和52年編集に加筆

路盤は牧草地や森を突き抜け、国道44号の厚床跨線橋に至る。

跨線橋には「標津線」のプレートも健在、奥行臼方はヤブが濃くなっていたが、厚床方はそれほどでもない

⑧厚床跨線橋から厚床方を望む 2011年9月撮影

道道1127号の踏切跡には、クルマの侵入防止なのか、路盤に枕木の柵が造られ、根室フットパスの標識が設置されている。
それによると、標津線跡を厚床駅・酪農喫茶へと歩いて行けるようである。酪農喫茶は、さきほどの標津線の国道踏切の近くにある。

⑨道道踏切跡から奥行臼方を望む 2011年9月撮影

厚床跨線橋から眺めた感じでは、歩くのはそう簡単ではないような気もしたが、2024年現在の根室フットパスの案内でも、厚床パスとして載っているから、歩けるのだろう。

厚床方は、ほどなく根室本線との並行区間となる。

⑩根室本線との並行するところ 厚床方を望む 2011年9月撮影

厚床駅は無人駅となり、標津線廃止後改築された駅舎には、現在根室交通の窓口しかなく、一見バス待合所のようになっている。

⑪厚床駅舎 2011年9月撮影

駅舎側ホーム1番線と島式ホームの海側は根室本線が使用していたが、現在では島式ホームは使われなくなっている。

標津線が発着していたかつての2番線は、線路が撤去され、土留めも崩されている

⑪2番線跡 2011年9月撮影

広かった構内にあった機関庫などの建物もすべて姿を消し、分岐駅として栄えた面影はなくなっている。

⑪転車台跡 2011年9月撮影

駅舎側の1番線には、標津線分岐駅だったことを示す記念碑と解説板があり、かすかに「標津線ここにありき」を伝えていた。

⑪厚床駅の記念碑 2011年9月撮影
⑪同解説 2011年9月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は函館本線支線(南美唄支線)を予定しています。


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