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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その17 北海道にいた本州形気動車


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。

ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。個人的主観で、なるべく有名でなさそうなものを・・・

ダラダラと胆振地方の話題を続けてきましたが、ようやく脱出!
今回は少しはマトモになって?北海道にいた本州形気動車です。

なお、キハ45000形(→キハ17形)などの、1957(昭和32)年4月の形式称号改正前の形式は省略しています。

2.北海道の本州形気動車

北海道の気動車は戦後、戦前の制式気動車キハ41000形の後身である、キハ04~06形がローカル線で使われていましたが、いずれも北海道向けの形式ではありません。
1956年に函館に新製配置されたキハ11形100番代が、最初の北海道向け気動車になりますが、耐寒性能が不充分だったため、すぐ本州へ転属していきました。
それ以降、特急形以外の北海道の気動車といえば、キハ56系・キハ22形に代表される、窓の上下寸法の小さい二重窓の車輌しかいなかったと思われがちですが(自分もそうだった)、1980年代はじめまで、本州形の気動車も少数ながら存在していました

3.北海道のキハ10系

キハ11形100番代以前、1955・56年にはキハ11形16輛が旭川・稚内に、1953・55・56年にキハ16形は8輛、キハ17形は27輛も室蘭・札幌に新製配置されています。
このうち、旭川・稚内といった酷寒地に配置されたキハ11形は、北海道向けの装備はなく、早々と北海道向けに耐寒耐雪装備を強化したキハ12形に代わりました。

1970年代末期にはキハ16形は5輛、キハ17形は9輛が、室蘭・苗穂に残り、主に千歳線・室蘭本線で使われていました。
北海道の10系気動車はキハ12形だけだろうと思っていたので、詳しい友人から教えてもらったときは、ずいぶん驚きました。

キハ17 249 1979年4月撮影
キハ16 74 1979年4月撮影

これらのキハ16・17形は、一部は首都圏色にもなりましたが、キハ40形へ置きかえられ、1979~80年には廃車されてしまいました。

首都圏色になったキハ17 249だが1980年7月廃車 1979年11月撮影

4.キハ55系の急行「すずらん」登場

北海道における準急形気動車キハ55系は北海道初の気動車急行「すずらん」(函館~札幌)でお目見えしています。
1960(昭和35)年7月改正で登場した急行「すずらん」はキハ55形4輛・キハ26形2輛・キロ25形2輛の8輛編成で、全車指定席、まだ特急列車のなかった当時の北海道では最速列車でした。
八雲・長万部・虻田(→洞爺)・伊達紋別・東室蘭・苫小牧・千歳に停車、それまでの客車急行の函館~札幌間6時間を1時間も短縮します。

しかし、厳寒期には、もともと北海道向けではないキハ55系での運転は困難で、キロ25形以外の6輛は普通列車用のキハ22形で運転されています。

余談ですが、併結は別として、単行か2輛編成のローカル急行がせいぜいで、縁の下の力持ち的な存在だったキハ22形にとって、一世一代の晴れ姿だったろうに、写真を見たことがないのが残念です。

2基エンジンのキハ55形が4輛入っていた夏季とはちがい、8輛すべて1基エンジンで、しかも積雪期なのに、時刻の変更(延長)はありません。実際はどうだったのでしょう。

キハ22形の代走は1シーズンで終わり、翌年3月北海道向け急行形キハ56系が新製配置されると、苗穂に3輛配置されていた(キハ55・26形は借用。冬季前に返却)キロ25形も本州へ転属していきました。

それにしても、あと1年足らずで北海道向けの急行形気動車キハ56系ができることや、厳寒期にはキハ22形を使わせざるをえないこともわかっていたでしょうに、あえて7月に登場させるとは、当時の国鉄の本気度、やる気が伝わってきます。
思わず、いまとはエライちがいと感じてしまいますが、国鉄経営が黒字の時代でもあり、北海道でも陸上交通の主力だったからでしょう。

5.キハ55系、北海道に再登場

急行「すずらん」での運用終了後、しばらく北海道ではキハ55系の姿はありませんでしたが、1973年、急行「ちとせ」増発に備え、本州から苗穂に転属してきました。
もちろん意識的ではないでしょうが、準急「日光」用試作車キハ55 5(←キハ44804)、正面窓が大きくなった第1次量産車キハ55 10、台車がDT22になった第2次量産車キハ55 24、1段上昇窓になった第3次量産車(100番代)キハ55 164・222と、わずか5輛なのに、4タイプすべてが揃っていました

試作車キハ55 5 10とともに台車はDT22になっていた 1979年7月撮影
第1次量産車キハ55 10 試作車同様、特徴ある連結面のカーブがわかる 1980年12月撮影
第2次量産車キハ55 24 1979年7月撮影
第3次量産車キハ55 222 手前はキハ55 24 1979年5月撮影

3輛しかいなかったキハ26形も、バス窓の1次形キハ26 1・4、1段窓の2次形(100番代)キハ26 118が揃っていました。

1次形キハ26 4(先頭 右)+試作車キハ55 5(左)ほか
キハ55 5のベンチレーターはオリジナルの大形 1978年11月撮影
2次形キハ26 118 1979年5月撮影

北海道のキハ55系は、千歳線・室蘭本線室蘭~苫小牧間電化後の1980~81年にかけて廃車されましたが、キハ26 1はキユニ26 23、キハ26 118はキユニ26 25へ改造され、それぞれ1986年、1984年まで生き延びています

6.北海道のキロ28形

北海道の急行形気動車キハ56系のグリーン車キロ26形は、北海道向けの上下寸法の小さい狭窓二重窓装備です。
しかし、サロ152形からはじまった、2連の1段下降窓が美しいキロ28形も、131と198が札幌運転区に配置されていました。
このキロ28形は、北海道では比較的温暖な地域を走る、札幌~室蘭間の急行「ちとせ」で使われていました(冬季は運転区に留置)。さすがにキハ16・17形同様、北海道内でも寒さの厳しい地域での運用は避けたのでしょう。
急行「ちとせ」の特急格上げにより運用が減ったため、札幌運転区配置のキロ28形は1981年には廃車されています。

急行「ちとせ」で運用中のキロ28 198 1979年5月撮影

こうしたさまざまな系列の気動車で編成された普通列車は、塗色も急行色、一般色さらには首都圏色も加わり、客車列車にもまさるともおとらないほどバラエティーに富んでいました。
つぎはどんな気動車が来るかと期待していたころがなつかしく思えます。

今回はこのへんで。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

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