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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その19 幌延ほろのべ町営軌道~保存車輌など(2)


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。


ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま書いていこうと思います。
同世代のかたや先輩諸氏にとっては、ご存じのことが多いでしょうが。

2.1980年の問寒別といかんべつ

1980(昭和55)年8月、友人と問寒別に行きました。幌延町営軌道廃止後から10年も経っていなかったので、まだかなりの施設が残っていました

イタドリにおおわれ、屋根がかろうじて見えた、半壊状態の木造客車もありました。真夏だったので、二人でイタドリをなぎ倒し、ようやく写真が撮れました。

軌道事務所 1980年8月撮影(以下、同じ)
立派な4線機関庫 たぶん簡易軌道では最大級 この前に転車台があった
1線庫 前部のシャッターは廃止後の設置
半壊状態の木造客車 これでもボギー車だった
問寒別駅舎 まだ有人駅だった

3.問寒別のいま

問寒別駅前の幌延町営軌道の機関庫のあったところには、幌延町教育委員会の建てた標柱があります
ほかには殖民軌道時代からの倉庫があるくらいで、あたりの風景はさまがわりしています。

標柱の表裏 2022年5月撮影
急行仕様のキハ54 527の名寄行き4326D 問寒別での乗降はなかった この前は6:51発4324D、この後は19:47発4330D で1日3往復 2022年5月撮影
貨車駅舎となった問寒別駅舎 2016年9月撮影

4.二十線のいま

終点の二十線停留場跡にも標柱が建っています
ブロック造の待合所(事務所)もありますが、木造の屋根は崩落、扉や窓は朽ちて、悲惨な状態です。
生い繁るササに覆われ、全体を見ることはできませんが、転車台のピットも残っています

二十線停留場の待合所 2016年9月撮影(タイトル写真も同じ)
もはや外部だか内部だかわからないほどの無惨な廃墟状態 2016年9月撮影
二十線停留場の標柱 こったら立派なものを立てるまえに、もっとほかにやるべきことがあるんでないかいと思ってしまうが・・・ 2016年9月撮影
二十線停留場の転車台のピット 見えないが、全体が残っている 2022年5月撮影
問寒別川に残る橋台 ほかにも道道583号沿いに小さな橋台などがある 2016年9月撮影

起点の問寒別は、倉庫以外なにもないのとは対照的に、終点の二十線停留場には遺構が残っていますが、こんなありさまでは、いつまで保つのやら心配です。名林公園の車輌と同じ運命をたどらないように祈っていますが・・・

5.おまけ

僭越ながら、最後に参考文献を。

殖民軌道・簡易軌道については、上記の2点で充分とも思いますが、下記の参考文献もあります。
いずれも、出版されてからかなり経っていますが、図書館などでご覧になれると思います(お近くの図書館になくても、図書館同士の相互貸借が利用できます)。

●湯口 徹著「簡易軌道見聞録」
1979年プレス・アイゼンバーン発行:湯口さんが、昭和32~35年に実際訪れた貴重な記録。
湯口さんは、殖民軌道・簡易軌道、それに気動車の研究者として著名な人。

●今井 理・森川幸一著「簡易軌道写真帖」
1997年ネコ・パブリッシング発行:題名どおり写真が主だが、今井 理さんが担当した沿革は、立派な調査・研究。
写真も市町村所蔵の貴重なものを多数掲載。

幌延町営軌道については、鉄道ピクトリアル1995年7月号(通巻607号)に、今井 理「幌延町営軌道」があるので、こちらもどうぞ。
また、幌延町営軌道の現況紹介記事としては、鉄道模型趣味1969年7月号(通巻253号。ナローゲージモデリング=1976年機芸出版社発行に再録)にも、古賀茂男「北海道の簡易軌道」があります。

最後に拙稿もご紹介。

今回はここまでです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。

次回は、大平原の立体交叉:北海道拓殖鉄道と河西鉄道です。


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