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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その20 大平原の立体交叉


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。

ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。個人的主観で、なるべく有名でなさそうなものを・・・

2.鹿追しかおいの立体交叉

鉄道の立体交叉は、現在、とくに都会ではあまり珍しくはないでしょう。
国鉄(JR)同士はいうにおよばず、私鉄や貨物線も含めれば、数え切れないほどあります(ここでは、路面電車や地下鉄、さらに森林鉄道など一般営業鉄道ではないものも除く)。

新幹線と在来線の場合以外、市街地や駅の近くだけと思われるような立体交叉ですが、北海道には市街地でもなく、ましてや駅でもないドイナカ(失礼!)で、私鉄同士が立体交叉しているところがありました。
同じ私鉄が2回も、しかも上下が入れ替わっているのも珍しいのでは?

1/5万地形図「新得」昭和6年鉄道補入に加筆 二度目の交叉地点には河西鉄道の記入がない

最初は北海道拓殖鉄道の屈足くったり~鹿追間で、熊牛くまうしトンネルを抜けた切り割りで、河西かさい鉄道がオーバークロス、二度目は逆転し、河西鉄道の鹿追~万代橋ばんだいばしで、上を北海道拓殖鉄道が通っていました。

3.北海道拓殖鉄道と河西鉄道

北海道拓殖鉄道は1928(昭和3)年12月根室本線新得しんとく~鹿追間を開業、翌年11月中音更なかおとふけまで延長、1931年11月には士幌線上士幌に達し、全長54.3㎞となりました。
戦後は路線短縮が続き、1968年7月全廃されています。
北海道では珍しく、炭鉱や鉱山には直接関係のない鉄道です。

762㎜軌間のナローゲージだった河西鉄道は、拓鉄とは対照的に甜菜(ビート、砂糖大根)輸送を主目的に、根室本線十勝清水~鹿追間などを運行していました。当初は日本甜菜製糖の専用鉄道でしたが、1925(大正14)年5月、地方鉄道として河西鉄道となり、戦後の1946年十勝鉄道に合併、その清水部線となりましたが、5年後の1951年7月廃止となっています。

なお、河西鉄道は河東郡(鹿追町)・上川郡(清水町)にありながら、「河西」を名乗っていますが、これは河西支庁(1897=明治30年設置、1932年十勝支庁に改称)からとったのでしょう。

4.交叉地点のいま

熊牛トンネルの鹿追方の最初の交叉地点は、拓鉄の切り割りが埋められて畑となり、河鉄の路盤は未舗装道になっていますが、立体交叉の痕跡はなくなっています。まわりは防風林のある農地のまっただなかで、広々とした典型的な十勝平野の風景です。

二番目は、近年整備され、鹿追町のふれあい農芸公園「しかおいパーク」の一角に、「とかち鹿追ジオパーク」の一環として保存されています。

「ドイナカ」などと失礼な表現をしましたが(ゴメンナサイ!)、然別川しかりべつがわを渡れば、すぐ鹿追市街地なので、写真で見るような山のなかではありません。
以前は、樹林のなかをヤブこぎしなければならなかったのですが(タイトル写真:92年11月撮影)、今では公園から遊歩道を通って行けます。

北海道拓殖鉄道の橋台 河西鉄道万代橋方を望む 公園内の路盤は整備され歩けるところもある 2018年9月撮影
同 河西鉄道鹿追方を望む 解説板にある写真と同方向(タイトル写真も同じ) こちらの路盤はほどなくヤブとなる 同
とかち鹿追ジオパークの解説板 (拓鉄)鹿追へ向かう北海道拓殖鉄道の8620形牽引の混合列車の下を河西鉄道の列車が推進運転で(河鉄)鹿追へ向かっている 同

さて、解説板の写真を見ると、下の河西鉄道の列車は、然別川で流送され、万代橋で陸揚げされた原木をつんでいます。
推進運転なのは、スイッチバックの上然別での機関車つけかえを避けたとも思えますが、上然別の次駅下幌内で、清水方面(南方向)へ行く列車は、また進行方向が変わります(地形図参照)。

交叉地点を含む鹿追~万代橋間は貨物線なのに、なぜか最後尾には客車も連結されています

時刻表によると、拓鉄はこの区間2~3往復、河鉄は貨物線なのでわかりませんが、鹿追までの旅客列車は1~2往復です。

お互いにきわめて列車本数の少ない鉄道で、絶好のタイミングで、こうしたみごとな写真が撮れるのは不思議です。

まったくの想像ですが、これは河鉄関係者による一種の「やらせ写真」ではないかと疑ってしまいます。終点である隣駅からの貨物列車なので融通もきいたでしょうし。


5.河西鉄道鹿追~上然別間のいま

河西鉄道鹿追駅跡にはホームが残り、「とかち鹿追ジオパーク」の解説板もあります。

河西鉄道鹿追駅跡に残るホーム 未舗装道は元の路盤 右に解説板 2019年11月撮影
河西鉄道鹿追駅跡にある解説板 右下の写真は1067㎜軌間の十勝清水~工場間専用線のコッペル機 2018年6月撮影

鹿追~上然別間の路盤は、いかにも廃線跡といった未舗装道になっており、上然別にもホームが残っています

上然別のホーム跡 こちらには解説板はない 2018年9月撮影
上然別でスイッチバックした分岐点 未舗装道が鹿追方の路盤
中央やや右の茶色いヤブが下幌内へ向かう築堤 2018年9月撮影

スイッチバックした下幌内方の築堤をたどると、上幌内川に倒れた橋台があります。未舗装道からは、下幌内へ向け急勾配で対岸の台地の斜面を上っていく路盤も見えます。

上幌内川に倒れこむ橋台 2018年9月撮影

6.北海道拓殖鉄道と河西鉄道の保存車輌

北海道拓殖鉄道の車輌は、鹿追町に自社発注の8620形8622号機が保存されています。
ヘッドライトや煙室戸ハンドルが失われ、キャブの社紋や窓ガラスもなくなり、あまりよい状態とはいえませんが、無蓋車も連結されています。

北海道拓殖鉄道鹿追駅跡に保存されている8622号機と無蓋車 2019年5月撮影

鹿追町は、広々とした農地のむこうに大雪山系も望まれる、とても景色のよいところです。

早春の大雪山系 鹿追町上幌内にて 2022年5月撮影

道東方面へ行くときは、いつも北海道拓殖鉄道瓜幕うりまく駅跡の公園か、混んでいなければ「道の駅うりまく」で休憩するので、毎年のように立ち寄るところです。

瓜幕駅舎記念広場 左手の記念碑に拓鉄の沿革が記されている 2020年9月撮影
同 2019年5月撮影


河西鉄道
の車輌は、帯広市のとてっぽ通りに、ハ3十勝鉄道コハ23として、十勝鉄道4号機とともに保存されています。秋の公開日には、車内に入ることもできます。

河西鉄道ハ3→十勝鉄道コハ23 窓下半の白いのは車内に置かれた解説 2016年10月撮影


今回はこのへんで。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

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