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北海道の廃線跡探訪 第53回 胆振線(1/6)伊達紋別~上長和間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます

北海道の廃線跡探訪第53回 胆振いぶり伊達紋別だてもんべつ倶知安くっちゃんその1 伊達紋別~上長和かみながわです。

伊達紋別から上長和の先までは自転車道に転用されています。沿道には桜が植えられ、春にはみごとな風景となります。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.胆振線小史

胆振線の歴史はまず倶知安方から始まった。1919(大正8)年11月15日京極きょうごく軽便線倶知安~京極間が開業、翌年7月15日京極~脇方わきかた間が延長された。
1922年9月には他の軽便線と同様「軽便」がとれ、京極線と改称されている。

京極~喜茂別間は1928(昭和3)年10月21日胆振鉄道が開業、1941年8月胆振縦貫鉄道に合併されている。

伊達紋別方は、1940年12月15日胆振縦貫鉄道として伊達紋別~徳舜瞥とくしゅんべつ(改称/新大滝)間、翌年10月12日徳舜瞥~西喜茂別にしきもべつ(改称/喜茂別)間が開業国鉄京極線(倶知安~脇方間)・旧胆振鉄道の京極~喜茂別間とあわせ伊達紋別~倶知安間が全通した。

胆振縦貫鉄道は1944年7月国有化、伊達紋別~倶知安間83.0km、および京極~脇方間7.1kmが胆振線となる。同時に、貨物支線となっていた西喜茂別~喜茂別間は廃止(構内側線化)西喜茂別は喜茂別と改称されている。
なお、胆振線は室蘭本線の支線とされたため、起点は伊達紋別だった。

胆振線は1962年から札幌発着の循環準急(のち急行)「いぶり」が運転されるなど、戦後も沿線の発展や農産物輸送に大きな役割を果たしてきた。
しかし、倶知安鉱山の閉山により1970年11月1日京極~脇方間が廃止され、喜茂別・徳舜瞥などの沿線鉱山の閉山、さらに過疎化や貨客の自動車への転移などで輸送量が減少していく。

ついに国鉄再建法による第二次特定地方交通線に指定、1986年11月1日全線が廃止された

3.伊達紋別

室蘭本線伊達紋別は有人駅で、1925年に建てられた堂々とした駅舎も、改装は大きいが現役。

①胆振線の起点だった伊達紋別の駅舎 2023年11月撮影

番線表示はJR北海道の新基準により、かつての国鉄基準と逆に駅舎側から3~1番となり、駅舎側にあった胆振線のホームは埋められている

①埋められた胆振線のホーム(左側の草の生えているところ) 2010年10月撮影

長万部に向かう室蘭本線と並んで伊達紋別を出ると、転車台などは撤去されているが、木造の駐泊所が、改装されながらも保線用基地として残っている

①伊達紋別機関支区の跡 駐泊所だけ残る 2010年10月撮影

伊達市には胆振線ゆかりの保存車輌はないが、隣の豊浦町には胆振縦貫鉄道D5104号機だったD51 953号機が保存されている

密閉キャブ・切り詰めデフの北海道蒸機末期仕様で、ギースルエジェクター装備の扁平煙突になっている。ロッドなどに「D5104」の刻印があった。
近年解体の話もあったが、地元の人たちの手で状態よく保たれている。

元胆振縦貫のD51形は、富良野市にもD5105号機だったD51 954号機がある

4.伊達紋別~上長和

1/5万地形図「伊達」 昭和28年修正測量に加筆

胆振線の路盤は室蘭本線と離れるあたりは会社敷地になり、市道とクロスした後は、小公園を起点とするサイクリングロードとなっていた。

しかし、2016年に保育所が移転して来たため、サイクリングロードはそこへの道路に変わり、小公園はなくなっている。

②サイクリングロードの起点 2023年11月撮影

道路の先からサイクリングロードは「風のメモリー 胆振長輪いぶりちょうりん線」として復活、胆振線の歴史や地図が描かれた案内板も新しくなっている。

②胆振長輪線の案内板 下手前には胆振線の歴史も記されている 柱は古レール 2023年11月撮影

「長輪線」というのは、現・室蘭本線の長万部~東室蘭間の全通前の路線名であり、長万部の「長」、東室蘭の改称前の駅名である輪西わにしの「輪」からきている。読み方は「おさわせん」(当時の仮名書きでは「をさはせん」)だが、地元では「ちょうりんせん」とも言っていたらしい。
旧国鉄胆振線なのだから、「風のメモリー 胆振線」でもよさそうだが、それだとまぎらわしいから、あえて「長輪」を加えたのだろうか。

③サイクリングロードの起点近く 上長和方を望む 2023年11月撮影

桜並木のサイクリングロードとなった路盤は、ほどなく国道37号をくぐる。跨線橋自体は、国道の拡幅により前後に継ぎ足し部分があるが、本体は変わっていないように見える

④国道跨線橋 2010年11月撮影

サイクリングロードが真っ直ぐに延びた先には、胆振線を悩ました有珠山や昭和新山が望まれる。

伊達温泉の裏側にはコンクリート製の距離標(2㎞)が立っている。

⑤伊達温泉の近くにある距離標 遠景は有珠山・昭和新山 2023年11月撮影(タイトル写真は2010年10月撮影)
1/5万地形図「伊達」「虻田」ともに昭和28年修正測量に加筆

第5長流川おさるがわ橋梁は架け替えられ、「ちりりん橋」と名前を変えている。「ちりりん」とはアイヌ語ではなく、自転車のベルの音から来ているのだろう。

⑥第5長流川橋梁跡に架かる「ちりりん橋」 2010年10月撮影

上長流かみおさる停留場として開業、国有化時に駅となり、1959年10月改称された上長和は、サイクリングロードの上長和休憩所となっている。

鉄道時代の遺構はなく、案内板には元の駅だったという説明もない。
しかし、ホームと待合室を模した施設が新たに造られ、かつては駅だったことを思わせる。

⑦上長和駅跡 2023年11月撮影

並行する国道453号にあるバス停「上長和駅前」は、鉄道廃止から40年近く経っても、蟠渓ばんけい同様、「駅前」だったが、さすがに今は「駅前」ではなくなっている。

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は上長和から蟠渓へ向かいます。


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