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北海道の廃線跡探訪 第47回 松前線(1/4)木古内~湯ノ里間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第47回 松前まつまえ木古内きこない~松前間その1 木古内~湯ノ里ゆのさとです。

松前線には駅舎や車輌は保存されていませんが、重内おもない白符しらふに待合室が残っています
千軒~渡島福島間の鉄橋やトンネルが連続する区間は、ハイキングコースとして整備されており、たいへん見どころのある廃線跡になっています。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.松前線小史

松前線は1935(昭和10)年福山線として建設を始め、1937年10月12日木古内~渡島知内間、翌年10月21日渡島知内おしましりうち碁盤坂ごばんざか(改称/千軒せんげん)間、1942年11月1日碁盤坂~渡島吉岡間おしまよしおかが開業した。

松前までは戦前ほぼ竣工していながら、戦争のため開業は見合わせ、戦後1946年12月15日渡島吉岡~渡島大沢間、1953年11月8日渡島大沢~松前間が開業、同時に松前線と改称された。

松前~原口はらぐち間も戦前に着工され、ほとんど竣工していた区間もあったが、未成線として終わっている。

開業後は、旅客輸送はもとより農産・水産物の輸送にも活躍、ディーゼル化後は多くの列車が、木古内から江差線の列車に併結し函館まで直通、準急(のち急行)「松前」も運転されていた。しかし、過疎化や自動車交通の進展により輸送量は減少、第二次特定地方交通線に指定された。

特定地方交通線のなかでは比較的輸送密度が高かったが、結局はバス転換となり、JR北海道に継承後、1988年2月1日全線50.8kmが廃止されている。

3.木古内

1/5万地形図「木古内」「知内」ともに昭和57年第2回編集に加筆

松前線廃止後もさほど動きのなかった木古内は、2016(平成28)年3月の北海道新幹線開業により大きく変わり、駅舎も改築されている。
江差線木古内~江差間は2014年5月廃止され、五稜郭~木古内間も北海道新幹線開業時に道南いさりび鉄道に転換されたため、JR北海道の木古内駅は北海道新幹線の駅となった。
正面南口は道南いさりび鉄道の駅舎で、新幹線ホームへは右隅の連絡通路から入るようになっている。

①改築された木古内駅舎 駅舎右下の黒いところが連絡通路入口 2023年5月撮影
①松前線営業当時からの改築前の木古内駅舎 2011年5月撮影

構内も、松前線営業当時どころか、北海道新幹線開業前とは大きく変わっている。各種の特急で賑わった津軽海峡線のホームはなくなり、道南いさりび鉄道のキハ40が、かつて江差線が使っていた、非電化のホームにポツンと停まっている。

①道南いさりび鉄道のキハ40 1796 2017年6月撮影

駅前は区画整理がなされ、バスターミナルや駐車場ができている。
クルマの往来も以前よりもかなり多くなっていたが、これは駅に向かうのではなく、駅前にある道の駅「みそぎの郷きこない」の利用者で、駅への出入りはほとんどなく、駅舎はひっそりとしている。

4.木古内~渡島知内

木古内を出た松前線は、江差線と海峡線が分かれていたあたりで南に向かっていた。ここから少しの間、未舗装道となっているが、やがてヤブに覆われてしまう。

②並行していた江差線と分かれていく路盤 木古内方を望む 2011年5月撮影

その先の踏切跡には踏切設備の一部があり、建有川たてありがわまでの路盤には、コンクリート製の境界標や2.5㎞の距離標も残っていた。
建有川橋梁は当時のままで、赤いガーダーが映えていた。

③踏切跡から建有川(森越)方の路盤を望む 2011年5月撮影
④建有川橋梁 2011年5月撮影

建有川を渡ると知内町に入り、サンナス川や中の川にもコンクリート製の橋があるが、路盤はほとんどがヤブになっている。

⑤中ノ川橋梁 2022年10月撮影
1/5万地形図「知内」昭和57年第2回編集に加筆

森越は住宅地の一角にあったが、今では何もなく、駅正面へのアプローチだったのか、空き地の一部が舗装されているのが唯一の痕跡だった。
しかし近年、知内観光協会が、知内町内の森越・渡島知内・重内おもない・湯ノ里の各駅跡に設置した模造駅名標がある。

⑥森越駅跡から渡島知内方を望む 2011年5月撮影
⑥設置された駅名標 2022年10月撮影

森越からも路盤はヤブになっているところが多く、新森越川橋梁は跡形もないが、Iビーム2連の森越川橋梁はそのまま残り、用水路にもコンクリート製の橋がある。

⑦森越川橋梁 2022年10月撮影

橋の痕跡のない重内川から渡島知内までは未舗装道になり、ヤブのなかに8㎞の距離標が立っていた。

⑧重内川から渡島知内へ向かう未舗装道になった路盤 2011年5月撮影
⑧未舗装道の横に残る距離標(今はない) 2011年5月撮影

渡島知内には函館バスの営業所が建ち、廃止時まであった木造駅舎をはじめ、鉄道関係の建物や施設は姿を消し、模造駅名標だけが立っている

⑨渡島知内駅跡に建つバス営業所 停まっているバスは江差線代替バス 2022年10月撮影
⑨新たに立てられた模造駅名標 2022年10月撮影

あたりには農業倉庫や昔ながらの駅前旅館が建ち並び、かつての駅の存在をうかがわせるものが多く、倉庫などが道路に対して斜めに建っているのは、線路があったことを感じさせる。

4.渡島知内~湯ノ里

1/5万地形図「知内」昭和57年第2回編集に加筆

松前線は渡島知内で直角に曲がり、海と離れ西に向かっていた。道道698号とクロスするまでは道路化され痕跡はないが、道道に沿った新重内川にコンクリート橋がある

⑩新重内川橋梁 2011年5月撮影

道道の南側に移った路盤は、並行する道道からよく見え、クルマで走れるところもある。

⑪踏切跡から重内方を望む 2017年6月撮影

重内は1962年12月開業の旅客専用駅で、ホームは撤去されているが、モルタル造りの待合室が残っている
待合室とはいえ、松前線の駅舎が残っているのは、ここと白符だけである。

⑫重内駅舎(待合室) 2011年5月撮影

駅構内だったあたりだけはかろうじてヤブではないが、前後の路盤にはササが生い茂っていた。ここにも模造駅名標がある

⑫重内駅跡から湯ノ里方を望む 2022年10月撮影(タイトル写真も同じ)
1/5万地形図「知内」昭和57年第2回編集に加筆

重内を出ると、路盤は知内川に沿った谷間を道路と並行するようになり、北海道新幹線(津軽海峡線)をくぐる。

⑬津軽海峡線と交叉する路盤 2011年5月撮影

尾刺川には小さなガーダー橋が残りチリチリ川にも両側の橋台がある。湯ノ里の手前の湯ノ里川橋梁は跡形なく、路盤は湯ノ里の手前で道路化され、構内に入る。

⑭尾刺川橋梁 2011年5月撮影
⑮チリチリ川に残る葦州川橋梁の橋台(重内方) 2011年5月撮影

湯ノ里にも何もなく、駅前通りにかすかに面影が感じられるくらいで、模造駅名標が唯一の証になっている

⑯湯ノ里駅跡 2011年5月撮影
⑯湯ノ里駅跡に建てられた駅名標 2022年10月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は湯ノ里から渡島福島へ向かいます。

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