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北海道の廃線跡探訪 第69回 標津線(2/9)泉川~計根別間

1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます

北海道の廃線跡探訪第69回 標津しべつその2 泉川いずみかわ計根別けねべつです。

西春別にししゅんべつには別海町の鉄道資料館があり、キハ22をはじめ、サハリンからのD51形などの保存車輌もあります。

光進こうしんと上春別にはホームが残り、近年、上春別のホームは別海町べつかいちょうの歴史文化遺産に指定され、整備されました。
西別にしべつ川などに鉄橋が、当幌とうほろ川にはコンクリート橋が残っています

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.泉川~光進

1/5地形図「磯分内」昭和61年第2回編集に加筆

泉川を出ると、西風蓮にしふうれん川にガーダー橋が残っており、道路橋からもちらっと赤いガーダーが見える。
かつての踏切から築堤となった路盤をたどると、釣り人がつけたらしく、河岸に降りられるようになっていた。

①道路橋から見る西風蓮川橋梁 このときは近づけなかった 2011年8月撮影
①同上 2019年6月撮影

ここから標津線は道路と離れてしまい、光進まで探索困難となる。
中風蓮川にも橋があるが、路盤はとても歩けるようではなかった。

光進は1962(昭和37)年5月仮乗降場として開設、5年後に駅となっている。
踏切跡の附近は何かの工事中で、西春別方の路盤は大きく拡げられていた。
泉川方の路盤には工、事関係者のクルマが並んでいる。

他人のクルマのすぐ脇を通るので、道路掃除をしている人に声を掛けてみた。駅跡を見に来たというと、「あの台を見に来たんだ。よくわかるな。へえー」と感心された。
路盤を歩いていくと、古レール製の脚にコンクリートのホームが木々のなかに埋もれていた。

②光進のホーム 夏は接近困難 2011年8月撮影
②同上 樹木が一段と太くなった気がする 2019年6月撮影

改変された西春別方の路盤には土砂が盛られていたが、単なる残土置き場として使っていただけで、工事終了後は広々とした空き地となっていた。

③工事中に残土置き場となったため拡げられた路盤 2019年6月撮影

3.光進~西春別

1/5地形図「磯分内」「計根別」ともに昭和61年第2回編集に加筆

路盤は、光進の先でやや道路に近づくが、道路から風蓮川・東風蓮川・然内しかるんないなどの橋は見えない。いずれも道路橋から接近を試みたが、川岸にさえ下りられなかった。

西春別は、南東にある本来の西春別市街から離れたところに設置されたため、新たに駅前市街ができて、西春別駅前市街(または上西春別)といわれるようになっている。
駅がなくなった今でも、道路案内標識などには西春別駅前市街とある。

駅跡はバスターミナルのほか、鉄道記念館・別海町鉄道記念公園となっている。
鉄道記念館は9時から15時まで開館しており(月曜日・年末年始などは休館)、しかも入館料は無料。

④西春別駅跡にある鉄道資料館 2021年6月撮影(タイトル写真も同じ)

近年、財政難により地方の博物館・資料館の閉鎖や休館が相次いでいるが、ここは冬季も開館している。

館内には、標津線のあらましや鉄道部品・参考資料などが整然と展示され、モーターカーや軌道自転車もある

公園には、腕木信号機や踏切警報機、別海町内にあった駅名標などがあり、保存車輌はキハ22 239、ヨ4642、キ276、それにサハリン帰りのD51-27

④駅名標とキハ22 239 2011年8月撮影

D51はなくもがなといったところだが、やはり鉄道の象徴として蒸気機関車は欠かせないということだろうか。

④サハリン帰りのD51-27 2021年6月撮影

いずれも保存状態はよく、公園自体も美しく保たれている。
キハ22が停まっているホームは新しく、西春別駅そのものの痕跡がないのは残念だが。

④新設されたホームとキハ22 239・駅名標 2011年8月撮影

2021(令和3)年再訪したところ、保存車輌もあいかわらずきれいな状態だったうえ、誤記のあった車輌標記もきちんと直されていた。

さらに「戦後賠償」と書かれていたD51の解説板も訂正されていたが、旧富内線振内駅の同型保存機には言及されず、これが日本国内唯一の保存機とされている。

4.西春別~上春別

1/5地形図「計根別」昭和61年第2回編集に加筆

西春別を出ると、計根別の手前まで一直線に北東へ向かう。

西春別から西別川まで近くまで路盤に沿った道があり、そこから川の手前の樹林になかに、かすかに赤いものが見える。
川岸に立つと、立派なガーダー橋の西別川橋梁を見ることができた。

⑤西別川橋梁 2021年6月撮影

上春別手前のポンオンネベツ川にも近づけなかった。

1963年7月設置の旅客専用駅だった上春別は、幾何学的に走る道路が標津線にぶつかって曲がったところにあった。
光進と同じようなホームが残り、以前はヤブこぎが必須だったが、2020(令和2)年11月別海町指定文化財となり、ホーム附近の草木を刈りるなど整備され、計根別方の踏切跡から路盤をたどり容易に行けるようになった。

⑥別海町指定文化財として整備された上春別のホーム 2021年6月撮影
⑥同上 このころには手すりも残っていたが、2019年にはなくなっていた 2011年8月撮影

駅名標も復元され、表記も既製字体のカッティングシートではなく、字体も実物どおりに本格的に塗装で書かれており、さすが別海町だと感心した。

⑥復元された駅名標 2021年6月撮影
こちらは西春別の鉄道記念公園に保存されている実物 2011年8月撮影


1/5地形図「計根別」昭和61年第2回編集に加筆

計根別に入るところで当幌とうほろ川を渡り中標津町へ入る。

ここへは路盤に通ずる作業道からたどってみた。路盤も作業道となっていたらしく、低い草が生えているだけでうっすらと轍がついている。

⑦当幌川橋梁へ向かう路盤 2020年9月撮影

当幌川橋梁はコンクリート橋だからそのままクルマも通れたらしく、上春別方も草はまばらだった。もっとも、今では橋の前後の路盤が沈下しており、通るのは厳しそうだったが。

⑧当幌川橋梁 2020年9月撮影

橋の先でようやくカーブすると計根別市街に入る。よく草刈りされた築堤が延び、計根別駅跡は中標津町交流センターが建つ、広々とした公園になっている。

⑨計根別市街に残る築堤 計根別方を望む 2011年8月撮影
⑩計根別駅跡 2011年8月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は計根別から中標津を経て上武佐かみむさ向かいます。


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