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北海道の廃線跡探訪 第31回 羽幌線(7/7)遠別~幌延間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第31回 羽幌線留萠~幌延ほろのべその7 遠別えんべつ~幌延間です。

天塩以北の区間は、国道232号天塩バイパスなどに転用されたところが多いのですが、小河川には橋台が残り、丸松近くにある遠別町郷土資料館には貨車移動機が保存されています

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.遠別~丸松まるまつ

1/5万地形図「遠別」昭和55年修正に加筆

遠別からは再び戦前に建設された区間となる。

遠別市街の先で現れた路盤は、国道に沿っているため、手軽に観察できる。

遠別市街を出るとマサロベツ川に小さなコンクリート橋があり角道川(マサロマツプ川)には両側に橋台があるが、ウツツ川の宇都川橋梁の痕跡はない

①角道川(マサロマツプ川)の橋台 2020年5月撮影

1956(昭和31)年5月、中川口と同時に設置された啓明けいめい仮乗降場にも何もない

②啓明仮乗降場跡 遠別方を望む 2011年7月撮影

路盤は、丸松の手前で国道の直線化に転用されている。

丸松は空き地になっており、駅前商店だったらしい廃屋とその後身らしい商店(ここも閉まっている)だけが駅跡を感じさせている。
路盤は草ぼうぼうで見通しはまったく利かない。

③丸松駅跡 啓明方を望む 2011年7月撮影

丸松の近くにある遠別町郷土資料館には、遠別駅構内で使われた、貨車移動機が保存されている
貨車移動機とはいえ、旧羽幌線沿線では留萌市のD61以外、唯一の保存車輛である。
郷土資料館は普段は開館していないが、野外展示なのでいつでも見学可能

④遠別町郷土資料館に保存されている貨車移動機 2023年9月撮影

3.丸松~天塩

1/5万地形図「遠別」「雄信内」ともに昭和55年修正に加筆

丸松を過ぎるとそれまでとは逆に、国道が少し内陸へ入り、羽幌線は海側へ向かう

国道が旧国道と別れる手前にある、パロマウツナイ川には更岸方に橋台が残り、橋の先の路盤には発電用風車が建っている。

⑤パロマウツナイ川に残る更岸方橋台  2021年5月撮影

ここからは旧国道と並行しているが、路盤は牧草地や畑になって消えているところが多くなる。
海岸に近づくと、路盤は発電用風車用地やその管理用道路に転用されているところもあり、サラキタナイ川には両側に橋台が残っていた。

⑥サラキタナイ川に残る橋台 2017年8月撮影

更岸が近づくと再び国道と近接する

更岸も駅前商店の廃屋と取付道路があるだけだったが、短いながらも舗装されている取付道路はかつての駅の存在を感じさせる。
突きあたりには駅舎の基礎だったのか、コンクリートが少し地面から顔を出していた。

⑦更岸駅跡 干拓方を望む 2011年7月撮影

羽幌線は干拓の手前で国道をアンダークロスする
国道の更岸跨線橋から見ると、路盤は作業場への未舗装道となっていた。

⑧更岸跨線橋から干拓方を望む 2011年7月撮影

1955(昭和30)年12月設置の干拓仮乗降場は路盤すら消失しているが、その手前のトコツナイ川に架かる汐見川橋梁には橋台が残っている

⑨汐見川橋梁の橋台 2023年5月撮影
⑩干拓駅跡を望む 2023年5月撮影

干拓の先で復活した路盤は、一部が作業道となり、やがて自衛隊施設に取りこまれる
自衛隊施設の先で、路盤は天塩バイパスに転用され、六志内川に架かる濁川橋梁も架け替えられている

⑪天塩駅跡の道の駅「てしお」から天塩バイパス干拓方を望む 2011年7月撮影

天塩は道の駅「てしお」となり、駅を思わせるものはないが、元の駅前通りには何となく雰囲気が残っている。

⑪天塩駅跡の道の駅「てしお」 2011年7月撮影

旧駅前の喫茶店の店先には駅名標が置かれている。2023年には板が割れ、テープで補修されていた。

⑪旧駅前の喫茶店にある駅名標 ただし枠はオリジナルではない 2016年9月撮影

4.天塩~振老ふらおい

1/5万地形図「雄信内」昭和55年修正に加筆

天塩から先の路盤も、2012(平成24)年3月開通した国道232号天塩バイパスとなり、途中の橋や、啓明と同時に設置された中川口仮乗降場も跡形なく消えている

⑫2012年開通した路盤転用区間の始点 バスは沿岸バスの豊富発札幌行特急「はぼろ号」
2016年9月撮影
⑬中川口仮乗降場跡 北川口方を望む 2016年9月撮影

天塩バイパスは北川口の手前で旧国道に合流するが、その手前の川口八号川に橋台がある

⑭川口八号川に残る橋台 2020年5月撮影

北川口は廃止後牧場敷地になっていたが、離農してしまったらしく、牧舎はガランとしていた。
駅跡はきれいに整地され、幌延方の路盤は、かつての踏切まで作業道になっていた

⑮北川口駅跡 振老方を望む 2021年5月撮影

羽幌線は北川口を出ると大きく東へ曲がり、「羽幌線」と記した立派な銘板がある振老跨線橋で再び国道をアンダーパスする
跨線橋から見ると、北川口方は樹林に没し、振老方はヤブになっているが、振老九線川には橋台が残っている

⑯振老跨線橋から振老方を望む 2011年7月撮影
⑰振老九線川に残る橋台 2022年10月撮影

旧振老小学校の手前にある振老六線川には、国道からは鉄の矢板で造られたような橋が見え、てっきり羽幌線のものかと思ったが、幅が広く鉄道橋には見えないし築堤もない。
念のためもう少し進むと両岸に橋台が残っていた。やはり前後の築堤はきれいになくなり橋台がむき出しになっている

⑱振老六線川に残る橋台 2020年5月撮影

5.振老~幌延

1/5万地形図「豊富」昭和52年修正・「雄信内」昭和55年修正に加筆 X印は廃道区間

振老には何もなく取付道路があるだけで、構内は草に覆われ、路盤の存在すら確認することは困難だった。

⑲振老駅跡 北川口方を望む 2011年7月撮影

振老の先の小河川には、両側の橋台と橋脚2本が残る

⑳振老の先の小河川にある橋台と橋脚 2021年5月撮影

国道232号が国道40号にぶつかる手前から、羽幌線の路盤は、国道40号から幌富バイパス(自動車専用道路)幌延インターチェンジへ直結する新しい道路に転用されている

㉑天塩跨線橋から振老方を望む 路盤跡にエゾシカが・・・ 2011年7月撮影

干拓と同時に設置された作返さくかえし仮乗降場の跡は道路の下となり、天塩跨線橋のあった区間の国道40号も廃道となった。

㉒左方からの国道232号と国道40号の合流点から作返仮乗降場跡を望む 2022年5月撮影
 

羽幌線は作返を過ぎるとすぐ天塩川を渡っていたが、同じ場所に国道40号の新しい天塩大橋が建設されている

対岸も道路化工事が進み、2023(令和5)年9月に完成、作返仮乗降場附近~天塩川橋梁跡~宗谷本線手前のカーブまでが、幌富バイパスを含む道路となっている

㉓国道40号の新しい天塩大橋の先 幌富バイパス幌延ICへの道路へ転用された区間
2023年9月撮影

幌富バイパスから分かれた区間は、宗谷本線の踏切から見ると、放置されている

㉔幌延手前の踏切から作返方を望む 路盤は左のヤブ 手前の川に架かる橋の跡はない キハ54 511は稚内行4323D 2011年7月撮影

幌延は現在も有人駅で、硬券入場券(2種類)もある。

駅本屋には、羽幌線代替バスを運行する沿岸バスの出張所も置かれていたが、2013(平成25)年に廃止、現在は、幌延町の移住情報支援センター「ホロカル」になっている。

㉕幌延駅舎 まだ沿岸バスの出張所があったころ 2011年7月撮影

構内は縮小されたとはいえ、木造跨線橋や細長い木造車庫があり、羽幌線ホームだった3番線にも、冬季の除雪用車輌のために線路が残されている。
ホーム自体も羽幌線営業当時と変わっていないように見える

㉕羽幌線が使っていた3番線ホーム(左) 2011年7月撮影
㉕ちょうど列車交換に遭遇 左のキハ54 511は稚内行4323D 右のキハ54 527は音威子府行4326D 2011年7月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は名寄本線です。

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