北海道の廃線跡探訪 第27回 羽幌線(3/7)鬼鹿~苫前間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第27回 羽幌線留萠~幌延間その3 鬼鹿~苫前間です。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.鬼鹿~力昼
鬼鹿を出ると、温寧川を渡る、オンネオニウシュカッペ川橋梁の鬼鹿方橋台があるが、そこへ向かう築堤の一部は神社の参道のため崩されていた。
鬼鹿市街を抜けると路盤は国道と同じ高さになり、小種子川にオンネトマリケシュオマナイ川橋梁の橋台が残るが、1963(昭和38)年6月設置の千松仮乗降場の跡はない。
千松の先の千松川橋梁や、道路と茶俊内川を一気に跨いでいた、茶俊内川橋梁も橋台だけになっている。
小平町と苫前町の境であり、橋台が残るサカエノ沢川のイチビルナイ橋梁を過ぎると力昼だが、ここも空き地だけが拡がっている。
3.力昼~古丹別
力昼を出ると、羽幌線は古丹別へ向けて再び山間部に入る。
国道からは金網でふさがれた第1力昼トンネル(100m)の入口が見え、第2力昼トンネル(212m)までは築堤が残っている。
第2力昼トンネルは中に水が溜まり、おまけに向こう側の明かりは見えない。
番屋ノ沢方からまわると、道路を跨いでいたところは築堤が崩されていた。
そこからトンネルへ向けて歩き、ヤブやササに悪戦苦闘しながら、第2力昼トンネルに何とかたどり着くことができた。
1955年3月設置、力昼集落の裏手にあった番屋ノ沢仮乗降場には、ヘタな駅舎も顔負けの立派な待合室があったが、その土台らしきコンクリート敷があるだけで路盤はヤブに覆われている。
海岸沿いの力昼附近には漁港しかないが、この附近には郵便局や小学校、神社や寺もあったから、仮乗降場が設置されたのも納得がいく。
番屋ノ沢を過ぎ山間部に入ると、路盤を一部再利用したと思われる、古丹別へ抜ける立派な道路(道道1062号力昼九重線)ができており、やがて左手下方に古丹別トンネル(661m)が見えてくる。
ポータルにはトンネルの名を書いた標識?が残り、内部の路盤にはバラストが敷かれたままになっていた。
用意してきたキャップランプを頼りに進んでいくと、古丹別方には水が路盤一面にたまり、通り抜けられなかった(タイトル写真)。
古丹別方にまわってみると、路盤らしきものは見えるが、下りられる道はなく、築堤上の道路から路盤を目指して直降した。
路盤にはフキやイタドリが生えてはいるが、まだそれほど生長しておらず、歩きやすかった。
トンネルの手前の切り通には雪崩防止柵も残っていたが、やはりポータル手前に水がたまっていて近づけない。
古丹別へ向け平地に出た路盤は、農地化されているところもあり、第1三毛別川橋梁の痕跡もなく、古丹別市街に入り道路化されて駅跡に至る。
4.古丹別~苫前
古丹別は早くから開拓が始まったところで、吉村昭の小説『羆嵐』のもととなった、三毛別ヒグマ事件で有名なところ。
三毛別ヒグマ事件については、下記投稿をどうぞ。
わざわざ海岸沿いからトンネルを建設してまで古丹別へ抜けているのは、古丹別がそれだけ羽幌線沿線で重要な集落だったからで、かつては営林署が置かれ、森林鉄道も出ていた。
同じ苫前町でもニシン漁で栄えた海岸部の苫前(本来の集落は海岸沿い)とは性格が全く異なり、別の町という気がする。
駅跡はバスターミナルとなり、あたりには商店のほかに旅館・農協・農業倉庫・製材所などが並び、現在でも古丹別市街の中心となっている。
古丹別を出ると、国道239号をくぐり、再び三毛別川を渡るが、跨線橋・第2三毛別川橋梁とも痕跡はない。
三毛別川の先から現れた路盤は、上平まで切れ切れに続いている。
上平は農地化され、民家への私道のようになった駅前通(「苫前町道442 南香川1号線」という道路標識が建っている)があるだけ。
この先でまた直角に曲がり、古丹別川橋梁を渡るが、ここにも橋の痕跡はない。
わずかに対岸の築堤が残り、その先の路盤は一部が直線化された国道に転用されている。
三豊地区のあたりから、路盤はクルマでも通行可能な未舗装道になる。
道路をくぐるところもあるが、これは羽幌線廃止後新しくされた道路で、路盤転用道をまたぐ橋は、列車が通れないほど小さい。
道路をくぐった先はパークゴルフ場となって消え、苫前に入っていく。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は苫前から羽幌を経て、天塩有明へ向かいます。
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