北海道の廃線跡探訪 第74回 標津線(7/9)春別~別海間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第74回 標津線その7 春別~別海間です。
この区間の路盤は春別と別海附近以外は、ほとんど放置状態ですが、遊歩道に転用された春別川橋梁、重太郎川橋梁やトコタン川橋梁が残っています。平糸にはホームがあります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.春別~平糸
路盤は春別から道道929号まで「SL散策路」として整備されている。
ガーダー3連の春別川橋梁は歩いて渡れるように手すりが設けられている。
春別川橋梁の先も、工場裏手までは森のなかを通る、緑の絨毯を敷いたような気持ちのよい道となっている。
途中からは、農地に入るクルマのため、何の変哲もない未舗装道になっているが。
春別と平糸との間では重太郎川と床丹川を渡る。
ちょうど中間にある北十二号道路の踏切跡から、路盤は両方向とも作業道となっている。
重太郎川橋梁方の作業道の終端からはヤブになり、そこをかき分け15分ほどで赤いガーダー1連の重太郎川橋梁に到着。
トコタン川橋梁方の作業道も途中までで、そこからヤブこぎとなる。
こちらはヤブが濃いところや路盤が崩れている(ヤブでよくわからない)ところもあり、大変だった。
なんとかトコタン川橋梁まで行くことはでき、こちらは赤い3連ガーダー橋だった。
トコタン川橋梁を過ぎ、北九号道路とクロスすると平糸となる。
2.平糸
平糸は1961年10月、開栄と同時に設置された仮乗降場だが、こちらは1967年4月、駅に昇格している。
北九号道路から平糸への通路は、牧草地とヤブの境目らしく、幸いトラクターの轍があったので、そこをたどってみた。
轍は路盤には向かっていないので、途中から路盤までヤブこぎをしなくてならない。
昼なお暗い森のなかに、ホームと崩れかけた待合室が見えたが、2020(令和2)年9月には待合室は完全に倒潰していた。
路盤は一面ササや樹木に覆われ、歩くのも困難なほどだが、春別方の踏切跡から見ると、大きく生長した樹木の間が路盤だと確認できる。
ホームは光進や上春別と同じコンクリート製で、上面にはカラマツの落葉がびっしり積もり、草も生え、廃止後の長い年月を感じさせる。
2.平糸~別海
平糸の先でポントコタン川橋梁を渡る。ここに行くにも平糸手前か別海方の踏切跡から路盤を通るしかない。
別海方のほうが近いが、ヤブが濃かったので、平糸方から行くことにした。
樹林のなかに残る平糸のホームのあたりはササが低いが、その先はところどころに木々が生い茂り、草丈もやや高くなる。それでも10分ほどで鉄橋を見ることができた。
道道に近づくあたりに、床丹三の川を渡る平糸川橋梁があり、ここも踏切跡から低いササに覆われヤブとなった路盤を歩いた。
廃止後設置された鉄橋への進入防止柵には解説板がつけられ、「別海町歴史文化遺産 第十一号 旧国鉄標津線床丹三の川鉄橋米軍空襲跡」とある。
しかし、踏切跡には標識や案内はなく、わざわざ路盤をヤブこぎして来る人がいるのだろうか。
標津線の駅跡や廃線跡をよく整備している別海町にしては珍しいが、たまたま訪れた時季が悪かったのかもしれない。
Iビームの鉄橋は木々に覆われ側面全体は見えなかったが、確かに弾痕らしきものがあった。
床丹二の川には道路橋から何とか近づけ、小さいコンクリート橋があった。
路盤は別海の手前では作業道となっているところもあるが、別海市街に入ると遊歩道「歴史の道 国鉄線路跡散策路 西別街道」となっている。
西別街道歩こう会の設置した看板によると、整備は2014(平成26)年8月とある。遊歩道は道道364号本別海別海停車場線の手前で終わっている。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は別海から奥行臼へ向かいます。
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