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北海道の廃線跡探訪 第59回 相生線(1/3)美幌~上美幌間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第59回 相生線美幌~北見相生その1 美幌~上美幌間です。
相生線は、駅跡や路盤はほとんど残っていませんが、終点の北見相生には道の駅が隣接し、駅構内や車輌が保存されています。
美幌からの路盤は宅地となり、つづいて公園となっていますが、相生線跡で数少ない鉄橋が残っています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.相生線小史
相生線は1923(大正12)年3月着工、翌年11月17日美幌~津別間、1925年11月15日津別~北見相生間が開業、全線36.8㎞となった。
相生線は本来、北見方面と釧路を結ぶ釧美線として計画されたが、1931(昭和6)年9月に釧網線が全通したため中止されている。
単なる盲腸線となった相生線は、沿線の開拓、林産物・農産物の輸送に大きな役割を果たしてきたが、戦後は林業の衰退や道路整備の進展により輸送量は減少していく。
国鉄再建法による第一次特定地方交通線に選定、1985年4月1日万字線・渚滑線と同時に廃止された。
3.美幌
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石北本線美幌は、相生線廃止年の1985年12月、相生線の資料を展示した鉄道資料館が併設された駅舎に改築された。
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裏手の日本甜菜製糖美幌工場や日本石油の専用線も廃止され、交換可能な島式ホームと保線用車輌の側線があるだけになっている。
2016(平成28)年から簡易委託駅となり、一時は切符類も販売していなかったが、2019年から観光案内所で取り扱うようになった。
しかし、鉄道資料館は2001年6月閉館している。
駅正面には、C58 62のナンバープレートと動輪、レールをあしらった美幌開駅60年記念碑がある。
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駅舎入口横の観光案内所の看板には、特急「オホーツク」のライバルである、高速バス「ドリーミントオホーツク号」の乗車券発売所と大きく書かれ、JRの駅にあるまじき?感じがする。
実質的な駅部分は平屋のところだけで、大部分は鉄道資料館を改装した物産館「ぽっぽ屋」と観光案内所(2階は美幌林業館「きてらす」)となっている。
キオスクも閉店し、めっきり寂しくなった待合室には、さよなら列車キハ22の正面窓をくり抜いた写真を使った「顔出しパネル」があった。
このパネルは、2016年美幌博物館で開催された企画展「相生線でGO!」の作成されたもので、駅舎内ではこれが相生線を偲ばせる唯一のものだった。
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相生線が発着していた、駅舎に附随する1番線のホームは今も残るが、線路は撤去されている。
ホーム上には花壇がつくられ、改札口からは入れなくなっている。
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4.美幌~上美幌
石北本線と並んで南東方向へ向かう相生線は、道道122号の踏切の先で北東へ向きを変える石北本線と離れ、南西へとカーブしていく。
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路盤は宅地化され、国道39号の跨線橋も平面化されている。
航空写真を見ると、住宅が路盤の両側につくられた道路の間に1軒ずつきれいに並んでいるのがよくわかる。
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美幌町役場手前で道路となった路盤は、やがて青山公園の遊歩道となり、国道243号の旭跨線橋をくぐり旭通仮乗降場へと至る。
跨線橋は架け替えてはいないが、きれいに直されている。
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旭通仮乗降場は、1955年8月豊幌・高校前と同時に新設されている。
駅跡には、ホームの名残なのか、レールを使った土留めの一部があるだけ。
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旭通仮乗降場から2㎞ほどは、魚無川に沿った「せせらぎ公園」として整備され、まったく面影はなくなっている。
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公園の先はヤブとなった築堤となり、魚無川にはガーダー橋が残っている。
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橋の先は少し歩くことができ、人道橋に改装されたIビームの鉄橋が架かっていた。
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Iビーム橋の先でヤブとなった路盤は、やがて築堤となり、美富沢川には橋台が残っている。その先は上美幌の手前まで農地化されている。
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上美幌は部分開業時からの駅だったが、昭和30年代に早くも無人化されている。
駅構内は三十九線道路から、芝生のきれいな「上美幌ふれあいの森パークゴルフ場」となっている。
元の駅前通りにも商店などはなく、駅があった雰囲気はなくなっていた。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は上美幌からへ|布川《ぬのかわ》へ向かいます。
※胆振線の第5回御園~京極間で、地形図を入れるのを忘れてしまいました。地形図を入れた訂補版にしました(下記)。
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