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北海道の廃線跡探訪 第4回 天北線(4/10)中頓別~浜頓別間
1.はじめに
ご訪問ありがとうございます。北海道の廃線跡探訪 天北線の第4回です。
今回は、中頓別から下頓別を経て浜頓別までです。
中頓別には、駅跡のバスターミナルに資料室があり、キハ22形気動車も保存されています。
市街から少し離れた国道沿いの寿公園には、9600形蒸気機関車もあります。これらは旧天北線沿線唯一の保存車輌です。
下頓別にはホームや駅名標などがそのまま残されていますが、国道を天北線の旧路盤につけ替える工事が始まりました。
なお、これからの投稿予定路線などは、下記記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.中頓別
中頓別町は旧天北線沿線では浜頓別町につぐ町だが、2023(令和5)年10月現在の人口は1,500人あまり、天北線廃止時のほぼ半分となっている。
天北線は市街地をまわりこむように北東から北西へと90度曲がり、市街の北東端にある中頓別駅に至る。
駅跡はバスターミナルを中心とした天北線メモリアルパークとなっている。バスターミナル2階には天北線の資料展示室があり、天北線の主要駅と同じデザインの駅名板も掲げられている。
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バスターミナル横にはキハ22 208と腕木式信号機が保存され、ゲートボール場利用者の休憩室兼物置として使われていた。
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2023年に再訪すると、側板下部が腐蝕のためか撤去され、台枠が剥き出しなっていた。
さすがにここまで傷みが進むと将来が案じられ、町民有志による、修復への協力などを依頼する案内が掲げられている。
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3.中頓別~寿
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路盤を転用した「中頓別駅前線」はカーブして国道に突きあたり、そこから分かれた路盤は少しヤブになって残るが、すぐ宅地になって消えている。
平賀内川に架かる比羅加内川橋梁も痕跡なく、次第に国道と離れていく。
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国道沿いにある寿公園には、室蘭本線追分で構内入換に使われた、国鉄最後の現役蒸気機関車のうちの1輌だった9600形49648号機が保存されている。
中頓別駅跡のキハ22とは対照的に定期的に塗装され、よい状態を保っている。
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寿手前の子持川橋梁(南の沢川)・奥堀川橋梁(尻無川)・蚊出川橋梁(熊の沢川)には橋台が残り、前2者には歩行者用の狭い木橋が架けられているが、南の沢川の木橋の手すりは崩れ、ただの丸太橋のようになっている。
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農道から築堤へ上がれようになっており、熊の沢川方にはクルマの轍も残っていた。
尻無川方もかつてはクルマが通れたらしく、路盤のヤブは歩けないほどではなかった。
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寿手前の一己内川にはIビーム2連の葉蘭川鉄橋が残るが、駅跡は牧場敷地となり痕跡はない。
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4.寿~新弥生
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牧草地を横切った天北線は頓別川を渡り旧国道とクロス、国道の寿トンネル手前で分かれる旧国道からヤブをかき分けて川岸を見ると、第8頓別川橋梁は跡形もなくなっていた。
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新弥生は1959(昭和34)年11月仮乗降場として設置、JR発足時に臨時駅に昇格、さらに同年12月駅となっているが、実態は仮乗降場のままだった。
駅への取付道路は、国道から少し舗装が延びているのでかろうじてその存在がわかり、そこをたどるとヤブのなかにコンクリート製のホームが一部崩れながらも姿をとどめている。
手前には倒潰して屋根だけになった待合室?がヤブに埋もれていた。
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5.新弥生~下頓別
新弥生を出てまた頓別川を渡り浜頓別町に入る。この第9頓別川橋梁も国道から離れ接近できなかったが、航空写真では撤去されているのがわかる。
小沢川には枕木が残るIビームの橋があり、名無川には橋の跡はないが、連載取材時にはその近くに「昭十五・四」との標識がある通信柱が建っていた(今はない)。
新弥生と下頓別のちょうど中間あたりの鬼河原川にも淡緑色のガーダー橋があり、すぐ横を並行する国道からよく見える。その先の黒川にも小さい鉄橋が残っている。
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6.下頓別
下頓別はちょっとした集落のなかにある。路盤は集落の手前にあるバス待合室のあたりから未舗装道となり、そのままホームの横を通っていた。
駅跡にはホームや駅名標が保存され、ホームの土留めには上頓別と同様古レールが使われている。ホーム上面をはじめ、まわりもきれいに草が刈られ、よく手入れされている。
2023(令和5)年、下頓別の手前から路盤を新しい国道への転用する工事が始まっていた。ホームのすぐそばが国道となり、静かで落ち着いた雰囲気が失われてしまうが、残ってくれただけでもよかった。
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(2017年8月撮影の写真は冒頭にあります)
7.下頓別~常盤
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下頓別からも路盤は道路化工事中で、途中にあった小さなガーダー橋(魁川橋梁?)も撤去されていた。
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常盤にも痕跡なく、交叉する道路に踏切跡が確認できるのと木製電柱が1本立っているだけだった。
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8.常盤~浜頓別
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常盤を出ると、第10頓別川橋梁を渡るが、ここも撤去されてまったく跡形はない。
天北線はここから国道と離れて浜頓別に向かい、途中から浜頓別町の管理する林業専用道常盤線になっている。
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路盤を転用した林業専用道常盤線は、浜頓別まで市街地手前で終わり、そこから路盤は市街地に埋もれ、一部が遊歩道になっているほか、痕跡はなくなっている。
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駅構内を避けて曲がっていた国道も直線化され、天北線と興浜北線を跨いでいた跨線橋も撤去され、駅跡へと続く広大な公園となっている。
今回はここまでです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。次回は浜頓別から浅茅野へ向かいます。
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