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構図が綺麗すぎてあの名監督の憧れ。静を極めた物語『東京物語』

イントロ

  こんにちは!!この記事を開いてくれてありがとうございます。女子高校生のryncaです!

 突然なんだけど、私さ、最近さ、青春映画めっちゃ見たんよ。日常系のやつ。今までスポーツ!とかバトル!!とかそーいう少年漫画系の青春アニメとか映画とかは観てきたんだけど、日常系って通ってこなかったからさ、

だからなのか、なんか、めっちゃ青春アンテナが敏感になっちゃってさ笑  ことあるごとに青春感じちゃうんよね!笑

「次の授業なんだっけ?」っていう学校での会話とかもそうだけどさ、悪ふざけで電車と競走してる時とかさ、信号が赤の時に信号機に話しかけてる時とかさ、なんかもうくだらないことから何から何まで全部青春に見えちゃって!

で!しかもそーいう時に友達と「今めっちゃ青春じゃない?!やばァい!!」とかはなしちゃってんのよ!!もう、やめてくんない?!いい加減にしてよ。ほんとに。青春すぎだろ。さすがに。大好きなんだから。そーいう時間。もぅ。あぁ。ほら。こーやってマックシェイク片手にnote書いてる今も青春になっちゃってんじゃん。はぁ。青春ってなんなんだろう。

はぁい!っていう感じで最近青春に浸りまくってるこの頃なんですけど笑

 そろそろ本編入っていきますよ!第3回『羅生門』のあとに取り上げるのは、、


構図が綺麗すぎてあの名監督も憧れる。静を突き詰めた物語『東京物語』

あらすじ

 終戦後。敗戦という現実と向き合い、静かだが活気を取り戻そうとしているそんな時代。そこになんも変わりのない老夫婦(夫  周吉・妻  とみ)が暮らしていた。
 ある日2人は子供たちがいる東京の街に旅に出る支度をする。再会を楽しむ2人は地域の人と会話を重ねたあとすぐに家をでる。しかしそこに待ち受けていたのは家族の絆が切れた糸だけだった。
 上京してきた2人の相手をするのは戦死した次男の妻(紀子)だけ。血の繋がりはないが寄り添ってくれる紀子は老夫婦の心を癒しそっと温めていく。
 歳を重ねるごとに薄れていく家族への愛情。それをリアル過ぎるほどに描く孤独で静寂な物語。今では対象的な東京で起こる、今でも変わらない人間の愚かさに心が痛くなる。

作品の大まかな情報

 この作品は英国映画協会(BFI)で2012年「映画監督が選ぶベスト映画」部門で1位に選出された監督小津安太郎の作品である。あのゴダールやキアロスタミ、ヴェンダースなど世界を代表する名監督をもが小津の作品を重宝している。黒澤監督と並ぶ、世界で非常に敬愛されている監督といえるだろう。

小津調

 ローポジションによって映し出される数々の場面。音もなく、動きもなく、ただただ計算され尽くした構図が続く。まるで映画ではなく、古家の建築写真集でも見ているかのような気持ちをさせられる。それほどまでに実に写真的で数学的で美しい。
 そんな数学の美を追い求め続けた独自の技法は今後『小津調』という名の伝説の演出として知れ渡ることになる。そして『小津調』に惚れるということは自分がいかに理系脳かということが思い知らされる。

 「私は画面を清潔な感じにしようと努める。なるほど汚いものを取り上げる必要のあることもあった。しかし、それと画面の清潔・不潔とは違うことである。映画ではそれが美しくとりあげられなくてはならない」
 そう小津監督は語る。そして平然とグラスの中のかさを揃え始め、物の高さを直線にする。驚くべきはそれが物だけでは留まらないこと。人の頭の位置が直線で結べるようにしたり、三角形を作れるようにしたり、体の角度を全て同じにしたりする。そして全ての場面でこれを怠らない。あのヴィム・ヴェンダースが「形式的厳密さを好む作家がその好みを徹底させた場合、逆に驚くべき自然に達し、ほとんど生なましいドキュメンタリーであるかのように思われてしまうことがある。」こう絶賛してしまうほどに小津監督は悪魔的に自分の表現に固執している。まさにこれが『小津調』の真骨彫であり、誰しもが憧れた小津監督のこだわりと言える。

体の角度を全て同じに

 そして俗にそれは非常に日本的とも思える。
 日本を代表する視覚的芸術、浮世絵。小津作品には浮世絵の表現技法が使用されている。(下の写真はエブギン シェムセッディン・『浮世絵が小津安二郎の映画の表現形式に与えた影響に関する研究』から)

『東京物語』と『富嶽三十六景  甲州三島越』の比較


 絵画と映画という正反対と思われる視覚的芸術。しかしそこでは同じ表現技法が受け継がれている。そして今ではそれが世界にまでも認められるようになった。
 小津作品、そして日本の伝統的な作品は、膨大に広がるこの世界で今も誰かの心にその種を植え付けている。

(ちな、私もその1人!!ホントに小津作品に出逢えてよかった!!てか、今まで出逢えてなかったのが辛いくらい、、笑   ”映画”っていう新しい世界がまさかこんなに広い だなんてびっくりだよね!もっと映画のことしっていきたいですね!!よし!映画見よぉ!!)

普遍的な脚本

 「永遠に通じるものこそ、常に新しい。」
 親への思いは歳という目には見えない人間の呪縛によって消え失せていく。無意識に、自然と。100年近く前に描かれた家族の道末は100年後の今でも普通に起こっている。時代も変わる、文化も変わり続ける中で家族というただ血が繋がっている関係も本当にただそれだけであり続けている。この家族の悲哀が、小津監督が生涯描き続けたテーマである。
 まさに『東京物語』はそれだけを、家族の悲哀だけをモノクロの世界に残した。それがなんだか私にはこれからの暗示のように見えて、酷く恐ろしく感じた。そしてその事実を信じたくなかった。
 娘達に1本の速達が届く。
『母、危篤』
 東京で見せていた元気な姿とは裏腹のその事実に子供達は驚きを隠せなかった。
 手のひらサイズの電子箱ではない、立て掛けられた黒い電話でやり取りしている子供達。慌ただしい日常に実家に帰るという急用が入る。何枚も続く日の丸構図に映し出されるのは長女(志げ)の悲しむ顔、、ではなくただただ迷惑そうに目を細め頭を搔く姿だけだった。長男(幸一)に向かって、厚田雄春の持つカメラに向かって、
「(喪服を)持ってって役に立たなきゃこんな結構なことないんだもの」
 と面白くもない冗談を口角を上げた口が言う。この口の持ち主は人間の呪縛にかけられ、親に対する愛と敬意を忘れてしまっている。悲しいのはそれが人間の真意であり、昔も今も変わることの無い”普通”であるということ。
 ”普通”な日常に垣間見えてくる残酷さと冷酷さ。それがどんなに人間の薄情な心に刺さるかを小津監督はよく知っている。だからこそ人間の愚かさを表現すると共に、人間であることの後悔と美徳をフィルム越しに伝えていったのである。
 ここでもまた1人また1人と人間の恐ろしさを見直す者と小津監督に惚れる者が増えていく。

アウトロ

綺麗すぎる構図

 え、待って、好きすぎる。やばい。大好き。
 最近映画観始めて、どれもちょー面白くて大好きなんだけど、今までにない感動。好きすぎる。
 観る前にね、構図が綺麗とかは聞いていたんよ。でもこんな綺麗とは聞いてないって。こんなに画面止めることないよ。今まではね、役者の表情とか何となく綺麗だなって思った時は画面止めてたんよ。でもなんか今回は違ったんよね。見入っちゃうっていうか、見惚れちゃうっていうか、見れば見るほど綺麗で、、
 ほんと好き!!!!!もう、なんなの!!大好き!!

 でもほんと大人になりたく無くなるんよな。あーなりたくないって思ってもあーなっていくものなんかね。はぁ、辛い。
 てかこれが”普通”とか考えたくない!!!なんなの!人間って!大人になりたくないよォお、、、もうずっと高校生でいいかも、、、
 ってガチで思ってたんだけど!!変わりました!
 この後にキアロスタミの『桜桃の味』と二宮隆太郎の『逃げきれた夢』観たのよ!!このふたつ観たらね、ほんと大人好きになる笑笑  だからいい感じに中和し合ってなんかいい感じになってるから!!大人になりたいです笑笑  大人って暖かい笑笑  おい!!どっちやねん笑笑

 まー笑  まー笑  つまり?!『東京物語』を観たあとは『桜桃の味』と『逃げきれた夢』を観ることをオススメします!!笑笑(←意味わかんない笑笑)

 おっけぇ!終わりますね!笑
 今回はなんかまじめにめっちゃ語ってたけど、高校生のちょっとの厨二を「俺もこんな時期あったなぁ」って暖かい目で見てくれださい!!笑笑

 では!ここまで記事を読んでくれてありがとうございます!!また次回でお会いしましょ!バイバイ(^_^)/~~

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