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#7 図書館というところ(2)引っ越しからのパニック編

 #5からの続き

朝日と教会の庭

1.入居当日から

半年の都会生活を経て現在の所に移動したのは17年前の8月下旬。

新しい家は前のオーナーさんが10年宿をされていた物件で、引っ越し当日の午前中まで営業されていた。

午後2時以降の入居というで、トラックに乗せた荷物と共に借りていた部屋を出発。

内見の時と一度営業の様子を見に来てもいいよと言って頂いた時以来、初めて鍵を使って新居入り。

宿の経営は自分達が決めたこととはいえ、不安とはまた違う、これから何が起こるのか予期するべきことすらわからない心境でドアの中へ。

私たちが引き継ぐということで、使ってみえたものはほぼ全て残していかれたため、なんならその日からでも営業はできたが再オープンまでの時間は3日。

宿の経営なんてしたことがないのに3日って何?!

図書館から続く通り

(ここに至るまでの経過はまた別の記事で)

あまりの短さで聞いたときに絶句したが、前オーナーさんの好意で交代後の宿泊予約も取ってくださっており、その最初の予約が入居から3日後に入っていたのだった。

とはいえ事前に2回しか建物に入れなかったのと、備品などの細かい説明がなかった。あっても覚えきれなかったかもしれないけど。

そこからの2、3ヶ月は自分でも何をやっているのかわからない異常事態で過ぎてしまい、実際どんなふうにしていたのか細かい記憶がない。

こちらへ来る前は楽しみにしていた紅葉が、駐車場へ行こうとふと外を見たらすでに枯れ木だらけで唖然としたのは覚えている。

家から出たり入ったりしていたのに全く気づいていなかったのだ。

そんな心に一ミリの余裕もない状態だったので、家の向かいに図書館があることをつゆとも知らず過ごしていた。

家と図書館は通りを挟んで向かい合っているけれど、その間に広場があるのが少しの言い訳。

窓から外を見ると向こう側には教会、オフィス、その横が図書館で普通の家とは思っていなかったがこじんまりとしているので気付かなかった。

夫は昔この町で暮らしていたことがあり知っていたが、図書館が二人の話題になることはなかった。

図書館入り口

2.ハロウィーンのお客さま

入居して約2ヶ月後、ハロウィーンの夜のお客さまのことをよく覚えている。

ニュージャージー州からみえた50代くらいのご夫婦で、見かけも喋り方もこちらの方だと思ったが、実は南米出身で英語は勉強してから喋れるようになったとおっしゃっていた。

仕事はお二人共カジノのディーラーという職業で、私達と同じくお客様と向き合うお仕事。

たまたまその日の宿泊はご夫妻だけで、それなら夕食に町のパブに行くから一緒に行かない?久しぶりでしょと誘われた。

引っ越しと同時に宿を営業してから初めての外食。

何をする余裕もなかったので、外でご飯を食べるということがこんなに特別なことだったのかと思うくらい、最初は仕事というか家のことが気になって落ち着かなかった。

食事がすすんで帰りがけに奥様が、
「英語の上達には本を読むこと。なんでもいいから読むの、そうすればうまくなるから。私達もそうして覚えたのよ。」とおっしゃった。

お二人の英語はとても流暢だったので説得力があり、久々のお酒で軽くなった頭にもその言葉はよく染みた。

しかし、季節の変化もわからない生活をしていたので当然本とは無縁。

そんな私が読書に行き着くまでにはしばし時間の経過が必要だった。

朝霜

3.ついに図書館へ

引っ越しをして初めての秋が終わり、庭の木々が落とした葉っぱをかき集める作業に追われたり、初めての雪かきをしている頃だったかもういつのことか定かじゃないけど、やっと向かいに図書館があることに気づいた。

夫に「あの建物って図書館だったの!?」と言ったら「そう。」とあっけない返事。

普通ならそんな大事なこと黙ってるってどういうこと?なのだが状況が普通じゃなさすぎた。

そうだったのかと、改めて実は図書館だった建物を窓から眺めた。本の詰まった図書館が家の前にあるなんて、本来なら夢のような話。

そしてある日のこと歩いて1分、ついに入館。

見納めの紅葉

4.もうここは都会じゃない

いざ入ってみると外観は小さいのになんと3階建てだった。下から児童書、中高生用+実用書、一番上が小説。

ロビーには雑誌や新書、ソファーとテーブルがある部屋もあった。さらには古い資料を集めた部屋、壁には油絵、イベントスペースなど外からは窺い知ることもできない充実ぶり。

しかしどこを探しても日本語の本はない。どころか必要ないけど英語以外何もない。

もうここは都会じゃないことを実感する瞬間。

取り敢えず雑誌を開いてみたが、ページをめくるごとに読めない英語に意気消沈していく自分。

他の本も見てみたがだんだん手に取る気力も失って、なんとなく館内をぶらぶらして帰ってきた。


   ん...これじゃつまらない


家の前に図書館があっても全くもって意味がない。

小2の時、F君に勧められたあの本を(#5図書館というところ1)頑張って読んでおけばもっと勉強好きになって、今頃英文もスラスラ読んでいたかもしれない。

が、現実はさっぱり英語のできない30代半ばの自分がいるだけ。

しかしここでさあ勉強だー!とならない性分と当時の忙しさも相まって超ギリギリ英会話の日々が延々と続く。

そして、向かいに図書館があるのに行かないという宝の持ち腐れは、娘が生まれとんでもない読み聞かせをする(記事#2)まで続くのだった。



 最後まで読んでくださり
     ありがとうございました

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