見出し画像

神様は見ている

今回は名古屋、岡崎、四日市へ!名古屋では市政資料館、科学館、食べ歩きを満喫。岡崎では大好きなYouTuberの聖地巡り。四日市では四日市公害と環境未来館と、工場の敷地を訪問してきた。雨が心配だったが、(何故だか分からないが、急激に力が強くなってしまった)晴れ女パワーでむしろ暑すぎるくらい晴れてくれた。
岡崎にいった日に、龍城(たつき)神社でお参りをして、おみくじを引いた。そのおみくじが本当にすごくて、ずっと私のことを見ているんじゃないかレベルで当たっていた(結果は内緒🙊)。心が乱れて自分勝手になったときに、このおみくじを思い出して自分を戒めていきたいと思った。
その日の夜に高専時代の友達と3人で通話した。3人と言っても、私は2人の話をほぼ聞いていただけだった。政治家たちの救いたい「日本人」は誰なのか、勉強を頑張るほど浮いてしまうのは何故なのか、どうして死ぬ気で勉強するほど奨学金という借金が重くなるのか、学生は勉強が本分なのに勉強を一生懸命やっても社会から「スキルが足りない」と言われるのは何故なのか、ありのままの自分を正直に出しているのに面接で落とされるのは何故なのか、借金を返せる程の仕事に就いて親孝行ができるかどうか不安でしかたがない…。2人の話を聞いていると、自分ってかなり恵まれた環境にいて、それを良いことに楽してきたんだと思い、何も言えなくなってしまった。私は両親のおかげで奨学金を借りるほどお金に困ったことがない。「被災者」というアイデンティティがあるから自分の体験を語れば社会からの注目を浴びやすいし、多くの大人の方に助けてもらえて、苦しい位置でもあるけど楽な位置でもある。大学に入学して授業は片手で数えるくらいしか行けなかったけど、同じ大学に行った高専の友達のおかげで大学でも新しい友達ができた。私がこうやって、自分にとって良かったと思える選択ができているのは、周りの人の助けがあったからなんだと改めて気づかされた。それなのに私は全部自分が頑張ってきたからだと勘違いしていた。2人の話を聞いていると自分の努力は全然足りないし、周りの人に感謝できてなさすぎてガッカリしてしまった。そう、前の方にも書いたが、おみくじも教えてくれたように、上手くいっているように感じるのは私だけの力じゃない。神様ってちゃんと見てるんだな。そして自分が自分勝手になっている時、2人みたいに、いつも大切なことを思い出させてくれる人が周りにいる。私って本当に恵まれた環境にいるんだなあ。
それにしても、どうして2人のように努力している人ほど、どんどん苦しい状況に追いやられてしまうことがあるんだろう。就活のガクチカで、どうして「大学で誰よりも勉強を頑張りました」じゃ足りないと言われてしまうんだろう。学生として本来やるべきことを一生懸命に、それも教授から言われたこと以上のことをして頑張っているのに、何が足りないっていうんだろう。2人がどういう思いで勉強をしているのかは分からないけれど、7年間も仲良くさせてもらってきて、テキトーな気持ちで勉強を続けているような人たちではないと思う。起業やアルバイト、サークル、ボランティアなどといった活動も、本当に素晴らしいことだと思うし、様々な失敗や挫折、成功を経験することで自分を成長させてくれるものだと思う。そういう人たちをとても尊敬する。だけど、勉強も同じだ。様々な失敗や挫折、成功があり、自分自身を成長させてくれるものだと思う。納得するかたちになったかは別として、私自身、高専時代に死ぬ気で卒業研究をやって、その過程で心が折れそうになったり、その時に友達が助けてくれて持ち直したり…勉強にだって自分を大きくさせてくれるストーリーで溢れてる。それなのに、それだけじゃ足りないってどういうことなんだろう。……すみません、就活が上手くいかなくて休学した人間のぼやきです、、、。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?