Adventure Time

何となく思ったこと

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最近の記事

「お前の鬱がうつったわ笑」

大好きだった人と大喧嘩したときに言われた言葉。私にも悪かったところがあったとは思う。私の落ち込みやすい性格が、知らないうちにその人の心を蝕んでいたのかなとも思う。疲れさせてしまったんだと思う。言われた当時は、もちろん泣いたけど、「なんだ、このゴミ糞カス野郎」みたいな感じで、すぐに乗り越えられた…と思っていたけど、意外とその言葉がトラウマになっていたなと最近になって気づいた。思い込みすぎかもしれないけど、自分の存在を全否定された気がした。 私は、震災前から環境の変化に弱かった

    • 彼らはなぜ叫ぶのか

      大学も始まり「心機一転頑張るぞ」と心に決めたのに、GW明けの5月病も相まって、課題も授業もままらなくなってしまった。研究で被災地を取り上げたのだが、怒りや悲しみが止まらない。「彼らの悲痛な言葉、それでも必死に前向きに生きる言葉がこれだけあるのに、どうして何も変わらないんだろう」。これだけ多様な人が生きている世界で、自分たちが思っているように社会が変わるわけないのは分かっている。すべてがすべて悪い方向に進んでいるわけではないことも分かっている。私が社会を変えられるなんてできたこ

      • 我が国の民主主義

        この日のニュースはあまり見ないようにしている。でも自分の身近な人がテレビで取り上げられてたから今年は少しだけ見てみた。 辛くなるかなと思ったけど、一周回って面白かった。こうやって、声を出したくても出せなくて、声を出したとしても届かなくて苦しんでいる人が置き去りにされていくんだな、と。新しいものができていくことが復興なんだな、と。不謹慎極まりないけど、感動的な言葉だけを切り取って、後ろでは感動的なBGMが流れるのがまた滑稽で面白い。 別にメディアを叩きたいわけではない。民主主

        • どうせ、明日も生きる

          私の人生の目標は誰も見捨てないことだ。私にできることなんかほとんどないし、私一人が何かしたところで何も変わらないと思う。こんなことを言っているけど自分が気づかないところで誰かを見捨てているかもしれない。それでも私は無可視化されていく人に寄り添っていたい。彼らが笑顔になるまで傍にいたい。それが私に幸せにもなるから、正直自分がどうなろうと構わない。

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        「お前の鬱がうつったわ笑」

          言葉は痛くて、でも優しい

          この間、友人と久々にお出掛けをした。ランチ中に卒論の話になった。その時に友人は「国会の中継とか見てて『責任』っていう言葉がよく出てくるけど、その言葉を聞くたびに呆れてしまう」と言っていた。私はその言葉にとても共感した。「責任」だけじゃない。「復興」もそう。あまりにも無責任に発せられる言葉が多すぎる。 「町民に帰ってきてほしい。」じゃあ、なぜ住む家を確保してくれないのか。じゃあ、なぜ数年で出ていけと言うのか。「町を復興させたい。」じゃあ、なぜ町の復興のアピールをするためだけに町

          言葉は痛くて、でも優しい

          語り部って何なの?

          私は高校生くらいの時から、「語り部」と言われるような活動に携わらせていただいてきた。語り部をやっていると、嫌でもあの日のことを思い出さないといけない。それだけでもう、1日何もできなくなるくらい落ち込むのに、語り部をやった後はもっと落ち込んでしばらくの間毎晩泣いてしまう。何で落ち込むのか。理由は様々だと思う。あの日から自分の弱さや情けなさ、無能さを知ってしまったから。怒涛の避難生活のなかで、自分があまりにも役立たずだったのが今でも許せないから。語り部をやった後に、「あなたの言葉

          語り部って何なの?

          思いの行方

          ※ 不快に感じる文章かもしれません。自分勝手で申し訳ありません。でも本音で書きます。こんな人もいるんだ程度で読んでください。 行くかなぁ…どうするかなぁ…。 最後の最後まで悩んで、行くことを決めた今回の広島スタディツアー。 広島が嫌いだからではない。むしろ、今年の8月に訪れてから、絶対にもう一度広島に行く!と思ったくらい好きだ。それから、戦争や原爆のことについて学ぶのが嫌だからでもない。むしろ、もっとちゃんと勉強したい。ただ、自分が感情的になってしまい、場を凍り付けるよう

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          閉じておきたい蓋

          今年の5月末に、ある会議で話題提供者としてお話をさせていただいたことがあった。その会議のなかでは、福島の"復興"の現状についてや、自分自身が感じている語り部としてのモヤモヤについて話をした。そのときの質問で、「『震災や故郷のことなどを思い出す・話すのが、忘れてしまいたいほど辛い』という人には、どのように震災・故郷のことを話すようにしていますか?」というようなものがあった。私はこの質問にどのように回答すべきか悩んだ。最終的に「蓋をしてある箱は、蓋をしておいた方が良いからしてある

          閉じておきたい蓋

          ネバーギブアップ……

          広島に原子爆弾が投下されてから77年。友人と一緒に、初めて広島平和記念式典を訪れた。平和記念公園内では活動家の方が沢山集まって、自分達の想いを表現していた。ロシアによるウクライナ侵攻もあり、多くの人が核廃止や戦争反対を訴えていた。式典中に、友人に話しかけていた「被爆者」のお婆ちゃんもいた。私は横で2人の会話を聞いていた。周りの音もあってあまり聞き取ることができなかったのだが、この1年に1度しかない式典ででも良いから、その当時の経験やずっと抱え続ける悲しさや辛さやモヤモヤ、戦争

          ネバーギブアップ……

          また、あなたに会いたい

          このことについて書いても良いのか分からず不安だったが、自分の頭を整理するためにも言葉に残しておこうと思う。一個人の意見として読んでいただけると幸いです。 最近「命」について今まで以上に考えさせられることが多くなった。戦争に巻き込まれた人、東日本大震災に遭った人、身を削りながら必死に働いた(働かされた)人、事故(?)の犠牲になった人。それがなかったら生きていたはずの人の命。2度と繰り返してはいけない死。 でも、つい先日開催された東日本大震災の伝承活動のこれからについて考える

          また、あなたに会いたい

          終わらないものを終わらせないために

          名古屋観光を満喫した後、私は友人と三重県四日市市に向かった。純粋に四日市ぜんそくのことを知りたかったのと、過程が違えど、一度ふるさとを壊されてしまった人たちがその後どのように生活していったのかを知ることで大熊町との向き合い方のヒントを得られるのではないかと思ったからだ。 四日市という場所は、今までに味わったことのないような雰囲気を醸し出していた。日中、道には家族や学生、会社員っぽい人たち、車でいっぱいだったのに、夜に友達と歩いていたら、もう19, 20時?くらいにはちょっと

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          神様は見ている

          今回は名古屋、岡崎、四日市へ!名古屋では市政資料館、科学館、食べ歩きを満喫。岡崎では大好きなYouTuberの聖地巡り。四日市では四日市公害と環境未来館と、工場の敷地を訪問してきた。雨が心配だったが、(何故だか分からないが、急激に力が強くなってしまった)晴れ女パワーでむしろ暑すぎるくらい晴れてくれた。 岡崎にいった日に、龍城(たつき)神社でお参りをして、おみくじを引いた。そのおみくじが本当にすごくて、ずっと私のことを見ているんじゃないかレベルで当たっていた(結果は内緒🙊)。心

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          「悲劇のヒロイン」から抜け出したい

          語り部(語り部というほどのことをやっているか分からないが)をやっていると、自分自身の経験や気持ちを語っているはずなのに、だんだん自分ではなくなっていく感覚がある。いや違うか…自分ではなくなっていく感覚というよりかは、辛くなるだけだから語り部を続けたくないけど、語り部をすると皆に受け入れてもらえる感じがして、でもそれでは本当の自分ではなくて「『大熊町出身』の私」だから受け入れてもらえるのかなと思って、そんなの嫌だから「さっさと大熊町から抜け出そう」と思っても皆に受け入れてもらえ

          「悲劇のヒロイン」から抜け出したい

          機織りと「もやい直し」

          浮浪雲工房で初めて綿繰機、糸車、織機を見て、私は大興奮してしまった。小さい頃、大熊町図書館でよくDVD を借りて見ていたトミー・デ・パオラという絵本作家の『チャーリーの赤いマント』というお話がある。羊飼いの男の子が自分のマントを作るのに、羊の毛を剃り、その毛で糸を紡ぎ、木の実で赤色に染め、織機を使って素敵な赤色のマントを完成させるお話。その工程がたんたんと描かれているお話なのだが、何かとても惹かれるものがあった。全部手作業でマント1着を作るのに季節を跨ぐくらい長い時間がかかっ

          機織りと「もやい直し」

          行き場のない怒り

          緒方正人さんに「内なる世界を変革するためには深い反省が必要とのことですが、深い反省とは何でしょうか?」と質問した。緒方さんは「土地や生き物に対して祈りをささげることだと思います」とおっしゃっていた。私たち人間が自然に生かされていること、そのことが近代化の中で不可視化され、自然への畏れを忘れてしまったことで、その代償がすべて人間に降り注いでいる。緒方さんは、父の命を奪ったチッソを許せなくて怒り狂っていたことがあったそうだ。しかし、水俣病患者の運動を続けていくなかで「システム」と

          行き場のない怒り

          自然に生かされている

          前回の投稿で自然のお話を少しだけしたが、リアルガチで水俣の自然の中には特別な何かが存在している気がした。杉本肇さんに初めての漁船を体験させていただいた。初めての経験だったのもあったし、ちょうどその日は白波が立っていて海がザブンザブンとなっていたのもあり、船の上でギャーギャー騒いでしまった。最初は杉本さんがわざと船を揺らしているのかと思い、初対面にも関わらず「わざとやってますか?!」と必死になって杉本さんに叫んでしまった。そのくらい海の凄まじい力を五臓六腑で感じた。これは酔うな

          自然に生かされている