「原則」について


今ちょっと思いつく範囲で。

・まず、「グラデーション」。


他でも書いたけど、何でもシロとクロには別れない。
固定されず、善も悪も何でもそのようになっている。
場面場面、瞬間瞬間で意味というのはその都度変化するだろう。
悪いモノもいい部分があり、逆も然りと。
なので、普遍性のある完全な正解は得られないという事。
同じ物であっても変質する。
なので、ひょっとしたら数学もそうなんじゃないかと疑っている。
例えば人間の手の指が3本だったらどんな変化が起きただろうか?
数字も認識を変えたらまるで別のモノに変わるかもしれない。

・次に落差、或いは「コントラスト」相対化。


要は基準となる比較対象がある事によって、その特性は際立つと。
エンタメの定石、メロディも作劇も造型も必ずこれがある。
全員大谷翔平だったらどんなに上手い選手であろうが価値は飽和する。
漫才もコントもメロディも上振れと下振れありきで感情を動かすのだ。
箱ビジネスも同様で、箱内のポジションにより個性が発生するハズだ。
要は比較対象ありきと。

・そして、「バランス」。

例えば贔屓と差別は結果的に同じ意味になるハズだ。
三権分立の監視体制。
三国志演義の「天下三分の計」のロジックもそれである。
敵味方を完全に分けてしまう事で、逆に不均衡によって混乱する。
故・安倍晋三はこのイメージで外交による国家防衛を果たしていた筈で、
逆に現行の政治がバランスを崩したからこうなっている。
バランスが悪いから日本は戦争の当事者になってしまったと。
椅子でも何でも力点が一つだと安定しないという事。

・あと、「バイオリズム」、波形。


これ要は、「初動の動きは強くなり」、やがて上昇曲線は緩やかに、
そして頭打ちになり、徐々に下降し始める原則。
ソシャゲが判り易いだろう。
パズドラが一番大きかったはずで、母数が増えるとパイの奪い合い、
それと常態化する事でユーザー側の飽きが来て、価値が飽和していき、
徐々にリターンが得られなくなってゆくと。
全ての技術がその筈で、ピークに近づくほど効果は少なくなる。
最初はどんなに革新的だったものでもやがて行き詰ると。
どんなに美味い飯でも飽きて来て、やがて食いたくなくなってゆく。
喉が渇くなら最初の一口が一番美味いが、飲み過ぎると吐く。

こういうモノを全部紐づけて事象を観察し因果関係を読み解けば、
色んな事が見えてくるのだが、学校教育ではこれを学ばせない。
根拠なく他人の正解、他人のルールを鵜呑み・丸暗記するのだ。
これで勉強するほど原始人へと近づいていく事になる。

だからバカばかりになる。


で、この記事はそのリバウンド、カウンターであり、
バイオリズムの上方曲線という事になるね。
当然、これも行き過ぎると頭打ちの価値観になるだろう。
そして次にはまた逆のリバウンドが起きると。

仮に千年王国を作るには、バイオリズムの波を人為的に制御し、
いい塩梅で上下の波が行き過ぎないようにリバウンドを起こすと。
これで幸不幸を大事にならない程度に抑えれば安定する。
バブルのように順風満帆だとすぐに行き詰るという事。
こういうのは反面教師を少しづつ差し込むのが適切かと思う。
小さな失敗を経験すれば大きな失敗が起きなくなると。

江戸時代が本当に安定して存在したのであれば、
何らかのそういう心理的な制御があったんじゃなかろか?
普通二代目経営者がボンクラになる様に世代をまたぐとおかしくなる。
一世代目はロジックであり、二世代目は他人の受け売りだからだ。
なので一世代おきに浮き沈みが発生するのが人間だろう。
おそらくこの辺を本当の教育として学ばせないと歴史は続かない。
江戸時代にはそういう心理的な仕組みがどこかにあるハズだ。


そういう話。

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