シャア・レクター・夏油


明らかにこれらのモチーフは同じかと。
言い換えれば「闇落ちしたHSP」ですね。

シャアは腐敗した人類を淘汰しようとしましたし、
羊たちの沈黙でのレクター博士は利己で生きる人間を家畜と見なした。
呪術廻戦の夏油も同様に、非術師を自分たちを迫害する愚種とみなし、
シャアと完全に同じ行動をとろうとしてる。

彼らはHSPのメタファーとして同じ役目を与えられている。
マイノリティとして迫害されるHSPが優性思想で反乱を起こすと。
同様の事をギレン・ザビは「スペースノイド」の括りでやった。

無垢の巨人・機械化人・権威主義者であり、デビルマンの群衆。
カッコウの巣の上での医者であったり、上級国民と言われたりと、
そんな思考停止の彼らに異端視され、迫害されてきたのがHSPとなります。
ガンダムにおけるニュータイプ。
現実世界でHSPに対する魔女狩りは日常として行われている、
それが虐待やいじめの原理でしょう。

クリエイターは多かれ少なかれこれと近い経験があるからテーマも似ると。
アニメーターが製作委員会に搾取されるのも同様のニュアンスであり、
エヴァンゲリオン劇場版の観客席の映像の意図もこれでしょうね。
鵜と鵜飼の関係は奪われる側の鵜からすれば思うところもあると。
これミザリーのプロットも同様です。

アムロ・クラリス・五条悟はそれぞれ人類を守るHSPの役目。
いわばダークサイド・ライトサイドのHSPの戦いになると。

シャアや夏油の面白いのは、それぞれアムロ、五条に劣等感がある部分。
自分より高度なHSPである彼らが「なぜ腐敗した人類を守るのか?」と。
アムロからすればシャアはニュータイプとして格下な訳で、
シャアからすれば優秀なアムロが悪人たちの味方になるのが許せないと。
これは夏油も五条に同じ劣等感を持っていた筈、おんなじ。

逆に五条やアムロから観た夏油やシャアは愚種に観えてもおかしくないと。
更に言えばこういう劣等感を持つこと自体が俗物だったりするワケで、
その自己矛盾まで押し付けられるが故、意地でも「自己証明」に向かうと。

下手すればアムロや五条が居なければ、彼らはその自己証明の必要が薄れ、
凶行を踏みとどまっていた可能性まであるのがこの設定の面白い部分で、
このスパイスの為にシャアも夏油も主人公より弱く描かれているのかと。
劣等感を共有してる、まさに同じ設定。

またレクター博士におけるアムロの役目は、
クラリスの上司、「レッド・ドラゴン」の方の主人公でしょうね。
一応、(名前は忘れましたが)ライバルとしての存在でしょう。

レクターからすれば、この二人は自分の同類であって家畜ではないハズ。

羊を救いたいクラリスをサポートするのはレクターからすれば当然で、
数少ない自分の同類を助けたかったわけです。
クラリスの持つ共感能力をおそらくレクターも持っていて、
ただそれは自分が同類と認識した相手にのみ適応されると。
クラリスが羊を救いたいと想う利他の心が、レクターにも共鳴したと。
彼は被害者ではなく「マインドの高いクラリス」を救いたい訳です。
ニュータイプ同士の共鳴でしょう。

HSPは大体同じような設定を思いつく。
おそらくこれは原則としてテーマが最初から存在するからでしょうね。
この世には魂のある人間と魂の無い人間が居て、
それを救うべきか淘汰すべきかの戦いがある。

アムロや五条は愚種を守り、夏油やシャアは淘汰して浄化すべきだと。
レクターの場合は家畜の中を上から目線で飄々とやり過ごし、
興が乗れば少しづつ食ってゆく。

おしまい。

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