【感情と得体の知れないもの その3】
数々の強い感情を手放してきてなお、
なぜにまた波に呑まれているのか。
「別れの季節」に、何があるのか。
自問する中で見つけたものは、
強力な「切なさ」であり、「無力感」であった。
*
案の定、それは幼少期の光景だった。
自営業をしていた我が家では、夜でも来客が
多かった。
当時の田舎ではよくある光景だったのだろうと
思う。
酔った父と来客が口論になることも、
時に殴り合いになることも、
父が母を罵倒することも、
1階で繰り広げられているそれらの喧騒は、
2階の寝室まで届いていて、
私はよく耳にしていた。
来客が帰った後になってもなお、
商談なのか何なのか、酔った父の命令で、
母が運転手となって出掛けていくこともあった。
2階の寝室で寝ているはずの2人の子供を置いて。
1階が静かになるたび、私は目が覚めていた。
両親が2階に上がってくる気配がない時、
私は、カーテンを開けて駐車場を見ていた。
そこにあるはずの車がない時は、
胸が締め付けられるほどの、
不安と恐怖に襲われていたのを思い出す。
小学2、3年生の頃だったように思う。
夜の闇の中に置いていかれることは、
見捨てられて、放置されたような感覚だった。
傍らで寝ている妹を起こさないように、
両親が帰宅するまで、
幾度となくカーテンを開けては閉じて、
眠りきれない夜を過ごしたことが何度もあった。
*
両親には、
寂しさや悲しさを伝えたことはなかった。
だからこそ、私の中では「傷」となり、
大人になっても長いこと、
「分離不安」
みたいな症状が出ていたのだろう。
*
自分ではどうすることもできない、
時期が来て変化を待つしかない、
圧倒的な「切なさ」を抱えて生きていた
小学生の私が、窓辺に立っていた。
「待たせてごめんね」と謝った。
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