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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第3話 実家

諸説あるが1529年享禄2年頃 、宇喜多直家は砥石城に生まれたとされる。砥石城は祖父宇喜多能家の城で父興家が直家が幼少のおり、しばらくして継いだばかりだった。西大寺と備前福岡というこの地の産業中心町を見渡す要衝の城である。現在の岡山県瀬戸内市邑久町豊原の千野平野に突き出た標高100mほどの砥石山山頂にあった。

備前福岡は福岡県の名の由来となった町である。黒田官兵衛で名高い黒田家の先祖はここから立身したと云われている。
また城を失った宇喜多興家、直家が西大寺の豪商阿部善定に匿われ隠れ住んだともいわれている。

中央にビンと一本大通りがあった。その左右を大きな商家が取り囲んでいる。少し裏に折れると大小の商店がある。
『浮田大権現の時は大層発展した町だったそうだが、今は寂しくなったんだとよ。』
一平次が小声で話した。刀鍛冶『福岡一文字派』の職人達の信仰厚い神社の参道の茶屋で餅を食わせる約束だ。
『酒は頼むなよ、ワシのおじいは酒を呑んで船から川に落ちてくたばっちまった。何十年も船に乗ってたのにだぞ。酒は船頭には禁物だ。』
誰だって酒に酔って吉井川に落ちたら、逝っちまうだろうよと小文太は思ったが、ひ祖父は屋根から落ちてくたばっちまったらしいので人の家のことは言えない。黙って聞いていた。
漁師には漁師の大工には大工の事情や教訓はあるもんだ。

餅餅騒いでいたわりには一平次は『どどめせ』を頼んだので小文太も小女に頼んだ。『どどめせ』はばら寿司のような料理で福岡の名物だった。
一平次は足りないのかうどんも食った。
小文太はやめておいた。ここから実家まで四里のほど(1里は約4km)歩かねばならず、腹をいっぱいにしたくはなかった。
福岡の対岸まで渡して貰い、一平次と別れた。

初夏でまだ肌寒く。歩くには良かった。
『ただいま~。』
玄関でわらじを脱いでいるとお袋が水桶をもって現れた。
『なんだよ、また自分でやってんのか?』
『おかえり。私ゃね、人を使うのは嫌なんだよ。人を使うと気遣いとお足がいるだろ?』
『使ってやれよ。あんたらみたいなもんが小僧や小女を使ってやらねぇと世の中が回んねぇだろ。食えねぇもんもいるんだからよ。お足の話じゃねえよ。』
『犬猫じゃあるまいし、小さいもんがいれば行く末まで心配してやらんとおえんようになる。あんたはあっちで配下組のもんの面倒をみてやってんのかね?。』
『ちゃんとやってるよ!親父は?!』

足を洗って廊下を歩いて行く間も母は小文太に付きまとって質問攻めにした。夕方の日差しが半開けの障子越しにじゃれ合うように話す母子を染め始めていた。


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