カレーライスとハヤシライスはどちらが「正しい」か
モラハラ被害者の心理って、まだまだ世の中に知られていないところなんだな、思うところがあった。
DV被害者もそうなんだけど、
「好きだから」我慢して一緒にいるとは限らないと思う。
そういうところもないわけじゃない。
加害者はいつもひどいわけじゃなくて、超絶優しいときもある。
「超絶優しい彼が本当の彼」
と思い込んでしまう。
うちの元夫も、結婚してからも、記念日は大切にする人で、わたしの誕生日にはプレゼントやサプライズ、結構手間をかけてくれてた。
ナイショでフラワーアレンジメントを注文していたりとか。
あとは、
「わたしが悪くて彼が正しい」
「彼を怒らせてるわたしが悪い」
「本当の彼は優しい」
これが洗脳状態。
今となってはなんでそれで彼が正しいと思ったのか?ってことはたくさんある。
でも、そのときはそういうものだと思っている。
いま考えると、どっちが「正しかった」というのはわからないこともある。
ハヤシライスよりカレーのほうが正しい?
どちらが好きかは言えるけど、正しいなんてない。
このレベルのことを、「おまえは間違っているから、正しいほうに従え」と毎日毎日刷り込まれて、
洗脳されているのが、モラハラ被害者なのだと思う。
そのうち、「自分には価値がなくて、(加害者)がいないと生きていけない、生きている価値がない」
と追い詰められていく。
わたしはこのとき、「我慢している」という自覚はなくて、
むしろ、夫に「俺は我慢している」と言われるたびに、
「申し訳ない」と思っていた。
これって考え方のくせみたいなものらしくて、
わたしはまだ、完全にはその支配下から逃れられていないのではないかと思う。
どうすれば水面に顔を出すことができるのか。
もがいている途中の気がする。
何が言いたかったかというと、
きのことたけのこってどっちが好きかは言ってもいいけど、どっちかが「正しい」っていうと戦争になっちゃうよね。
いや、きのこが正解に間違いないんだけど(違)
ある日のビーフシチュー
夕飯の支度をしようと思って、買ったまま使っていないビーフシチューのルーを見つけた。
どうして使っていないかというと、夫が「カレーのほうがいい」ということが多くて使いそびれていたのだ。
体調がすぐれず,
買い物に行きそびれたが、料理はできそうな感じだった。
カレーっぽいものを作ろうとすると必ず、
「カレーのほうがよかった」
って言われるけど、わたしはたまにはシチューやハヤシライスや肉じゃがが食べたい。
でも、「カレーさえ作っておけば夫の機嫌がよい」のだから、なんとなくそうなっていた。
その日はカレールーを切らしていたし、わたしが体調がすぐれないという事情もあったし、許してくれるだろうと、ビーフシチューにした。
牛コマを使ったビーフシチュー。
帰宅した夫は玄関を入るとご機嫌な様子だったが、キッチンを覗くと顔がこわばった。
おそらく、匂いでカレーを予想していたのだろう。
夫は深いため息をついた。
「俺、今日の仕事すごい大変な日だったんだ。それなのに、なんで夕飯のメニューがシチューなわけ?マリィもわかってくれてると思ってたし、妻ならそれくらいのこと把握しとくべきだと思うんだけど」
カレーは毎週作っていること、ビーフシチューはわたしは食べたくても年に1回くらいしか作らないこと、わたしが買い物に行けるコンディションではなかったこと、などは考えに入らない。
なんか仕事で大変なことがあるよ、というのは聞いていた気がするけど、それが今日だったということまではわたしは知らない。
でも、この話を元夫が語るとしたら、
「仕事で大きな山場を越える日に、妻が嫌がらせに俺の嫌いなメニューを夕飯に作った」
みたいなことになったりする。
加害者はわたしだ。
モラハラ離婚は裁判で勝てないっていうのはそういうことなんだろう。
結論
とりあえず離婚できてよかった。バンザイ。
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