命を頂く事について/仏教
本日は食事や人間以外の命について
お話しをさせて頂きたいと思います。
食事を頂く時
命を頂くから食べる前に頂きますと
手を合わせるのは皆さん知っているかと
思います。
世の中には
動物の命を殺してお肉を食べる事を否定し
これを良く思わない方もいるようです。
確かに殺生するわけですから心が痛みますし
そんな方も心苦しい痛みがあってこそ
そんな思いで言われているのでしょうから
良くわかります、私もその痛みには共感します。
ですが人間というのは骨の髄を食べ脳が成長し
人を思いやる心が生まれた事も事実です。
この世は生老病死であり誰も避けることの
出来ない世界です。
お釈迦様は出家される前に土にいるミミズを
鳥が食べているのを見てとても心が傷つ
き悲しんでおられました。
これが生きる苦しみの1つ、生であります。
この世にいるとどうしても自分の思い通りには
いかないのがこの娑婆であり
娑婆とは忍土と言われています。
命を頂くという事は生き繋ぐという事ですので
食べなければなりません。
お釈迦様の様に命を尊いと思うから
こそ痛みや悲しみ感じます。
その感じる心を耐え忍ぶものである
苦の1つと思います。
ですので
命を自己犠牲してくれた動物や魚に感謝して
手を合わせ命を繋がせて頂いた事に
頭を下げていくのです
そして残さずに頂くのです。
これは最低限の礼儀であると思います。
お肉やお魚、野菜など様々な
命を頂き私達は生かされているのです。
命を大切にする心があるのなら
精一杯その命を生かし切るために今度は
自らが人様の為に体を使い心を使い自己犠牲して
恩返しをしていくのです
これも諸法無我であります。
動物の命だから食べちゃいけないという理屈は
他の米や魚や野菜だって動物と同じ命ですから
矛盾した考えです。
その理屈を通すならば何も口にせず食べないで
生きていかなければなりません。
それで生きられれば良いのですが
それでは死んでしまいますから
そうもいかないのが生き物です。
形や能力は様々ですが
動物も魚もお米も人間と全く同じ
平等な命を頂いています。
そこを履き違えてしまうと動かないものだから
尊い生き物とは思えないと誤解をして
差別をしてしまいがちです。
先ほどもお話ししたように
私達には
やるべき使命があって生まれ
生かされています。
その為に自己犠牲してくれた命に感謝し
使命を全うしようと思う事
これも命に対しての恩返しではないでしょうか?
様々な考えはありますが偏った考えは破綻します
調和が整いませんし目的も達成し辛いでしょう
全ては繋がり合っていて助け合い
感謝して 恩返しをしていく
食事を通じて教えて頂きました
また1つ深まらせて頂けました。
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