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本当の自己犠牲とは/仏教

自己犠牲と言うと何か辛いことを耐えて

嫌々しなければならないと思いがちですが

本来はそうではなくてこの人のためなら

何とかして幸せになってもらいたいと

思って行動する事です。


特に好きな人になら無条件で自分の持っている

もの即ちこの体も心も命も捧げきって

施すことが出来ると思います。

痛みや苦しみに耐えることが決して自己犠牲では
ありません。

自分のしたいことは差し置いてでも

人が救われるために人が幸せになる為に

自分を捧げきっていくことなのです

それが本当の快楽であり喜びです

それが本来の私達なのです。


そこに気づき一人一人が持つ才能や能力 知識

それを生かし一人一人が頂いた役目を

果たしていくのです。

それでこそ本当の調和であり

本当の仕事と言えるのです。


だから人と違っていて当然であり

そうでなければならないのです。

各職種や業界にも様々な人はいますしその中で

またやり方も無数に派生しています。

だから誰かと同じ様にその世界の主流に乗る
必要もありません。

貴方の持って産まれた感覚や心を頼りに

自分の心を信じ歩けば良いのです。


お金も大切です、食べ物も大切です

でもそれは生きているから必要なことであって

第一ではありません。


仕事というとイコールお金を稼ぐという

のが当然のように思われます。

確かにそうなんですが本来の意味を

もう少し深く考えますと

それだけではないのです。


仕事とは他に仕えて事を成すという意味です。

相手の幸せ もしくは相手の要望に応え

成就させると言いましょうか、仏教徒であるならば

いや

法華経行者であるならば仏様に仕え

人々の本来の心を取り戻すべくこの身も心も

惜しむことなく使い

仏様の願いを成就させる役目がある。

そう思うのが仏教徒の仕事であります。


例えば主婦の方はお金はもらわなくとも精一杯

朝から晩まで家族のために家事や料理 育児など

しています。

母親がお金をもらわなければ やりませんなどと

言う人はまずいないでしょう

これは家族が愛おしい存在だからこそ無条件で

そこまで頑張れるのです。

 母親、もっと言えば両親というのは

そうやって正しい姿を見せてくれています。

これが本来の私達の姿であり

慈悲の心であります。


ですので仕事というのはお金を稼ぐばかりが

仕事ではなく相手の幸せを願って

この身も心も捧げていくことではないでしょうか。


道林禅師のお言葉に


道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし


とのお言葉があります。

どういう事かと申しますと

衣食住や高級なバックや時計や車などが

整ったからと言って道を求める心は起きず

欲を貪る心の人には衣食住も得られず

本当の人としての道を歩むものには

御神仏様は、衣食住や生きる上で必要なものは

必ず与えてくださる


そんな意味合いです。


人は生活に必要な物が手に入らなくなったり

お金が無くなっていくと不安になり

苦しくなります。


不安というのは変化を無視し

物質はいつまで有ると思い込み

執着することから生まれます。


そうすると何とかして得たいと思うので

自分や相手にも嘘をついたり騙したり

それがこの世だと曲がった根性が顔を覗かせます


ですがそんな事すら御神仏様にお任せしきって

ただひたすらに私達一人一人頂いた役目を

果たせば必ず与えてくださいます。

そんな気持ちでいれば不安もなくなり欲も

消えていきます。


自分の好きな人、もしくは大事な人に

幸せになってもらいたいという心を

起こす事。

これによって私達は行動に移すことが

出来るのです。


ですので冒頭の自己犠牲の精神こそ

人が幸せになる第一歩であると思います。


しつこいようですが苦しみや痛みに耐えることが

自己犠牲ではありません。

これでは自他共に自滅します。

相手が幸せになるように己の持っているものを

生かして精一杯 心も身体も使っていくのです

その苦悩こそ本物の創造であります。


本日は本当の自己犠牲とは何かお話させて頂きました。



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