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どんな人でもどんな場所にいても徳は積める/仏教

お経を上げる事やお供え物 

布教や教えを説く事や水行、滝行など

これは立派な修行であり善行ですが

こればかりが善行ではありません。


相手に何もしてあげられないと悲しむ人もいます

そう思う気持ち自体が尊いと私は思います

何故なら相手を慈しむ尊い心だからです。

その願いや祈りは人を幸福にします。


必ずその思いは何かしらの形となり

相手に届くのです。

これを回向と言います。

回向とは回り向かうものと言う意味で

自分がした善き行いは必ず届き自分に返ってくるのです。

読んでいる方の中には具合が悪く動けない方もいると思います、私は何も出来ないと落胆する方もいるかと思います。


でも大丈夫なんですよ、

ベットで横になりながらでも

人の幸せを願えます、何らかの理由で

家から出れないのであれば家事手伝いも

家族の為にする立派な善き行いです

もし一人暮らしなら電気や水

食事を頂ける事を感謝して使わせてもらう

という その心が善き行いになります。

共に暮す動物の世話をするのも動物の役に

立ちますのでこれも立派な善き行いです。


こうしてどんな事であってもどんな場所でも

徳を積む事は出来ます。

これを仏教では道場観と言います。

道場観とは

どんな場所であっても徳を積み

どんな場所であっても気付きがあり

教えも広まり安心した心持ちで日々生きていける

と書いてあるのです。


だから人と比べず安心して徳を積んで

幸せになれるのです。

仏様は絶対に悪いように道を導く事はありません

罰も絶対に与えません

起きたことは何らかの原因があって起き

因の元は私達ですので何かの蓄積で

起きた事です。

ですので仏様は人を苦しめてやろう等と

考えるような存在ではないのです。

だから深く帰依出来る有難い存在だと

わかって頂けると思います。


宗教団体に入らなくてもいいから

日々感謝して手を合わせていく事が

幸せの一歩でもあります。

朝目が覚め生かされた事に感謝申し上げる

こんな清々しい朝はありません。


もし家族や恋人にバレるのが恥ずかしければ

朝と夜だけでもこっそり仏様に手を合わせて

本日も生かしてくださりありがとうございますと

声に出す、もしくは心の中で唱えてみてください

必ず心は清々しくなりますから幸せになれます。


話しは少しそれましたが

どんな人でもどんな環境でも

人は善い行いをし、大それた事をしなくても

徳というのは積んでいけるのだという

お話しでした。


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