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悪人は争いがない/仏教
少しわかったぐらいで全てを悟った様な顔をしている思い上がりを仏教では増上慢と言います。
バラモンが真理を難しく伝えようとした時
お釈迦様は優しく伝えなさいと諭したと
お話しを何処かで読んだ事がありますが
難しい事を難しく伝えるのは
自分が知っているんだという
ただの主張に過ぎなく愚かな人がする事であり
難しい事を優しく深く伝えるのが賢者であり
とても大切です。
道元禅師の御言葉にこんな言葉があります
善人の家に争いごと絶えず
悪人の家に争いごとなし
いつまでも私はまだまだ足りない人間であり
悪人だと思う謙虚さがあれば人の弱さを知っていますので相手を責めるわけでもなく許す事が
出来ます。
ですが自分は真理を悟ったんだとか俺は他の奴とは違う選ばれた善人だと思い上がり勘違いすると、偉そうになり相手の過ちを許せず
自分が正しいと争いが起きます。
俺が悟った、俺が1番、俺が教えてやっている
俺が悟った事が以外間違え
俺は特別な人間だとか
ちょっとわかってくると人間は思い上がり
こんな哀れな顔が出てきます
それが苦しみ、争いの種になります。
そして
照らし合わせるものもなく信奉するものがない
状態の悟りは身勝手な答えを導きやすく
どこまでいっても
教えて頂くという素直な謙虚な心が
私達を幸せに導き生かしてくださると
思っております。
謙虚とは己の我を虚しくするという意味です。
自分の事より先ずは人様、その心をいつでも
忘れずにいられたら謙虚に生きていかれると
思います。
人のふり観て我がふりを正し
もっともっと素直に純粋に謙虚に生きたい
と思いました。
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