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忍辱とは善きものに変える勇気/仏教

前回、仏教は自由自在なんだと

書かせてもらいましたが

前回よりも

もう少し深堀りしてお話したいと思います。


この世は無常ですから死ぬまで全く同じ

生活が毎日出来るとは限りません

ご存知のように思いがけぬ事が起きるのが

人生です。

誰かと喧嘩してしまった 

体の具合が悪く寝たきりで

何にも出来なかった

不眠になってしまって寝れずに辛い

予定していた事が出来なかった

注文通りのものが届かなかった

誰かに誹謗中傷をされ

怒りと悲しみに満ちた1日だったとか

そんな日も生きていればあると思います。


でもそれをそのままにしていたら

本当に最低最悪な心で1日が終わりますが

少し見方を変えていく事も出来ます

例えば

両親や、夫婦、恋人や友達や共に暮す動物と

今日も一緒に過ごせた

これが出来なかったけど

こんな事は昨日は出来たな、

あんな事言われたけど、あの人には優しく

出来る自分がいた

もしくは人に優しく親切にしてもらった

今日は深く寝れた等

善き所が探し出すと1つや2つあるものです。



善きものに目を向ける努力と勇気を持つと

悪いものや汚いものが消えていき

心が温かくホッとし安心していられます

それが私達の本当の幸せだと思うのです。


六波羅蜜という教えの中に忍辱という

ものがあります。

忍辱とは耐え忍ぶという意味ですが

苦しい事は日常生きていればあり 

苦しい方 悪い方に気持ちが

持ってかれやすく

心の中をそんな気持ちが充満して

苦しくなります。

ですので私達は中々プラスに思う事が

出来ません。

これば本当に中々、難しい事ですよね。


例えば

貴方が愛おしいなぁと思う人

もしくは共に暮す動物などを 

思い浮かべてみて下さい。

その時 嫌な事がそれでも浮かびますか?

それどころか慈しむ心 優しい嬉しい気持ちに

なると思います、これが慈悲なのです

これは仏様と同じ心であるといっても

過言ではありません。


こうして

悪しきものに心を支配されない様に

善きもので埋め尽くしていく努力をする事も忍辱

であり本当の意味で己に打ち勝つという

事ではないでしょうか。


もっと最上なのが

人の為に生きる善き習慣を持つ事

これが出来れば尚更

私達の心は幸せで充満していく事でしょう。


日常生活は日々変化していく無常であります

この世は苦が普通の状態とされ娑婆は忍土

という意味ですので苦しみはつきものです。

ですので、こういうふうにして

苦を善に変えていく事で私達の心は起きた事に

執着せず囚われない心になりますので

自由自在に生きる事が出来るのです。


本日も最後まで読んで頂き有難うございます





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