イマジナリーフレンド
花火の音が聞こえる。何となく読んでた本を閉じてみる。ここ最近は毎晩のように花火が上がってるような気がする。私は幼い頃打ち上げ花火の音が聞こえる度に「どこかで戦争でも起きてんじゃねぇか」と想像してオドオドしていた。おおよそそれは私がバトル系のゲームにハマっていたからだろうけど。花火は美しい。花火一つ一つに職人の想いだとか、ある種の願いみたいなものが詰まってる気がする。こち亀で読んだだけなんだけど、花火玉1つ作るには相当な時間を要するらしく雨で中止になった時なんかは言葉にできないような思いをするらしい。それでも何とか完成させてひと夏の思い出を私たちに届けてくれることに感謝しかない。今年は気分転換に見に行きたいと思ってます。
イマジナリーフレンド、というものをご存知だろうか。子供の時に見る空想上の友達。全員が全員見える訳では無いけれどそういうものに頼らざるを得ない状況で成長をしていく。その人にしか見えない何かとして確かに存在していて、当の本人にとってはどんなおもちゃよりも大切なもの。成長していくにつれ「それ」は見えなくなってしまうんだけど、きっと心の中では生き続けている。
妄想、と聞くとなんだか霧がかかっていて存在していること自体が曖昧なもののように感じてしまう。だから、頭の中で考えていることが全て見ることが出来たらなと思うことがよくある。自分でさえ何を考えているかわからないのに、他人に見せて「あなたはどう思いますか」なんて聞いたらどんな答えが返ってくるのだろう。変なやつ、とか言われんのかな。面白いな、って言われんのかな。現実では出来ないことも頭の中だったら可能になる。頭の中だったらヒーローにだってなれるしアーティストにだってなれる。そういう妄想に取り憑かれながら今まで生きてきたから、現実見ろなんて言われてもこっちとしては見たらおかしくなるレベルまで到達しているから何とも言えない。あの道曲がったら人が出てくる、って予想して本当に出てきた時には驚いた。それっきりないけど。
花火の音が止んだ。本は片付けてしまった。私だったらどんな花火をあげるのだろうと考えてみる。そんな毎日が続いています。
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