宇宙への「ミスオーダー」と「オーダーミス」(その1)
今はどうかは知りませんが、以前は、「自分が欲しいものを宇宙にオーダーする」というような表現がありました。
で、引き寄せの法則とかもその路線での話なのでしょう。
では、「今日のふうさん」のお話です(笑)。
初めにお断りしますと、以下の話はフィクションであり、特定の人や世界などとは全く関係ありません(笑)。
あと、書いていてわかってきたのは、これ、いろいろと階層があるようで、書いているうちに私も混乱したりしたので、それを表記上も区別しようかとも思ったんですが、さらにややこしくなってきたりしたので、あえてそれはやめました。
例えば、今、ラーメンが食べたいので、食堂に行ってラーメンを食べようとしたとします。
で、食堂のおばちゃんにラーメンを注文しました。
ところが、「あいよ」として届いたのは、なぜかラーメンではなくそうめんでした。
で、「いえ、私が頼んだのはこれではありません」と言ったんですが、おばちゃんはニコニコして、「いいえ、あなたが頼んだのはまさにこれですよ」と言います。
ですが、目の前にあるのはどう見ても、ラーメンではなくそうめんなわけですよ。
さて、一体何が起こったのでしょう。
ここで感情に訴える必要性を感じて、「私が頼んだのはこれじゃない!」と叫んでも、なぜか食堂のおばちゃんは取り合ってくれず、しかも、訴えれば訴えるほどおばちゃんの表情は険しくなり、そして、急に店の奥に引っ込んでいきました。
いぶかしがっていたら、店の中に警察の人が駆け込んできて、「この人ですか」とおばちゃんに確認して、おばちゃんは「はい、そのお客さんです」と警察の人に言っていました。
どうやら、「危ないお客さんが暴れている」と警察に通報があったらしいんですね。
で、警察官の事情徴収が始まりました。
こちらとてしは、「ラーメンを頼んだはずなのにラーメンが来なかったので、オーダーミスを全身全霊で訴えた」という以外、何も話すことはありません。
ところが、話せば話すほど、警察官の方も怪訝な顔をするわけですよ。
で、とうとうたまりかねて、こちらの話を遮って警察官の方が言うことには、「あなた、自分が何を言っているのか、分かってますか?」と言うんですよね。
私「もちろんわかっていますとも」
警「えーと。。。あなたはね、まさに自分がオーダーしたものが届いたのに、「これは違う」と言い張っているんですよ。それは一般的には「言いがかりをつけている」といいます。おわかりですか? 日本語わかりますか? なんなら英語で、Do you see?」
私「いえ、私が注文したのはこれじゃないんですよ。なのに、誰も取り合ってくれないんです」
警「えーとですね、今、現にあなたに起きたこととしては、まさにご自身が注文したものが届いたわけなんですが? にもかかわらずあなたは、「これは私が注文したものではない」と言い張っているわけです。ですから、あなたのおっしゃっていることは、率直に申し上げて「了解不能」です。ですから、「自分が注文したものが届いたにもかかわらず、「これは私が注文したものではない」と、あくまでもしらを切るのであれば、精神の病の可能性が疑われますが、よろしいですか?」
私「だから、これは私が注文したものじゃないんですってば!」
警「どんなに声を荒げても、あなたのおっしゃっているのは言いがかりですから、通りませんので。あなたは確かに、そうめんを注文したんです。そして、そうめんが届いたにもかかわらず、「これは私が注文したものではない」と言い張っておられるわけですよ。おわかりですか?」
私「だから、私が注文したのはそうめんなんですよ! なのになんで、こんなよくわからない麺が来るんですか! ここの食堂の方は、わざと客の注文を取り違えるような、変なルールでもあるんですか!」 それなら私ではなく、食堂の人の方が精神の病なのではありませんか!」
警「……えーとですね。。。あなたは今ご自身でも、「自分はそうめんを注文した」とおっしゃいましたね? そしてあなたの許には現にそうめんが届いたわけですよ。ですから、注文は正常に処理されています」
私「いえ、これはそうめんではありませんから」
警「……もしかしてあなたにとっては、これはそうめんには見えないとかですか?」
私「おっしゃっていることがわかりませんが。私はそうめんを注文したのに、実際に届いたのはそうめんではなかったと申し上げています。警察としては、あるいは社会常識としては、これがそうめんに見えなければ「正常な人」として通用しないということですか? ということは私はこれから、そうめんが食べたいときには「そうめん」以外の言葉で、例えば「ラーメンをください」とか言わなければならない、ということなのですね?」
警「えーと、そうめんが食べたいのであれば「そうめんをください」と言えば済むことですし、実際にあなたは、「そうめんをください」とおっしゃったと、食堂の方は証言しています」
私「……おっしゃる意味が分からないんですが。繰り返し申し上げますが、私はそうめんを注文したのに、実際に届いたのはそうめんではなかった、という、シンプルなことについて正当なクレームをつけただけです」
警「あなたは「そうめんをください」と注文したので、店はそうめんを提供しました。店には問題はありません。あなたは、「そうめんをくださいと注文したのにそうめんが届かなかった」としてクレームをつけています。整理すると、このようなことが起きています。おわかりですか?」
私「わかりません。私はそうめんを注文したのに届かなかったので、「注文違いだ」と言う必要を感じたという以外、何もありません」
警「だ・か・ら。あなたの目の前にあるのはそうめんなんです。ですから、あなたはそうめんをそうめんだと認めることができないという、何かの障害をお持ちなのかもしれない、としか、こちらとしては言いようがありません。私は警官であり医師免許はありませんから、あなたがあくまでもご自身の「正しさ」を主張するのであれば、これ以降は精神科医に引き継ぐ必要が出てきますが?」
私「私は単に、そうめんはそうめんに、ラーメンはラーメンに見える人ですが? それが何か問題ということですか? もしかして警官の方をはじめ、食堂の方も、そしてこの世界の人は皆、そうめんがラーメンに、あるいはラーメンがそうめんに見える呪いにでもかかっているとか、おかしなことになっているんですか?」
警「そんなおかしなことは起きてませんから。注文したものを提供するのが社会の習わしです」
私「だからこれ、そうめんじゃないんです! あなた方は何かおかしな病に入り込んでいるんです!」
警「だからこれ、そうめんです! あなたは何かおかしな病に入り込んでいるんです!」
食堂のおばちゃん「お客さん、あんたの言っていることは変だよ。これ、そうめんだし、お客さんは間違いなくそうめんを注文したから」
騒ぎを聞きつけて、なぜか都合よく、たまたまその場にいた精神科医も首を突っ込み始めました。
精神科医「あなたは実に面白いことを言う。どうやらあなたは、そうめんはそうめんではないと言いたいらしい。つまり、あなたにとっては、「そうめんはそうめんではない」ということなのかも」
私「そういうややこしいことは言っていませんが」
精「では、何が言いたいのかね」
私「私は、これは私が注文したものではないと言いたいだけです」
食「いや、お客さんは現に、「そうめんください」と言ったんだけど」
私「ですから、これはそうめんではないんです」
食「それはおかしいよ。これはまぎれもなくそうめんなんだからね」
精「だから、この方は「そうめんはそうめんではない」という、アイデンティティの根底にある不安としての形而上学的に深遠な問いを我々に投げかけているのだ。つまり、自己存在の根底にある、「私は本当の私ではないのかもしれない」という不安を、眼前のそうめんに投影して捉えているのでしょう」
警「話がややこしくなってきましたが、このお客さんはどうすればいいですかね」
ここで話に聞き耳を立てていた通りすがりの人が口をはさみました。
通「おや、なんだか面白いことになっているようだけど、ちょっと思ったんだよね」
と言って、その人はおもむろにこういうイラストを出しました。
そして、「これは何に見える?」と私に尋ねました。
私「そうめんです」
通りすがりの人は、それ見たことか、と、ドヤ顔でその場にいた人を見回しました。
通「な? この人にとっては、ラーメンが「そうめん」なんだよ。ということは、この人にとっては、目の前にあるそうめんは、「そうめんではない別の何か」としか認識できない。だから、「これはそうめんではない」と、さっきから言い張っているというわけだ」
食「しかしこの人は、「そうめんください」って言ったから、わたしゃそうめんを出したんだけどね。でえっと、あんたの言うことが正しかったとしたら、なんですかね、この人は、本当はラーメンが欲しかったのに「そうめんください」って言ったとか?」
通「たぶんそういうことだろうと思うよ」
私「いえ、私はただ、そうめんが欲しかっただけですから。ラーメンなんて知りませんよ」
通「だから、あなたにとっては、ラーメンはそうめんなんだから、仕方がない」
私「ですから、私が欲しかったのはそうめんであり、断じてラーメンなんかではありませんから」
通「いや、あなたが欲しかったのはラーメンであり、断じてそうめんなんかじゃないんだよ」
精「これは何としたことか。長年、精神科医をしてきたが、そんなことは思ってもみなかった。しかし、そうなるとこれは、この人の立場に立つと、「どうやら、世間ではそうめんのことを「ラーメン」というようだ」という、ただそれだけのことなのか? ただそれだけのために、ここまでややこしいことになるのか?」
通「そういうことかもしれません。現にみなさん、この麺類のことを「ラーメン」と言っていますしね」
と言いながら、通りすがりの人は先のイラストを指さしていました。
食「これはラーメンだね」
警「そうですね、これはラーメンです」
精「言うまでもなく、これはラーメンであり、他の何物でもない」
通「な。これでわかったように、世間では、これは「そうめん」ではなく「ラーメン」と呼ばれているようなんだ。だから私は、あなたが欲しかったのはそうめんではなくラーメンではないかと指摘した、というわけだよ」
私「うーん、では、私はそうめんが欲しい時には「ラーメンください」と言わなければならない、ということですね」
通「そういうややこしい「マイルール」を作る必要性についてアドバイスしたのではない」
私「ではどういうことですか」
通「それは私があなたに言うことではない。「これはラーメンだ」というシンプルな事実は、自ら見出すしかないんだよ。いくら他人から言われても、自ら見出さない限り、そのように「マイルール」の無限生産にとどまり、心の中がややこしくなるに終わるんだ」
食「とりあえず、これで問題は解決したんだし、何はともあれよかったよ」
精「しかしたまには町の食堂で食事をするものだと、いい学びになったよ。ありがとう。しかしずばりと推理したあなたはどういう素性の人なんだね? もしかしたらどこかの高名な精神科医とか」
通「いえ、私はただの通りすがりです。それから、まだ言っていないことがありますが、どうやら、ここで言うことではなさそうです。では、私はこれにて」
そして通りすがりの人は姿を消し、みなさん思い思いにその場を立ち去りました。
私としては、あの通りすがりの人が、そうめんのことをなぜか「これはラーメンだ」と、さり気なく言っていたことがちょっと気になりましたが、世の中にはいろいろな人がいるものだし、自分ではわかり得ないことを深く考えても仕方ないので、いつの間にか、あの人のことを忘れていましたが、とにかく、そうめんが欲しいときは「ラーメンください」と言うといいらしい、ということはよくわかったので、その後、こうしたトラブルは起きなくなりました。
しかも、世の中をよく見ると、そうめんは実際に「ラーメン」と呼ばれている、ということにだんだん気が付いてきたので、自分はなんて世間知らずだったんだろうと思うようになり、いつしか、そうめんのことを「ラーメン」と呼ぶことに何の抵抗もなくなり、そうした実体験を積み重ねることによって、あれはそうめんなんかではなく、実際、ラーメンだったんだなあと、あの通りすがりの人のさり気ない一言がようやく腑に落ちて、もしかして私は悟りを開いたのかもしれない、と思ったこともありました。
さて、帰省ラッシュで、実家に一時帰省した時のことです。
母が出迎えてくれ、「よっしゃ、久しぶりだからあんたの好きなのを作っちゃる」と言いました。
そして母が作ってくれたのは、以下のイラストのような麺類でした。
そして母は満面の笑みを浮かべ、「ほら、あんたの好きなそうめんだよ」と言いました。
私はこみ上げる気持ちをどうしても抑えきれず、「お母さん、これはそうめんではなくラーメンなんだよ」と言いましたが、母は訝しげな顔でこう言いました。
「ああ? あんた都会で変にかぶれたね? 確かに、世間は厳しいところだから、そう言わなければだめらしいね。だけどこれは本当はそうめんだからね。うちに帰ってまでそんなややこしい言い方はしなくてもいいんだよ。何の気遣いもなくそうめんはそうめんだと言えるのが「くつろぎのわが家」ってものだからね。あんたも帰省中ぐらいは、そうめんのことを「ラーメン」と言わなきゃならないという、奇妙な「都会のストレス」から自分を解放して、ゆっくり羽を伸ばすといいよ」
私は、開いた口がふさがりませんでしたとさ。
おしまい。
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