「ザ・フラッシュ」を観てきました

観てきました

 というわけで見てまいりました、フラッシュ。
 立ち位置としてはDCEUのラスト、という感じになるのでしょうか。「スーパーマン:レガシー」をもってDCUのスタートとするらしいので、この作品で一旦おしまい、という流れでしょうか。DCEUの店じまいの話が出たころにはフラッシュのプロジェクトは進んでいたはずですが、結構手を入れたんですかね、物語としてはなかなかに味わい深い、DCEUの締めに相応しい味付けができたのではないかなと思います。
 








良かったところ


 さて、本作についてですが、とても良い作品であったと思います。
 ただ、良かったと言える部分とダメだったなと言える部分が、明確に分かれている作品だと評価できます。
 
 まず良かったところですね。いくつかあるのですが、単純にフラッシュのパーソナリティがよいです。
 ジャスティスリーグの頃はあまりそれが表に出てこなかったのですが、話してみるとなかなか愉快で、そしてなかなかに鬱陶しい。プライベートでもヒーローの能力を自在に使いこなしている。且つだらしなくて遅刻の常習犯でもあるのですが、しかしながらなかなかにインテリでもあり、そして何より、誰かを助けたいという強い気持ちを持っている。
 アメイジングかMCUのピーター・パーカーにも通じるキャラクターで、ヒーローとして非常に好感が持てます。実際街中でも人気そうでしたしね。


 そして、それを支えるかなり重めの設定も、急にお出しされた感がありますね。母親を子供の頃に無くし、父親がその容疑者として無実の罪に問われている。結構な子供の頃にその事件が起きているので、結構長い間この重みを抱えていることになります。その割には愉快な性格に育ったな、というところはありますが。
 ヒーローの能力と、「人々を救いたい」という熱い気持ちは序盤でしっかいお示しできたので、物語の主軸はこの「母親を救う」物語にシフトします。ここが後でまとめる不満点でもあるのですが、母親とのエピソードそのものは非常にエモーショナルなものでした。
 自らの能力で過去に戻ることができることを知ったバリーが、それが禁忌だと知りつつも母親を救うために過去に戻り、そしてその結果、未来と、そして過去も改変されたことにより、地球は破滅を迎えることになってしまう。それを止めるために奔走する、というのが話の主軸ですね。
 昨今のタイムトラベルものではよくある、というか、王道の展開になるのでしょうか。この物語では、そこで発生したバタフライエフェクトが、スーパーマンのいない世界にゾッド将軍がくる、といういきなり詰んだ状況に到達してしまうわけです。そんな危機的状況を救うべく、改変世界のバリーとバットマン、そしてスーパーガールとともにゾッド将軍に立ち向かう。
 このようなあらすじでございます。
 しかしながらこれが結果的になかなか重たいストーリーで、改変後の世界を救うことはできない、ということが分かってしまうのです。
 これも多分、昨今のタイムトラベルものでは基本的な設定に据えられていると思うのですが、バリーたちが如何に抗おうとも結末は収束し、スーパーガールもバットマンも死に、そして世界も救うことができない。母親を救った世界が残り続けることはできないと悟ったバリーは改変を戻すことにするのですが、それはすなわち母親との別れを認めること。その最後の別れのシーンは、グッとくるものがありました。

 あとは作品として好印象のところは、やはりDCEUの総まとめ、そして、次の世界につなぐための役割をしっかりとした、ということでしょうか。
 寡聞にして知らなかったのですが、フラッシュの原作にフラッシュポイントという作品があるのですが、これがマルチバースをテーマにした作品であるとのこと。なので、フラッシュでマルチバースを扱うことにはそれなりに筋が通った話であるのです。
 物語の終盤、バリーが他の世界を認識するのですが、その中には、大昔のモノクロスーパーマンがいたり、90年代だったかな?の映画のスーパーマンもいたり、実現されることがなかったニコラス・ケイジのスーパーマンがいたり。何よりも改変された世界が、ティム・バートンのバットマンの世界に接続してバットマンがマイケル・キートンだったり、と、ここでいうマルチバースとはそのまま、「ワーナーで作られたDC作品の世界」を示しているわけです。この一点で、マルチバースの意義についてはすでに「マルチバース・オブ・マッドネス」を超えていると思います。正直、あの作品のマルチバースの意義は、チャールズ・エグゼビアをパトリック・スチュワートが演じる可能性ができたということだけですからね。
 いや、でも待ってそれもどうでしょうか。ローガンの最後を思うと、正直それは死体を掘り起こして玉座に座らせるようなものではないでしょうか。っていうか、MCUはもっとローガンに敬意を払ってほしい。
 閑話休題。
 ということで、DCUに再編された後も、DCEUはワーナーの世界の中に残るわけです。そして、フラッシュの中に出てきた他の世界の中に、この先生まれるDCUの世界もあるわけです。今の世界も消えてしまうわけではない。そういう最後の抵抗を見せた演出だったのかなと思います。
 まあそりゃそうですよね。今後もバットマンをやりにジョージ・クルーニーが来てくれるとは到底思えないですから。
 ただ、今ふと気になったのが、その世界の中に「ダークナイト」の世界がないのはなんでなのかなと。フラッシュの後悔に際して、ワーナージャパンのTwitterでやっていた「どのシリーズのバットマンか」クイズでもダークナイトは外されていましたね。ワーナーがダークナイトを大切に思う故に、他の作品からは明確に特別扱いをしている、という証左でしょうか。でなければ、クリストファー・ノーランと揉めた時に何かしらの権利関係で縛られているかですね。
 まあそれはそれとしてですよ。上記の「バットマンを当てようクイズ」ですが、クリスチャン・ベールがいない時点で上記の2点が理由なんだろうなっていうのはある程度想起されるわけですよね。なのになんで
「なぜノーラン監督がない…」
 とか
「ダークナイトないじゃん…」
 みたいなリプを付けられるのか。
 バカな振りをしているのか、本当にバカなのかわかりませんが、とにかく@shuhe1031と@tokiotheworldJPの母親には是非とも緑ラベルのトマト缶を買い忘れてほしいと思います(幸あれを意味する暗喩)。

不満点


 次に不満点です。
 ガーディアンズの時もですが、基本的に面白い映画に対しては、不満点はあるものの良い点が上回るので気にならない、というのがスタンスになるのですが、この映画に関して言えば、よい所はよい所として、それはそれとして不満は不満だなぁ、というのが結構はっきりしてしてしまっています。
 まず、先ほどほめたマルチバースで他作品を出す、という演出ですが、さすがにもういいかな、という根本的な問題があります。正直それがサプライズとして通じたのは「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」まででしょうか。あの時は本当に純粋な驚きを持って作品を観られましたが、それは、トム・ホランドのスパイダーマンがMCUであるという前提の中で、サム・ライミ版とアメイジングのキャストが総出演したことが、驚きをもって迎えられたのだと思います。
 そうでなくても、昨今では他作品の主役が別作品の早くを務めたりと、映画を飛び越えることの意外性がなくなっています。一見つながりのない(実際はソニーは関わり続けているのでそうでもないんだけど)スパイダーマンはともかく、ワーナーで今更、というところは、正直あります。
 もっと言ってしまえば、実際に役者が出ているわけではなく、CGで作られたキャラクターだったわけですからね。そこもありがたみが薄かった気がします。しかも、なんか古いCGに見えました。ニコラス・ケイジなんて、ハムナプトラ2の時のサソリロック様と同じように見えました。これはニコラス・ケイジ側の問題なのですかね?

 次の不満点が、明確なヴィランの不在、でしょうか。
 作品の目的としては、かなり序盤で「時間の改変を修正する」ことがゴールになることは予想されていたわけです。
 それこそ、昔はご主人のひいひいおじいさんの結婚相手を、見た目はあまりよくないが才能あふれる女性から、わがままだが見た目がよい女性に変えるために、過去にタイムトラベルして奔走する、なんて話が成立していたわけですが、それは現在のトレンドではないです。
 よって、改変された過去の修正が主軸になることは想定されますし、その行動を邪魔する者がヴィランになるのだろう、という予測は立てられます。果たして、物語の序盤、タイルの設定をミスった結果人物が気持ち悪い感じで出力されてしまったStable Diffusionみたいな世界から、紫色の鬼みたいな人がフラッシュを追い出し、そこで改変された時間に降り立つわけです。時間改変の前にこの紫が立ちはだかる、この紫は一体誰なんだ! というところが主軸になると、見ている間は思っていたわけです。
 でもこの紫は想定されていた人物ではなかった。世界を救うことを諦められなかった、改変世界のバリーの慣れの果てです。
 いや、慣れの果てでもいいんです。世界を救いたい紫フラッシュと、世界を戻したい赤フラッシュで、真剣に戦うとかであれば。
 ただあの流れでは、そうは思えない。時間遡行を繰り返すうちに、体に色んな破片が突き刺さった結果異形になり果てる、そういう造形はとても良いと思います。実際、いくつか破片が刺さったバリーを見て「だんだんかっこよくなってない?」と思ってはいたので、それが積み重なって紫になるのは、とても良いです。
 であれば、なおさら直接対決を観たかった。改変バリーのキズが比較的浅いうちに出てきて、戦うかなと思ったら改変バリーが庇い、改変バリーと共に消えるという、すっとしない終わり方でした。
 ガチでやり合えば、物語の大きなテーマ足り得ると思うのです。世界は、時間はあるがままにすべきなのか、人の努力でもって改変すべきなのか。
 それが本作のテーマにそぐわないのも理解はできるのですが、じゃあもっと別のヴィランとか出せなかったか、とも思うのです。
 ここは明らかに消化不良でした。
 まあでも、それはドラマの方でやってるからいいのかな。いや、ドラマと映画は世界が繋がっているわけではないので、やっぱりここには明確な何かが欲しかったところです。

まとめ

 というわけで、フラッシュの感想でございました。
 重たいストーリーを抱えながらも、展開は軽妙に進んでいき、少なくないサプライズもあり、楽しむことができました。
 DCEUは店仕舞いということですが、そこに送る花としてはよいものであったと思います。
 不満はありますし、何より、フラッシュというキャラクターの映画での初だしとしてはどうなのか、という点もありますが、まあドラマもありますし、こちらはこれで、ね、という気持ちもあります。

 というわけで、再編されたDCUにも期待していきたいところです。
 どうにもこうにも、MUCと比べてDCの方がネガティヴな話題が多い、というよりは、「ネガティヴな話題を書きたい人が多い」わけですが、そういう人たちの「感情」は気にするだけ無駄なので、DCUにも期待をもって見ていきたいと思います。

 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?