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ラブレターの極意|読まれる記事を書くのに必要な事はたった一つ

どうも、草冠です。

Twitterの反応もすこぶる悪く、心の中で「ぐぬぬ…」と毎日つぶやくのが日課になっています。

Xだけにね!


今回は完全に(いつもですが)自己満の記事です。

というのも、僕は昔は本当に国語が苦手で、読むのもだるいし、国語の問題解くコツみたいなのでよく言う「筆者の考えや意図を知る」みたいなのも全く理解できませんでした。


なのでもちろん、読書感想文なんかマジで適当だった(っていうか本は読まずに書いていた)し、他の作文でもいつまでも小学生みたいな作文を書いていました。


ただ、転職をしたことをきっかけに、魅力的な文章を書く必要に差し迫られ、執筆をしていくうちに

「アレ、結構楽しいじゃん、文章書くの!」

って思っちゃったんですよね。


一体どんな所が楽しいと感じてしまったのか、それを今日は皆さんにわかってほしい!

「共感してくれる人!手上げて!」みたいな感じで思いつきで発射してしまいましたが、

「うんうん、そうだよね、わかるわかる」

なんて思いながら最後まで読んでくれると嬉しいです。


それでは行きましょう!

言葉を書く楽しさ、忘れていませんか!?

結論から言いましょう。


文章は、読み手が読んでいる姿を想像しながら書くから楽しいんです。


こういうnoteはもちろんターゲットありきで書いていくと思いますし、手紙然り、メール然り、日記でさえ後から自分が読み返す事を想定して書いているでしょう?


この「読み手の存在を意識できるかどうか」が僕は文章を書く上で重要だと思っていて、その読み手にうまく伝わるように、

「この表現、これで伝わるかなぁ」とか、

「この言い回しはやめて、何か例えを考えてみよう」

という風にいろんな考えを巡らせます。


きっと、この工程がもう既に楽しいんですよね。


考える事が苦手な人や嫌いな人はあんまり理解できないかもしれませんが、実際誰か(もしくは自分)の為に何かメッセージを伝わるようにしたためるのって意外と難しく、でもバチっとはまる表現が見つかったりした時はめちゃくちゃ気持ちいいんですよね。

「いや、それでも…」

と思う場合は、一度両親や恋人等に感謝の気持ちを伝える手紙を書いてみてください。


試しに書いたとしても書いてもらって嫌な気分になるもんでもないですし、

ある人を思い浮かべながら感謝の気持ちを書き綴っていくのは、楽しいですよ。


なんかこう、感謝を無理くりにでも並べていると、段々小っ恥ずかしくなってきたりですね、ところが書き進めていくとクサい言葉も調子に乗って並べちゃったりしちゃったりなんかして…



殻の中の自分に出会えるような気がしてくるんですよね。


日記や手紙をよく書くのがいい事だと言われる由縁はここにありそうな気がします。

大人になると文章は作り上げると思いますけどそれって自分の中に型があったりしょーもない書類の中の文章が多いですよね。


でも、僕が言いたいのは感情をぶちまける文章。

相手の感情をぐわんぐわん揺さぶる文章。

この文章を書くのが本当に楽しいんです。


逆に言えば、楽しいと思って書けている文章は、多少拙くても人の心を動かせる文章になっていると思いますよ。


セールスライティングをちょっとかじると、読んでいる人の心を掴む為に、権威性や希少性、メリット・ベネフィット、フューチャーペーシングみたいな小手先のテクニックが大事だと思われがちですが…


多分そうじゃない。


一番重要なのはその文章に思いがこもっているかどうかだと僕は思うんですよね。


だから読んでいるだけのそこの君も、是非アカウントを作って、何か記事を書いてみてほしい。


思いを連ねる文章を考えるのは本当に楽しいよ。


それに、その思いに反応があったり、共感してくれる人が必ず出てくる。

絶対にね。


アウトプットの大切さ

情報商材界隈をうろうろしていると、よく「アウトプットは大切なので、皆さんも今日のセミナーでは積極的に発言してアウトプットしていきましょう!」という言葉を聞きます。


「小学校かここは」なんてツッコミを最初は心の中で入れていたもんです。


まぁこれ、実際問題アウトプットって知識やスキルの習得には確かに大事なんですが、前述のような場所で言われるアウトプットはラポール形成の為のものなので、勘違いには注意してくださいね。


ラポール形成についてはこちらの記事で詳しく話しているので、参考にしてみてください。


で、この界隈の人たちが「アウトプットは大切だ」とする大義名分として、“エビングハウスの忘却曲線”の話を必ずします。


もう大義名分としては申し分ないですからね。


この“エビングハウスの忘却曲線”、一体何かというと、人間って忘れっぽい生き物なんだよねっていう事を証明した論文にあるグラフの事だ。

親の顔より見た画像


これによると、どうやら情報を仕入れた瞬間から20分後には58%の情報量しか残っていないらしい。


まぁ〜、ぶっちゃけ僕の感覚で言えば20分後になったらほとんど忘れてそうなもんだけどね。笑


人間は忘れっぽい生き物だっていうのはどうも確からしい。


自分にも当てはまるし疑う余地もなさそうに思えるね。


じゃあアウトプットをしたらいいのかと言うと、僕はそこは少し飛躍しているように思います。


と、いうか、繰り返す事が重要だろう。


そういう意味で、この界隈の人が使う「アウトプットしましょう!」には違和感を感じる。
(無理に声を出させられてる気がして)

まぁそれは置いといて…


こと、noteの場だと、アウトプットは単発では終わらない。


もちろん記事のコンセプトにもよりますが、ある知識を仕入れたとしてそれを、読み物になる程度には肉付けしていきますよね。


すると、かなり濃厚なアウトプットになり、微かながらも知識が定着します。


しかもこれだけではない。


勘のいい人はわかるかもしれないが、自分の記事を回遊させようと、僕みたいに「この記事を参考にしてね」みたいにリンクを貼る。


これも、当時の知識を引っ張り出してくる立派なアウトプットです。


そうやって、結構noteを真面目にやる事って、セールスのかかるセミナーに行くより何倍も価値あるアウトプットができるんです。

まだ見ぬ誰かに届くワクワク


そしてやっぱりこれ。


僕と全く面識もない、性別も、今のAI大発達時代なら実在しているかもわからない、そんな不特定多数に届くかもしれないというのは、やっぱりワクワクします。


もちろん、いい事ばかりではありません。

僕の考えを良しとしない人間の目に留まれば少なからず攻撃を受ける事もあるでしょうし、詐欺みたいなトラブルに巻き込まれる可能性もなきにしもあらずです。


そういったリスクを背負ったうえであえてもう一度言いますが、それでもやっぱり僕は思いを込めて文章を書いて、それを読んでくれる人がいると思うだけでワクワクして来る。


もっと言えば、僕のnoteをする目的は、どこにいるともわからない将来のビジネスの仲間を見つける事。


できる限り僕の考えを広めていって、強く共感してくれる人を見つけたいと思っている。


プライベートのパートナーはもちろんいるが、仕事のパートナー探しという事だ。


そう考えると僕は本当にラブレターをひたすら綴っているのかもしれないね。


って見方をするとなんだかおもしろそうじゃないですか?


これが意外にハマるんだよ。

それに僕や、沢山の人を通してネットワークがつながっていく。

その辺を歩いてる人が実はnoteのフォロワーのあの人かもしれない。

ワクワクしかないだろこんなもん。


最後に

君に僕の熱い思いが伝わって、

「なんか面白そうかも…1記事、書いてみようかな」

と思ったら是非今すぐ書いてみてほしい。スマホでも書けますし。


…明日になったら絶対に今の胸の高鳴りは忘れ去られてるよ!


ほら!今すぐ君の衝動に従って、文字を連ねてけ!


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