見出し画像

新しい家族の話と不妊の話

のんびり過ごした年末年始もあっという間に終わってしまい、世間も本格的に動き始め、日常が戻ってきてしまった。2024、note書き初めは、私の話を少しだけ。

2024年の1番大きなイベントというか、我が家の1番の大きな予定が第一子の出産。もう少しで3人と猫1匹の生活が始まろうとしている。

仕事も落ち着いてきたし、そろそろ子どもが欲しいなと思い、妊活してすぐに授かった5年前。悲しいことに心拍確認ができないまま流産となってしまった。

「心拍が確認できません」と言われたあの日は、1日中小雨が降っていて、さした傘の下で泣きながら歩いて帰った。それから、夫が帰ってくるまでの間、飼っている猫に抱きつきながら声をあげて泣きまくった。

めちゃくちゃ落ち込んだけれど、すぐ授かったし、次頑張ろう!と思ったが、そこから全く授からず、人生で最も暗くて辛い時期が始まった。

今思えば、もっと早く病院なり、不妊専門クリニックなりに通えば、辛い時期も短縮できたのかな?とも思うのだけれど、あの時はどうしても「不妊」というワードを自分の中で受け入れられずに、1〜2年間は夫に「専門家、病院に相談してみよう」と言われても頑なに行こうとしなかった。本当に病院やクリニックに行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。

何で?私の家族や親戚もすぐに子どもを授かっているし、自分自身、生理不順などの異常はないし、前だってすぐに陽性反応が出たのに…。そんな思いが頭の中を支配していた。

埒が開かないなと、やっと重い腰をあげて、病院に行って検査をしても「特に異常なし。問題もなし。前回も自然妊娠しているので、大丈夫でしょう。」と言われるが、いくら経っても妊娠しない。

「特に問題なし」という検査結果は、言い換えると原因不明で、これはこれで、手の打ちようがなくて辛かった。

病院に行っては薬をもらい、タイミングをとって、何回か試してダメだったから、薬の種類を変える、タイミング法から人工授精に進むなど、ステップが上がる度に嫌になり、通院を中断したり、転院したり。本当に病院に割く時間と、生理が毎回来るのにも関わらず、薬に縛られる日々が鬱陶しくて嫌で嫌で仕方なかった。

流産後の約3年間は夜になると涙がでてきて、信じられないくらい落ち込む。1日のほとんどを「もう死んでしまいたい。消えたい。」と思いながら過ごす日々。この3年間は私の人生で最も暗い時期だった。あの時は本当に夫に心配と負担をかけてしまった。

そうこうしながら、悩んで悩んで、辛い時期が長くなると、不思議なもので悩むのに疲れてくるんですよね。

落ちるところまで気分が落ちてしまった。という感じで、「もう子ども以外のことに思考が向くようにしよう」と病院に行くことをキッパリ辞め、キャンプを始めたり、勉強をしたり、意識的に別のことに没頭するようになった。


そのうち、「別に子どもがいなくてもいいや。お金も時間も好きに使えるし。何なら、夫と私、1人100万円を好きに使うっていうのもやっても面白いかも。」と、子どものことで泣いたり落ち込むこともなくなってきた。

気持ちが前を向く中で、昨年、やっぱりもう一回チャレンジしてみようと思い立ち、不妊専門クリニックの門を叩いた。通い出して5ヶ月。これが最後の人工授精。次は体外受精にステップアップというタイミングで、ありがたいことに妊娠することができた。

出産を控えた今となっては、正直、何で妊娠できたか分からないし、何で今まで妊娠できなかったかも分からない。しかも、中には体外受精や顕微授精など、もっと辛い治療に臨んでいる人がたくさんいる中で、人工授精で授かったというのは全然じゃん!と思う人もいるかもしれない。

だけど、子どもが欲しいのに授からないという辛さはその身にならないと分からないことだったなと思う。それから、思い通りの人生を歩んでいる人はいないと気がつくこともできた。

今はただ、無事に生まれてきてくれるだろうか心配しながら、大切な家族である夫と猫と新しく出会える予定の命に感謝する日々を過ごしている。

今年は大きな変化が待ち受けていて、大変なことがたくさんあると思うけど、あの時の辛い時期を忘れずに日々奮闘して行けたら良いなと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




#note書き初め #不妊の話 #私の話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?