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26歳で会社が倒産、フリーランスになって離島移住するアラサー女|"無難な選択"より"有難い選択"を

はじめまして、お久しぶりです。

こんにちは、深井栞(あだ名:ビーデル)です。
どこにでもいる普通のアラサー女子の私ですが、最近ちょっと笑える人生の転機が3つほど起こったので、個人noteでひさびさに投稿したいと思います。

深井栞(Fukai Shiori)
上智大学を卒業。新卒で人材系メガベンチャーに営業として入社。その後エンタメ系のスタートアップに転職、TikTok事務所立ち上げやオンラインエンタメ系イベントの企画運営を実施。2023年4月にフリーランスとして独立、業界TOP3のITフリーランス支援事業の会社でPR担当として参画。

26歳|会社倒産から始まる、アラサー女の七転八倒の年

早速ですが、2023年1月からの半年で、私の人生に3つの転機がおきました👉

2023年 1月:会社倒産が決まりました
2023年 4月:独立しました
2023年 6月:離島に移住します

わかります。情報過多ですよねw

イマドキ令和ですし、私も20代後半になったので
フリーランスとか独立とか地方移住とかそんなに珍しい話でもないのかなとも思うんですが
■ 私の人生の中では結構おもろいコンテンツだなあと思えたこと
「なんでそうなったん?w」と聞かれることが多かったこと
から、一度今の気持ちを書き残す意味でも、今に至った経緯など記しておこうかなと思います。

ここからはアラサー女子の備忘録ですので(しかも結構長め)、ご興味ある方はご覧ください。

社会人1年目〜4年目|"ユニークでありたい"と足掻いた20代前半のキャリア

新卒で勤めた人材系メガベンチャーを2年で退職し、9人目社員として入社した創業2期目のスタートアップ。

2社目のスタートアップ|新年会の写真

そもそも、どうしてそんな縁もゆかりもない小さな会社へ?とよく聞かれるのですが、この2社目の会社への入社理由は3つありました。

1、自分の"個"としての力試しのため
2、昔から大切にしている"ユニークな自分であること"を体現するため
3、心からワクワクし夢中になれる仕事と出会うため

1、自分の"個"としての力試し

1社目の会社はそこそこ大きいメガベンチャーの営業職でした。成績はそこそこで、事業部内では、それなりに新卒として裁量を持って多くの人を巻き込みながら成果を出して生きていました。
ただ、自分の力や成績に、どこか自信を持ちきれない自分がいたんです。それは、自分が出したどの成果も何百人といる同期の中で決して突出しているものではなかったこと、そしてその成果は周りの多く人の協力のもとにできたものであって、自分1人の力とは言い切れないという気持ちが拭えないことからでした。

1社目の人材会社|退職時の写真

その時の自分は「もっと自分が自分らしく力を発揮できる、貢献できる場所があるのではないか」という感情とともに、「他の場所でも、自分は環境に依存せずに再現性を持って成果が出せるんだろうか」という漠然とした不安や焦りに駆られていたのを覚えています。

そんな時に声をかけてくれたのが2社目の会社でした。

小さな組織の中で、自分1人の影響範囲が大きい会社で、自分だけの個の力を試してみたかったんです。

2、"ユニークな自分であること"を体現する

さらに、自分だけのユニークな人生を作り上げる、大きな要素にもなるとおもいました。

私は昔から、自分らしさやオリジナリティを大切にしていきたい思いが強い人間でした。高校生では女の子1人で男の子まみれのブレイクダンスというジャンルに入り打ち込んでみたり、大学ではトリリンガルを目指して単身でスペインやメキシコでスペイン語留学、インターンをしたり…
とにかく、自分がユニークだと思うもの、ステキだと思うものに、誰の反対意見も聞かずに貫くタイプの人間でした。

高校・大学時代 ブレイクダンスに打ち込んだ頃

ただ会社員になってから、そのオリジナリティが知らず知らずのうちに薄まっていき、いわゆる「世間一般的な"ステキ"なもの」を追い求めている自分がいました。それは、会社での出世や堅実なキャリアアップもそうですし、私生活の面でも、ブランド物で着飾ることやスペックの高い男性と付き合うことなど、本当は自分に必要ないものを何故か求めたくなってしまう衝動にかられていたんです。(実際に求めることが悪いとかではないんですが、)どこか自分の羅針盤が壊れているような、心の底からワクワクするものを求める原動力を見失ったような、そんな感覚がありました。

そんな時に前職の会社に出会いました。
その会社は、創業1期目でライブ配信という新領域で爆発的な利益を出しており、そこから2期目で正社員数10名以上の採用を予定するなど、ありえない程の投資と急拡大を狙っていた会社でした。
今までと全く違う初めての業態、知らない世界で、本当に無謀な速度や大きさでの伸びを目指しているということが、最高に刺激的でワクワクして面白かったんです。また、そんな特異な環境で、人と違う自分だけのユニークな人生を歩める気がしたんです。

また、新卒の頃から「いつか独立して個人として仕事をしたい」という思いもあり、スタートアップで経営層と目線を近くして働くことは、自分の理想にも近づく一歩になるのではないかとも思いました。

3、心からワクワクし夢中になれる仕事と出会う


さらに、何よりも強烈に私が惹かれたのが、働いている人たちが「心底楽しそうに、ワクワクしながら」仕事しているんです。

これめっちゃ衝撃的でした。ぶっちゃけ1社目の会社は、営業職という仕事がそこまで好きになれなかったこともあり、日々の仕事の中で「ワクワクする」なんて瞬間はほとんどありませんでした。

仕事で、できなかったことができるようになっていく成長実感や、新卒の自分達が会社をつくっているという現在進行形の楽しさはありましたが、それは心の底からのワクワクではなく、成長のために努力することを頑張って楽しもうとしていた自分がいたんです。

ただ、2社目の会社では、自分たちがワクワクするものをつくっていき、一緒にワクワクする人を巻き込んでいく、プロデュース業ならではの楽しみをみんなが組織として感じていたし、それを2年間で存分に味わわせていただきました。また、「誰よりも顧客目線で、顧客の快適さと便利さを追求する」というマーケター的視点も身につけさせてもらうことができました。

2社目の名刺|今は亡き、人生で一番かわいかったキラキラ名刺

元々お祭り女で楽しいことが大好きな私に向いていたのもあると思いますが、株式会社キャリーですごした2年間は、私の中で「仕事とは」という概念を覆された、貴重でかけがえのない経験でした。

まあ会社、潰れたんですけどねw

会社が倒産|"ワクワクする仕事"と"企業の終焉"に出会った20代後半のキャリア

2社目では、人材事業の立ち上げ要員として参画し、そこからSNSメディア運用やイベントプロデュース、新規事業企画など、在籍していた2年間でたくさんの経験をさせてもらいました。しかし、私が26歳を迎えた直後、2023年の1月に創業3期目にして解散が決まったんです。

2社目解散前の最終出社日|号泣する私と後輩

潰れた理由は紆余曲折あり、はっきりとこれ!と断定できるわけではないですが、主には経営陣や株主、メンバーなど多くの関係者の中で方針や意見の違いが生まれてしまい、このまま組織として継続していくことが好ましくないという判断のもと、解散という形で会社がなくなりました。

もちろん3年以内になくなるスタートアップがほとんどとも言われていたので、ぶっちゃけそこまでショックはありませんでした。ただ漠然と「あー、会社ってこんな終わり方をすることもあるのか…w」という驚きはありましたね。

また、「こんなに優秀な人たちがこんなに楽しく働いていても、進むべき方向性が合わないと会社ってのは続けていくのが難しい」というのも改めて実感しました。だからこそ、会社としての事業方針やバリューやミッションの浸透性って大事だなっていうのも改めて痛感しました。

独立|"気がつくと道が開けていた"普通の転職活動をしていた私が進んだ先

そこからは普通にまず転職活動を始めました。初めは独立する気なんてサラサラなくて、ただ「新しい環境で仕事ができるいい機会だし、もっと大きなエンタメの会社で大きなコンテンツづくりがしてみたい」と漠然と思っていて、大きめのエンタメ企業を受けていました。

それなのになぜ、独立を決めたかというと、一言でいうと「気がついたら独立できそうな道が開いていた」からですw
もちろん転職活動をしていて、入社を悩んだ会社さんもいくつかあったのですが、それ以前に転職活動中に「会社がなくなるんだよねー」という話を周りに発信した時に「え、じゃあ一緒に仕事したい」「手伝ってほしいことがある」と声をかけてくださる方が多く、さらにその中身が今までやっていて楽しいと思えるようなPRやマーケの範疇のものが多かったんです。

もしかしたら、自分は会社に属さなくても、夢だった独立ができるようになっているのかもしれない」と思えたのがきっかけでした。

元々副業としていくつかのお仕事には携わっていたのですが、固定の仕事がなくなると段違いに案件も増え、収入も増えました。自分で「しばらく仕事に困らないかもしれない」と確信がもてたため、今年の4月から独立することを決意しました。

そこからは独立のためにYouTubeや書籍から独立の仕方を学びつつ、むこう3年間は個人事業として自分の資金を集めていくと決めました。

"無難な選択"より"有難い選択"を|東京から、鹿児島県の限界離島に移住する理由

さて、独立を決めた後もさらに先がありました。
元々の2社目を創業したメンバーたちに「一緒に限界集落の離島で事業をやらないか」と話を持ちかけられたんです。

最初は思いました。「この人たちアホなんかな」と。w

創業した会社を3年で潰し、そのメンバーの1人のか弱い女の子(?)を、今度は島民120人の限界離島に連れて行き、何をするつもりなのかとw
ただ、島の話を聞いてるうちに、たしかに自分の人生でやって損はない経験だな、と思えたんです。

移住する離島|島の1番の観光スポット、天然温泉

具体的には、島の地方移住の補助金や事業創生の補助金を使って、WEBマーケなどの知識をフル活用して観光事業を立ちあげるというものでした。田舎暮らしなんてしたことないしできるかもわからないけど、でも

■ 今まで培ってきた自分のスキルが活かせる分野であること
■ 自分が好きな"場づくり"ができそうな環境であること
■ 26歳独身の今しかできないこと

であることだけはわかりました。

自分が得意なことが活かせて、さらに大好きなこともできて、身軽な独身の今しかできないことなんて、やって損はないのでは?また、こんな経験をしている人って同世代なんて聞いたこともない、この経験が私の唯一無二な存在としての希少価値を高めてくれるものにもなるのではないか、と思った時に、むしろ挑戦してみたい!と思ったんです。

他にも、タイミングもよかったんだと思います。独立して何のしがらみもない今だからこそ、身一つで何も知らない土地で何かに熱中できるんじゃないかなって思えました。また、人の面での魅力もありました。私は単純に前職のメンバーたちのことが大好きで尊敬をしていたから、というのが大きかった気もします。色々あったけど、一番大きい「20代前半の私に、仕事の本当の楽しみ方を教えてもらった」っていう部分で感謝しかなかったんですよね。

だから、6月からは鹿児島県民になって、
フリーランスとして独立しつつ島を活性化させていけたらと思っています。

独立して1番変わった考え|やれない理由は自分の中にしかない。

というわけで会社の倒産というきっかけから、自分の人生がかなり面白い方向に傾いてしまったみたいですw

一度きりの人生、何も考えない訳じゃないけど、考えすぎて動けないのはもったいない。
家族のいない独身女はお気楽でいいな、と言われるかもしれないけど、その通りだと思います。気楽で身軽な今だからこそ、自分ならではの、心が動くようなワクワクするものを選び取れる。誰でもない、自分の意志で選んだからこそ、その道を正解にできるように強く生きていける。

自由に仕事の時間や場所を選びたいなら、その道を自分でつくっていけばいい。今の自分に独立まだ早いかも、移住なんて無理かも、と思うこともあるけど、やってみないとわからない。次にやりたくなる時にはもうできなくなっているかもしれない。私が失敗したらみんな笑うかもしれないけど、そんなの怖くも何ともないし、それはそれで面白いw

やらない理由やできない理由なんて、本当は自分の中にしかなくて。その理由はきっと「失敗したら恥ずかしい」みたいなちっぽけなプライドの問題だけなんじゃないかと思う。
だから私は、失敗したって死ぬわけじゃないし、人を傷つけるわけでもないのなら、選択肢の中でよりユニークで、ここにしかなくて、ワクワクする方を選びたい。

そんな私の、どこまでもお気楽で向こう見ずな選択が、これから私をどんな道に連れて行ってくれるのか、ワクワク半分、ハラハラ半分ですねw

第二章もまたいつかブログにするので、気が向いたら読みにきてください☺️
ということで、今日はここまで、また次回!

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