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フリマアプリ小説(お気楽大学生 香凜編)第一話『占い』その1


「売れるな、売れるな。」
香凜(かりん)は心の中でそう願いながら、大学へ向かう地下鉄に揺られていた。大学の最寄り駅のホームに着いてから、やっとフリマアプリの出品ボタンを押した。

「今日の香凜変だよね」
 というのは友人の葵(あおい)の言である。
「どこが?」
 講義はとっくに始まっていた。香凜は講義の最中もスマホに通知が来ていないか、せわしなく確認し続けている。香凜のあまりの熱中ぶりに、葵はあきれ顔である。葵は右手に嵌めた指輪をすっと撫でた。
「なんでそんなに通知を気にしてるわけ?誰かから連絡が来るの?」
「違うよ。フリマアプリに出品したものが売れたか気になるの」
 香凜は大講義室の机の下で左手にスマホを隠し持っていた。
「今回出品したのって売れてほしくないものなんでしょ。前もやってたよね」
「うん」
「前は限定品のデパコスだったじゃん?今回は何を売ったの?」
「ネックレス」
香凜は一旦スマホから目をあげて、教授がスクリーンに映している文字を書きとった。だが、心ここにあらずと言った感じで、普段全く使わない蛍光ピンクのボールペンで書いている。
「ねえ、そのペンで書くと見にくくない?」
香凜は葵の問いかけに答えなかった。左手はスマホの振動を逃さないためにスマホを握りしめたままだ。
「なんで出品するの?」
「うーん。言えない。あ、ちょっと」
葵は香凜の手からスマホを取り上げて、画面を見た。画面の中には銀色の枠の中にダイヤモンドが一粒だけ嵌(は)め込まれた、シンプルなデザインのネックレスの写真が写っていた。
「ティファニーのネックレスねえ」
 香凜が葵を睨みつけた。
「あれ?これってこの前、和馬(かずま)君とデートしたときに付けてくって言ってたやつじゃん」
「そうだよ」
「ますます謎だな。なんで売るのさ?」
「願掛けみたいなもんなの。だから、理由を言っちゃうと意味がなくなるような気がするから嫌」
「願掛け?」
香凜は、スマホを葵からむしり取り、香凜はスマホをカバンの中にしまった。スマホをカバンの内ポケットに入れて、カバンを右腰に密着させた。通知が来ればスマホが振動するため、画面を見ていなくても通知に気が付くことができるためである。香凜は葵から面倒くさい詮索を受けるくらいなら、初めからこうしておけば良かったと後悔した。

 香凜は、わざと挑戦的な値段を付けて、それで売れたら和馬と付き合える、売れなかったら付き合えないという占いをしていた。出品したネックレスは、店で売られていた時は七万円くらいだったが、フリマアプリに出すときには新品であっても、半値以下の三万円が相場になっていた。香凜の持っているネックレスは一度も身に付けずに、箱や保管用の巾着などの付属品も完璧に揃っている。何より、香凜はこのネックレスをかなり気に入っており、本当は手放したくなかった。なので、強気に三万五千円の値段を付けていた。売れなくて当たり前、売れたらラッキーくらいに思っていた。

「何?和馬君と別れるの?」
 講義が終わってから、耐え切れないように葵が早口で尋ねた。今日はもう講義がないので、大学構内のタリーズで葵とお茶をすることになった。タリーズにはリクルートスーツの三回生と四回生らしき人でごった返していた。三回生と四回生の違いは如実だった。三回生の方はまだ茶髪だったりするが、四回生の方は総じて黒髪で青い顔をしていた。もう七月なので、内定がもらえなくて焦っているのだろう。
一方、香凜と葵は涼しい顔である。
葵はどうやらネックレスを売ることと和馬を関連付けて考えているらしい。なかなか鋭い、と香凜は思った。言ってしまおうか、とも思ったがぐっとこらえた。
「いや、まず付き合ってないし」
「そっか、じゃあ香凜の片思いだ」
「でも、今度ご飯行くし、毎日ラインしてるよ?」
香凜がむきになって言うと、葵は
「それはただのライン友達でしょ」
 と返した。痛いところを衝かれ、香凜は思わず嫌な顔をした。が、その通りだった。

 和馬とは短期留学先のアメリカで知り合って、もう一年になる。香凜と知り合った時にも既に彼女がいて、別れてもまたすぐに彼女が出来、また別れ新しい彼女が出来、を繰り返しているらしい。また、香凜と知り合った留学中に同じ寮の女の子の部屋から出てきたという目撃談まであった。香凜と和馬とは現地の英語のクラス分けで同じクラスになり、知り合った。和馬はクラスでは真面目で、香凜を自習室に誘い、毎日二人で勉強した。香凜はそれで意気投合したと思ったのだが、帰国してから和馬の方から連絡が来ることはなかった。それで、香凜から連絡をして細々とラインを続けているのだが、和馬から帰ってくるのは短い文章とスタンプばかりだった。香凜が耐え切れなくなって和馬の話を他の留学仲間に振ると、女がらみの悪い噂ばかりを聞かされ辟易(へきえき)していた。

「和馬君はまた彼女いるんじゃないの」
「……知らない」
「毎日ラインしてるんでしょ?」
「まあ、いるんじゃない?」
香凜はついに不貞腐れて葵から目を背けた。
「本人が歴代彼女の人数は二〇人とか言ってたんでしょ。やばいよ。それ。そんなやつやめときなよ」
「分かってるよ」
 香凜も和馬と万が一付き合えたとして、それで幸せになれるとは思っていなかった。でも、もう一年も忘れられず、諦めきれないのだから仕方がないではないか。この一年間で少なくとも二十回は和馬のいるW大学のキャンパスに足を運んだ。和馬と約束しているわけでもないのに、である。
葵が右手をさっと撫でた。香凜は葵の右手薬指に光る指輪をちらと見た。彼氏から貰ったらしいペアリングで、葵は頻繁に左手で触っている。その仕草が無意識なのか意識してのことなのか香凜には分からなかったが、苛ついた。まだ彼氏の段階なのに指輪なんかで縛られて馬鹿みたい。縛ってくる男も気持ち悪い。そう思っているはずなのに、香凜は羨ましくて仕方がなかった。
「ねえ、インターンってもう申し込んだ?」
葵は香凜のそのような目線に気が付いたのか、話題を変えた。
「うん。一応、五社くらい」
「私もそれくらい」
 葵が香凜の右横の席に座っている三回生らしい女子学生を見た。女子学生はタリーズの限定のティーソーダを飲んでいる。
「どれくらいインターンに行けば余裕なんだろうね」
ひとしきり就活の話で盛り上がってから、葵が門限となり解散することになった。帰り際、
「もう和馬君はやめときなね」
 と思い出したように葵が言った。香凜は曖昧な笑みを浮かべてから手を振った。
結局、その日は、フリマアプリでネックレスは売れずじまいだった。

『おはよう』
 香凜は一限目の講義に出席した。ペットボトルのお茶を飲みながら和馬にメッセージを送る。和馬は水曜日に一限目の授業を取っていないので、起きていないはずである。返信が来るのが昼くらいになるだろう。香凜が和馬から時間割を教えてもらったわけもない。それまでの会話の中で和馬が採っているであろう講義をW大学のシラバスで検索し、予想した時間割を勝手に構築しただけである。水曜日の朝は、和馬からすぐに返事が来ないはずなのに、わざわざこの時間にメッセージを送ったのは、香凜自身が返事が来なくて傷つくのを防ぐためである。香凜はまたカバンを右腰に密着させて講義を受け続けた。講義が始まって三十分くらいでスマホが振動したのを感じた。だが、一限目の講義は少人数で受講していたので、すぐに通知の内容を確認することができなかった。講義が終わってすぐに通知を見ると
和馬からだった。
『おはよう』
というメッセージだけが送られていた。四文字だけのメッセージである。それでも香凜は狂喜乱舞した。
『今度のデート、どこ行く?』
その直後にふざけた表情のくまのスタンプを送った。和馬に香凜との今度の約束が、デートという認識があるとは思えなかった。
(続く)

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