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フリマアプリ小説(育休主婦美佳編)第一話『きっかけ』


 美佳(みか)は食材の入ったエコバッグを肩から提げてスーパーから家に帰る。交差点で信号を待っていると、視界が段々ぼやけてきた。喉がひきつるような感覚を覚え、首元に手を伸ばすと、手が濡れた。「なんだこれ」と思った。単に涙があふれているのだった。

 体調が優れず、苦しかった妊娠期間を終え、美佳は無事に子どもを産んだ。しかもその子どもは健康で、夫も日中は仕事で家にいないものの協力的である。美佳は、「悲しいことなど何もない。ないはず」と心の中で呟いた。それなのに、独りでに涙が出てきて止まらなかった。

 子どもを産んでから三か月目にして美佳の身体と心は限界を迎えた。全てが子ども中心に動くため、寝たいときに眠れず、お腹が空いても食べられず、トイレに行きたくても行けないため、身体はだんだん自分自身の欲求を無視し始めていた。一度トイレに行きたいということを忘れて、子どもを抱いて立ち上がった途端に漏らしたこともある。二十四時間体制で子どもを見ないといけない過酷な生活の中にいても、美佳は子どもの前では笑顔でいなければいけないと思っていた。どれだけ眠たくても、美佳は歌を歌い、子どもを四六時中抱っこして愛情を伝えようとした。精神的にも肉体的にも壊れかけながらも、無理ばかりしていたのはこの時期の愛情不足が子どもの発達に関わるという育児書を読んだからだった。              

 美佳は、子どもを産んでから、「私は子育てに向いていない」と何度思ったか知れない。実際にそう口にしたこともあった。しかし、美佳がそう言うと、美佳の母親や既に子どもを持っている友人からは、「私もそう思ったことあるよ、でもね、一時的なものだよ。すぐに子どもとずっと一緒にいたいと思うようになるから」と美佳へ同じ回数だけ答えが返って来た。だが美佳はもう三か月間も自由が欲しくて仕方がなかった。子どもから離れ、好きな時間に眠ったり、外出したりするための自由。美佳はダメな母親だと自身を責めながらも、どうしても自由が欲しいと思う気持ちを止められなかった。
 美佳は一年間の育休を経て、職場に復帰する予定でいた。妊娠中は体調不良で、休みがちとなったため、同僚から白い目で見られていた。自分でコントロールできない体調不良のせいでで、休むたびに何度も頭を下げ、情けない気持ちでいっぱいになった。そのため、働いている間は育休が待ち遠しかった。だが、その楽しみだった育休も半年に短縮したいと思っていた。もう二度とあの体調不良を経験したくないので、子どもにお腹の中に戻ってほしいとは思わないものの、美佳にとっては子育てよりも仕事の方がずっとましだった。

 昼間、美佳が居間で子どもをあやしつつ、何の気なしにその背景を見ると、部屋が散らかり放題である。片づけをしなければいけないのはよくわかっていた。ネット記事で赤ちゃんのお世話で疲弊する母親を励ます言葉として、「埃で人は死にません」というのがある。だが、たとえ、死ななくても、埃で呼吸がしづらくなることはあるのではないだろうか。美佳は、掃除をしないことで子どもが苦しんだりするのは嫌だった。だが、掃除をしようにも美佳の子どもは、寝たと思ってベッドに置くと泣いてしまうので、いつ置いていいのか分からない。なので、美佳が子どもを置いていいのは子どもが寝た時だけである。その時が掃除のチャンスなのだが、子どもが寝た時には、美佳の精も根も尽きているので死んだように寝ていた。なので、数か月間ほとんど部屋の片付けができなかった。

 ある夜、美佳は子どもが寝静まってから、眠いのを我慢して部屋を掃除していた。部屋の家具は統一感を持たせて、少しでも部屋全体を綺麗に見せようと、結婚後に美佳が一所懸命グレー基調で揃えた。だが、そのことももはや意味を失っていた。脱ぎっぱなしの洋服、子どもの口を拭いてほったらかしになったタオル、飲みっぱなしのペットボトル、果ては子どものおむつを捨てそびれていたものがソファの下から出てきたりした。掃除機は音がうるさいのでかけられなかったが、ごみを素手で集めて捨てることはできる。美佳は床に這いつくばり、ごみを拾い集めていた。埃や食べ物の屑が手のひらに大量にくっついた。こんな埃だらけの場所で子どもを育てていたのかと思うと、美佳はぞっとした。今は大丈夫かもしれないが、掃除をしないせいで子どもがぜんそくやアレルギーになっては困る。やはり掃除はしなければならない。家の中にものが多すぎるのだ。掃除の途中、手始めに出産祝いで貰った物を整理しようと、クローゼットを見た。美佳がふと手に取ったのは子どものスタイ(よだれ掛け)だった。無造作に洋服が掛けられたハンガーラックの下に段ボール箱があり、その中にスタイが入っているのだった。

 美佳は子どもがそれほどよだれを垂らすわけでもないため、スタイにはあまり必要性を感じていなかった。しかも、子どもは、スタイが嫌いで付けようとすると抵抗する。最初は美佳も喜んで使おうとしていたものの、子どもがスタイを嫌がることに気が付いてからは、その多くはタグさえ切らずに放置されていた。新品なので、もったいない気もしたが、このまま家の中に放置していても、埃の温床となるだけなので処分しなければならない。

 早く処分してしまいたいので捨てることを一番に考えたが、美佳は「これは、いったいいくらくらいなのだろう」と思い、公式サイトで調べてみた。美佳も、他人からいただいた物の値段を調べるなどあまり褒められたことではないとは分かっていた。しかし、興味に負けて調べてみると、二五〇〇円(税別)と書かれていた。美佳は、この手のひら二つ分にも満たない小さな布が高価であることに驚いた。美佳は咄嗟に後ろのクローゼットを振り返り、タグ付きのスタイの山を見た。少なくとも、十枚はありそうだ。くまのアップリケが付いたスタイ、サクランボの刺繍が入ったスタイ、リボンの付いたスタイ、くまの顔のデザインのスタイ。数だけはたくさんあるものの、スタイはリサイクル業者に売ったとしてもおそらく、値段が付かないようなものかもしれない。美佳は以前流行していた「断捨離」のため、段ボールいっぱいに物を詰めてリサイクル業者に送ったことがあった。新品でタグ付きの衣服や、箱のまま未開封のブランドものの陶器など、高値が付きそうなものを送ったが、それでも二〇〇〇円ほどにしかならなかった。子ども用のスタイなど、ついてせいぜい一枚一円かもしれない。だが、これをフリマアプリに出せば、せめて一円以上で売れるのではないか。美佳はスマホを手に取り、フリマアプリを開いた。しかし、美佳が今まで出品したことのある品物の数は三個であった。一応売り切れてはいたものの、叩き売りのような値段設定をしたから売り切れたようなものだった。しかも、その全部が本であった。なので、出品したことのないジャンルである子ども用品の相場など美佳には全く分からなかった。同じような子ども用品の相場を検索し、相場より安く、原価を度外視し、八〇〇円と値段を付けた。
 出品を終えると、喉が渇いたので冷蔵庫に麦茶を取りに行った。コップに麦茶を注ぎ、それを飲みながらテレビを観ているとスマホの通知音が鳴った。メッセージかと思い、画面を開くと、フリマアプリから商品が売れたという通知が届いていた。美佳が出品してから、ものの5分ぐらいの出来事であった。美佳は目を疑いつつも、商品の取引ページをクリックした。美佳の疑いとは裏腹に、商品の写真の左上に売れたしるしに赤い三角が付いていた。
 予想していたより遥かにすぐ売れたので慌てて、
「ゆりりん様
はじめまして!みかぽんと言います。この度はご購入いただきありがとうございます。短い間ですが、よろしくお願いいたします」
 と文章を送ると、
「みかぽん様
はじめまして。購入させていただきました。ひきつづきよろしくお願いいたします」
と相手からメッセージが帰ってきた。売れたスタイはさくらんぼの刺繍が入ったもので、女の子用だった。「ゆりりんさんも、私と同じように乳児を育てるお母さんなのだろうな」と思うと、急に購入者への親近感がわいた。他人の子どもとは言え、子どもに付けさせるものだったら、できるだけきちんと梱包しなければいけない。美佳は売れたスタイをビニール袋で水濡れしないようにしてから、海外ブランドのショッパーに入れてセロハンテープで封をした。

 商品が売れた時間帯が深夜だったので郵便局は開いていなかった。美佳はパジャマの上からパーカーを被った。居間の電気を全て消し、寝室のドアを怖々開けた。寝室の中で子どもが寝静まり、安全な状態にあることを確認すると、駆け足でコンビニに行った。専用の機械を操作しながら、スマホでコードを読みとり、レシートを店員に渡すと、フリマアプリ専用の宛名シールが渡された。それをショッパーの上から貼り付ける。貼り付けた後のゴミは店員が回収してくれた。発送が終わりコンビニを出た。家に帰る途中の横断歩道で信号を待っていた。美佳は誰かの役に立てたような気がして嬉しかった。美佳は「自由が手に入れられなかったとしても、こんなに満たされるんだ。私に必要なのは社会とのつながりなのかもしれない」と思った。
 商品が売れてから二日後、美佳のアカウントにお金が入った。アプリの運営会社に支払う手数料と送料を差し引いて、美佳の手元に残ったお金は、五一〇円だった。やはりリサイクル業者に売ればただ同然で買い取られるものも、フリマアプリで売れば、何百円かにはなるのだ。このお金は、「ない」お金だと思って、自分で使わず子どもの教育資金にしようと美佳は大義名分を得た。

これ以降、美佳は、家にある不用品を売り始めた。

(3998字 原稿用紙10枚)

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