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Internal Focus と External Focus;二律背反の構造で捉えることに限界

▼ 文献情報 と 抄録和訳

二律背反を超えて:ヒトの運動パフォーマンスにおける注意の焦点に関する拡張パラダイム

Gose, Rebecca, and Amit Abraham. "Looking beyond the binary: an extended paradigm for focus of attention in human motor performance." Experimental Brain Research (2021): 1-13.

[ハイパーリンク] DOI, PubMed, Google Scholar

[背景・目的] 注意の焦点(Focus of attention: FOA)は、人間の運動パフォーマンスに影響を与えることがわかっている。FOAに関する研究では、主にFOAを身体の外部または内部のどちらか(それぞれEFOAとIFOA)に設定してきた。しかし、この2つのパラダイムは、ダンスを含む多くの学問分野の核心である、個人、課題、環境の間のダイナミックな相互作用を見落としている。

[レビュー内容] 本論文では、EFOAとIFOAが人間の運動パフォーマンスに与える影響を比較検討した。次に、このEFOAとIFOAの二元的なパラダイムの中で、概念的、定義的、機能的なレベルでの課題を明らかにし、研究結果を誤って解釈し、現在のFOAの理解を妨げる可能性があることを指摘する。これらの課題を踏まえ、現在のパラダイムを非二元的なものに拡張するために、EFOAとIFOAの間に存在するダイナミックな相互作用を強調した「ダイナミック・インタラクティブFOA」という追加のFOAカテゴリーを提案している。そして、異なるFOAのサブタイプを個別に研究するための適切なアプローチとして、精神的イメージが提案されている。最後に、動的相互作用FOAの視点を、運動リハビリテーションからスポーツやダンスのパフォーマンス向上まで、幅広い分野に応用するための臨床および研究について議論する。

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ダイナミック・インタラクティブ・フォーカス・オブ・アテンション(DIFOA)。DIFOAは、両焦点だけでなく、両焦点の間に存在する非離散的な境界線と動的な相互作用を認識する、単一の統一されたシステムである。

▼ So What?:何が面白いと感じたか?

簡単に、Internal Focus と External Focusについて説明する。

Internal Focus
例. ゴルフのパターにおいて「自分の肘の曲がり具合に注意を向ける」こと
利得・適応:動作フォームの再編成、自己組織化された動作を一旦解体し一部を修正
External Focus
例. ゴルフのパターにおいて「ボールに注意を向ける」こと
利得・適応:注意の要求を減らす(動作が無意識的に自己組織化される)、運動学習のプロセスが速まる

以上のことは、運動パフォーマンスをはじめ、リハビリテーションにおける運動学習の重要な一側面としても知られている。今回の論文は、そのそれぞれを整理するとともに、「その境界線って、曖昧だよね。二律背反でいることは、問題じゃないの?」と提案している。
たとえば、義足は外環境の一部だが、熟練した義足使用者は、道に落ちた小さな小石をも知覚することができる。果たして、これはInternal Focus?、それともExternal Focus?
逆に、手は自分の身体の1部だが、身体の外部にある物体として認識されたときには、External Focusとみなされる。
このように、Internal FocusとExternal Focus、その境界線は二律背反でいられない程度には、動的である。
このファジーな境界線において、「どのような言語フィードバックやキューイングの方法があり得るのか、そしてその効果はいかに?」というのが、次の課題だ。

「この両の掌をみろ」
「はい、見ております」
「よし」ぱん、と掌をうった。
「聞こえたか」
「はい」
「さればどう聞こえた」
「ぱん、と。」
「その音、右の掌の音か、左の掌の音か」
「・・・・・・」
またややこしいことをいう、とおまあは今度は心を引き締めている。
「どちらの音だ」
「右の掌」
「と思えば右の掌じゃ。左の掌と思えば左の掌じゃ。左右一如になって音を発している。」
~司馬遼太郎 「国取物語(1)」 P348~

この合いの手の「音」に相当するものが、運動経験なのかもしれない。
外部と内部の双方により生成され、一瞬で生まれ、一瞬で消える。
その連続が運動経験だとすれば、注意というスポットライトは、その当て方ひとつで、外部にも内部にも行き来できるだろう。同時に、外部と内部の関係性にひとつの価値が生まれることを見落としてはならない。
ぼくたち臨床家は、患者さんの注意の指揮者だ!どんな風にタクトを振ろうか?そこに、無限の可能性があることを改めて知った。

さて、どんな声かけをしよう?