役割の逸脱―『シュガー・ラッシュ:オンライン』感想
こんにちは、ダマシと申します。
私がディズニー作品の中で特に好きなのが『シュガー・ラッシュ』という作品です。
30年間ゲームの悪役を続けてきた大男、ラルフがヒーローを目指す中で不具合を抱えるせいでゲームに出られない少女、ヴァネロペと出会い自らの役割を受け入れていくという話です。
ゲームの世界という誰もが知る世界を舞台に悪役の悲哀やラルフとヴァネロペの友情を見事に描ききっている名作で、まだ見ていないと言う人には是非観てほしい作品だと思っています。
で、今回お話ししていくのがその続編にあたる『シュガー・ラッシュ:オンライン』になります。
あらすじ
前作から6年後、トラブルを起こしシュガー・ラッシュの筐体のハンドルを壊してしまったラルフとヴァネロペは、ネットオークションにハンドルが出品されていることを知り店のWi-Fiからインターネットの世界へ飛び出す。
なんとかハンドルを落札した二人だったが、金銭を持っていなかったため24時間以内に指定の金額を稼がなければいけない状況に陥る。
ゲーム「スローターレース」のキャラクター、シャンクの車が高額で取引されることに目をつけた二人は盗みを試みるが失敗し、ヴァネロペは今まで足りないと感じていた自由を味わえるこのゲームに惹かれるようになる。
果たして二人はハンドルを手に入れシュガー・ラッシュを救うことはできるのか?そして、ヴァネロペの選択は――
感想
個人的には一点を除けばとても面白かったです。特に面白かったのがネット世界の描き方ですね。
検索エンジンを擬人化したりサイトを訪れる表現をアバターが乗り物で建物に移動することで表すなどかなりユニークな方法で再現された世界は見ていて飽きなかったです。
自分たちの生活に密着していて何気なく使っているものだからこそ、こうしたちょっと異なる形で見せられると「そういう見方があったか!」と面白く映るんですよね。見慣れている世界をここまで魅力的に描くディズニーの表現力には脱帽です。
あとしつこいポップアップ広告でしたりカクカク動くプレイヤーキャラやシャンク初登場時のオシャレな名前の表示だったりと随所に仕込まれている「あるあるネタ」も豊富なのも共感しやすくて楽しめました。
こうした「あるあるネタ」って分からない人には刺さらないのが問題点としてありますが、本作ではそれを誰もが使ったことがあるネット世界にあてはめることで絶対誰かしらに刺さるようになっているのは強いですね。
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』であるあるネタを使ったのに誰もがマリオを遊んだことがあるせいで全員に刺さった事例を思い出しました。やっぱり知名度って大事だわ。
そして新キャラに関してもばっちり魅力的です。個人的にお気に入りのキャラはシャンクです。
とにかくカッコいいんですよこの人。ワイルドな世界観のキャラクターなだけあって見た目もさることながらドライビングテクニックも超一流、年長者としてヴァネロペの悩みを聞いてくれる優しさなど見た人の大半は彼女のとりこになっていると思います。
欠点としては出番が少ないことでしょうか。なんで最終決戦のときに活躍させてくれなかったんですかディズニーさん?
またテーマである「今の役割からの変化」という点は前回のテーマである「与えられた役割を果たす」からステップアップしていて良かったと思います。
まあその描き方が違和感凄いんですけどね、はい。
問題を起こすラルフ
というわけで唯一にして最大の問題点、主役二人の描かれ方について語っていきます。トイ・ストーリー4といい主役を変な描き方するのやめてくれません?
まずはラルフの問題点。前作でひとりぼっちだった彼はラストで同じゲームの仲間と和解を果たしヴァネロペという友達を得ました。
で、本作ではそのヴァネロペに過保護の父親のように接しています。彼女が危ない目に遭わないか心配しついていこうとしたり、ヴァネロペがスローターレースの世界にいたいと言ったときはそれを否定しています。
とにかくヴァネロペが自分のもとを離れることを恐れているんですよね。まあそのせいで終盤とんでもない問題を引き起こしインターネットを危うく崩壊まで導きかけたんですが。
ヴァネロペのためを思って行動したとはいえ、結果的に彼女を傷つけ問題を起こすため本作のラルフはヘイトを溜めていました。
個人的に主役にヘイトを溜めさせるのはちょっとどうなの?って思いました。ましてや前作も主人公をつとめていたキャラクターなためラルフが好きな人も多かったでしょうから、そこらへんのヘイトコントロールはもう少し慎重にやってほしかったです。
自分の欠点をコピーしたウイルスを見せつけられてその醜さを自覚する展開も結構露悪的で快くありませんでした。一応ラルフがヴァネロペを助けるため動画投稿をしてお金を稼いでいたことを登場キャラがヴァネロペに教えてあげるなどフォローもありますが、全然足りてないんですよね。
自由を得ようと新たな世界へ出ようとするヴァネロペとそれを引き留めようとするラルフって演出なんでしょうけどもう少しいい見せ方あったでしょって思いましたね。
ただそんな風に作品のテーマである新しい世界に飛び出ようとするヴァネロペを手放しで応援できるかと言われると決してそうではないと私は思います。
「自由」ばかり重んじるヴァネロペ
本作のヴァネロペは自分のやりたいことを見つけ、自分のゲームである「シュガー・ラッシュ」から離れ「スローターレース」の世界で生きていく決意をします。
その決断自体は決して悪いものではありませんし、自分の本当にやりたいことを見つけられるのはそうしたものを未だ見つけられていない私にとっては羨ましいことです。
なんですけど、たった一つの描写が足りていないせいでその決断を肯定できないんですよね。
そのヴァネロペの決断の唯一にして最大の問題点、それが「スローターレースの世界で生きることをシュガー・ラッシュの仲間の誰にも伝えていない」ことです。
いや流石にそれを伝える描写は入れろよ!?突然ですが別のゲームでこれから暮らすことになりました!って言ってるんだぞ!?
なんでそれに対するリアクションとか諸々描写省いてんだよ!!トップクラスで省いちゃいけない箇所じゃねーのそれ!?
現実世界で考えてほしいんですけど「アイドルグループの人気メンバーが宣言も何も無しに突然辞めて別事務所のヘビメタバンドに入った」って感じですからねこれ。こんなことになったら誰だって理由を説明してくれって言いたくなるじゃないですか。
それを「本当にやりたいことが見つかったから」だけで片づけるのは流石に無理がありますってディズニーさん。
トイ・ストーリー4といい突然の心変わりを仲間たちが何でもないことのように見過ごすのは違和感が凄かったです。
で、この勝手に別ゲームのキャラになっていいか問題に対し作中でヴァネロペはこう返しています。「あたしはあくまでも12人いるレーサーの一人」だと。
つまりあくまで自分は数いるレーサーの一人に過ぎないんだから、自分がいなくなってもどうってことないでしょ?ってことです。
正直このセリフを聞いたときマジかよって思いました。だって制作陣がその程度にしかゲームのキャラという存在を考えていないってわかっちゃったわけですから。
ゲームを普段遊ばない人にはわかりにくいかもしれませんが、3次元の人間と同じようにゲームのキャラにも個性があり同じものは一人として存在しません。
そのそれぞれが持つ個性に惹かれ遊んでいる人にとって「好きなキャラ」でしたり「よく使うキャラ」が生まれていき、そうした存在は遊んでいる人にとって「たった一人の存在」になっていくんです。
つまり上のようにヴァネロペは言っていますけどそれは大きな間違いで、シュガー・ラッシュをプレイしているどこかの誰かにとってはオンリーワンな存在なんです。
ヴァネロペのこのセリフは自分でプレイしてくれている人のことを全く見ていないんですね。
事実本作の冒頭ではヴァネロペの持つ瞬間移動を使いたいからとヴァネロペでプレイする女の子が出てきます。瞬間移動はヴァネロペしかできない「個性」であり、そこに価値を見いだしているこの子にとってヴァネロペはまさに「たった一人の存在」だと言えるでしょう。
ゲームというのは作った人とそれを実際に遊んでくれる人の両方があって成り立つものです。そのゲームを扱う本作において、遊んでくれる人を軽視しているようなこの発言はするべきでなかったでしょう。
自我を持つゲームキャラ
ヴァネロペの話の続きとなるのですが、彼女の行動は結果的にシュガー・ラッシュとスローターレースを崩壊させるリスクを孕んでいます。
だって本来いるはずのヴァネロペが存在しないんですもん。日ごとにレーサーが変わる仕様のため最初はごまかせるかもしれませんが、いつまで経ってもヴァネロペが出てこないとなればバグ等を疑われ、最悪の場合筐体の電源を落とされる可能性だってあります。
確かにヴァネロペは新天地で自由を手にしました。でもそれが生まれ故郷を破壊するようなものだったら果たしてそれを手にするのは是なのでしょうか?
自由と責任のバランスが釣り合ってないんですよね。
また問題が起こるのは移住先のスローターレースも然りです。
だって今までいなかったはずのヴァネロペが突然追加されているんですもん。運営会社もびっくりです。
ヴァネロペは他社のキャラなので当然ながら権利問題も起こるでしょう。会社は無くなっているとはいえ無断でキャラを使用していると見なされかねないわけですから。
下手すれば「無許可で他社のキャラを出した」という悪評がつきまとったり裁判に発展するなどして、スローターレース自体が炎上、サービス終了する可能性もゼロではありません。
トイ・ストーリー4もそうでしたけど、まず伝えたいメッセージありきで物語を作っているのかその決断による周りの人への影響を一切考えていないんですよね。
少なくとも今回はゲームの中だけでなくそれが及ぼす現実世界への影響も加味しないといけませんでした。
そもそもゲームキャラとオモチャって自我がない存在と思われている部分が共通していて、そうした意味ではシュガー・ラッシュとトイ・ストーリーは似ているのになんで同じようなテーマを扱ってシリーズファンから反感を買ったのにトイ・ストーリー4でも同じようなシナリオ展開をしてしまったのかわけがわかりません。
この映画最大の問題点は「ゲームキャラが自由を得ようとしている」ことです。
自由を得ようとすることは悪いことではありませんが、ゲームキャラという存在と自由という概念の相性は最悪に等しいです。
あくまでゲームキャラはプレイヤーの分身なためそこに本人の自由はありません。もしキャラが操作を無視して好き勝手に動くのならばプレイヤーがいる意味はありませんし、それだったらゲームを遊ぶ理由すらありません。
じゃあ操作しない、できないキャラ(NPC)や悪役はどうかというとそうしたキャラにも自由はありません。
ゲームの世界は一人一人のキャラが己の役割を果たすことで成り立っているため誰一人として欠かすことはできません。自分の役割をほっぽり出すなんてもっての外です。
前作は悪役からヒーローになろうとしたラルフだって悪役である彼がいなくなったことでゲームが稼働終了しかけました。町の住人Aみたいなゲームにたいした影響を及ぼさないモブキャラだったらまだいいかもしれませんが、主役級のキャラがいなくなるとそのゲームは流石に異変があると見られます。
つまるところゲームキャラが己の役割を放棄することはゲームの終焉を意味します。というかその危険性に関しては前作で描かれたはずなんですけど。
そのはずが本作ではゲームキャラが己の役割を逸脱することが肯定され、前作で描かれた危険性を完全に無視するという続編ものとしてやってはいけないレベルのやらかしをしています。
そもそも観客の見たいゲームキャラの自由な姿って前作のようなゲームセンター閉店後のプレイヤーから離れた「オフの姿」だと思うんですよね。
それを「選択の自由を行使する存在」であるかのように描いてる時点でこの映画はある意味失敗しているのだと思います。
まとめ
以上『シュガー・ラッシュ:オンライン』の感想でした。
今いる場所を飛び出し新しい世界へ行くのは悪いことではありません。転職が一般化してきた現代ではそのことに異を唱える人はいないでしょう。
ですがよっぽど離れる世界が酷いものでない限り、それを行う上で後任者の使命など自分がいなくなったときのその組織へのダメージを考慮しないと他の人がとても困るからそこはしっかりしようね、っていう教訓がこの作品にからは得られるでしょう。
まぁ制作陣が本当に伝えたかったことを考えたらアンチテーゼみたいなものなんですけどね、はい。
それではまた次の記事でお会いしましょう。
ではまた。
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