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3.「幸福度 16~30歳」

こんにちは。モチベーションファーム/「幸せ感性力」コーチの藤井です。

「“幸せ感性力”の磨き方」の第3回目は「幸福度 16~30歳」というテーマでお届けします。

以前にご紹介した僕の「幸せ度」の指標は以下の通りです。

①15歳頃の僕  5・16・14・11・ 9
②30歳頃の僕  8・12・13・10・10
③45歳頃の僕 20・22・16・18・17
④現在(60歳)29・24・26・24・25

数値は左からエド・ディーナー「人生満足尺度」(35点満点)、前野教授による「やってみよう!因子」「ありがとう!因子」「どうにかなる!因子」「ありのままに!因子」(各28点満点)です。

今日は②の頃までの15年間についてお話しします。

中学生時代の僕は、学校の成績は上位にいました。
能力があったというよりは、周りの人よりも少しだけ勉強時間を多くとったということだと思います。言うなれば努力賞的なものだったと思います。
そんなことで、高校は地域の1番手校の県立横手高校に入学しました。
入試は360人中40番くらいの得点だったようです。
しかしその高校に進学する時に両親と約束したことがありました。
それは、大学には行かないということです。
当時の両親や僕には、奨学金を得るなどの発想が全くありませんでしたので短絡的に結論を出していました。
なので僕の高校3年間は成績は下がる一方で、卒業の頃には360人中358番くらいでした。ほとんど勉強した記憶がありません。卒業するために最低限の点数を取っていた感じでした。
卒業間近になり税務の公務員試験を受けましたが、一次の筆記試験合格者の4名には残ったものの面接で不合格でした。面接では試験合格後に入学する「税務大学」に入りたいと言う思うが強く出過ぎたのだと思います。本来は公務員として抱負などを語ったら良かったのでしょう。
結局この年の合格者は1名でした。
過度の期待はしないでいたものの、多少の希望があっただけにショックでした。その後慌てて民間企業の求人票を見たような状態でした。
高校時代の3年間は、僕にとっては「暗黒の3年間」でした。
何の目的も希望もなく、ただ毎日が無為に過ぎていくだけのように感じていました。
今思うと、高校の知識内容だけでもしっかり学んでおいたら良かったです。
その後は、埼玉の資本金1千万円くらいの製造会社に事務職として就職しました。
実家から持って出たのは、一組の布団でした。初任給は10万円くらいだったと記憶しています。
それから会社の独身寮に入るわけですが、田舎者の18歳は早々に失望します。
それは社員の皆さんはとても善良な人たちばかりなのですが、寮での生活は仕事から帰るとお酒を飲みながらのマージャン。土日は競馬というようなものでした。しかも独身寮に入っている人は30歳から45歳くらいの人たちでした。
10年後の自分を見たようでショックでした。そして3年目で会社を辞めることになります。

資金力無し、学歴なし、人脈無しで飛び出した僕でした。
一時、田舎に帰り働きましたが、再び上京したのが22歳くらいだったと思います。その頃、働き始めた会社は営業会社で、売上さえ上がれば何でもありのような会社でした。お金を稼ぐことだけが目的で志があって働いていたわけではないので、仕事が終わるとネオン街で酒を飲んで憂さを晴らすような毎日でした。30歳くらいまではその業界にいました。
その頃までに、すでに転職は3回していました。
仕事の内容は嫌でしたが手は抜かずにやっていたので、当時社内では最年少係長で収入は同年代よりはかなり多かったと思います。僕の人生において貯蓄が一番あった時期でもあります。
しかし未来への希望はなく、毎日の生活が嫌で嫌でたまりませんでした。
そんなわけで「幸福度」は以下のようになります。


8 「人生満足尺度」(35点満点)
12 「やってみよう!因子」(28点満点)
13 「ありがとう!因子」(28点満点)
10 「どうにかなる!因子」(28点満点)
10 「ありのままに!因子」(28点満点)

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