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2.「幸福度 1~15歳」

こんにちは。モチベーションファーム/「幸せ感性力」コーチの藤井です。

「“幸せ感性力”の磨き方」の第2回目は「幸福度 1~15歳」というテーマでお届けします。

前回ご紹介した僕の「幸せ度」の指標は以下の通りです。

①15歳頃の僕  5・16・14・11・ 9
②30歳頃の僕  8・12・13・10・10
③45歳頃の僕 20・22・16・18・17
④現在(60歳)29・24・26・24・25

数値は左からエド・ディーナー「人生満足尺度」(35点満点)、前野教授による「やってみよう!因子」「ありがとう!因子」「どうにかなる!因子」「ありのままに!因子」(各28点満点)です。

今日は①の頃までの15年間についてお話しします。
僕は昭和35年(1960年)に秋田県横手市で生まれました。
言うなれば、ド田舎で生まれ育ったわけです。
横手盆地と言う地形環境にあり、当時は一冬に2mの降雪があり、夏は夏でとても暑い土地柄でした。
僕は、父が26歳、母が24歳の時に長男として生まれました。(三つ下に弟が一人います)
父は昭和9年生まれですが、終戦のどさくさのなか最終学歴が小学5年生で終わっています。
その後は農家に丁稚奉公(今では死語ですね)に出され、大人に混じって農家の仕事を覚えました。(その頃にはすでに父にとっての両親は他界していました)その後、縁があって旅館で丁稚奉公をして、魚をさばくことを覚えたようです。そこで数年修行をした後、魚屋として独立させてもらったようです。
とは言えお金がなかったので、最初はリヤカーで行商をしていました。(冬にはリヤカーを箱ぞりに変えて商売をしていました)
店舗兼住宅を借りて、やっと10坪ほどのお店を出したのは、僕が小学3年生の頃です。
こんな調子ですから、僕の家はどちらかというと貧しい家でした。
幼少の頃、近所の子供たちと一緒に遊ぶ時は、おもちゃのあるお友達の家に行きます。そうすると、おもちゃばかりでなく、家電や家具など、自分の家には無い物がたくさんあるんです。
そんな体験から、幼少期の僕には「ボク(の家)は人に比べて劣っている」ということが刷り込まれました。(実際には自分で刷り込んだ、ということですが)
人をうらやむ嫉妬心と劣等感が育まれていきました。
今でも耳に残っているのは、母の「家はお金がないから何もできないんだよ」というものです。(実際に、そのように言ったかどうか定かではありませんが「何もできない」という呪縛が残っています)
物心ついた小学生高学年くらいには、その劣等感を和らげるために得意なスポーツに力を注ぎました。しかしそれも突出した能力ではなかったので、自分の非力さを思い知ることの連続でした。
中学生になると、どうした訳か学校の成績が良くなっていきました。おそらく自信を取り戻すには、何かを「がんばる」必要があったのだと思います。
中学レベルの学習内容ではやった分だけ伸びるので、少し自信を取り戻していったのではないかと思います。

そのような感じだったので、幸福度の指標は以下のようになっています。

5 「人生満足尺度」(35点満点)
16 「やってみよう!因子」(28点満点)
14 「ありがとう!因子」(28点満点)
11 「どうにかなる!因子」(28点満点)
9 「ありのままに!因子」(28点満点)


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