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ポリコレ普及も衰退も日本には関係ないから無視しよう

まずは反ポリコレについて説明しますと、今世紀に入ってから急速に普及しつつあった(主にヨーロッパとアメリカ合衆国で)「Woke」(目覚めた)などと言われる、所謂ポリコレ準拠のコンテンツや、そうでないものに対する表現規制に対する反動的なムーブメントを指します。他にも色々な動きはありますが、今回ここでは陰謀論やデモ活動などを含まない穏健な活動のみについて語ります。

Twitter社がイーロン・マスクに実質的に買収されたことによって、この春以来、Twitterが反ポリコレ的プラットフォームの最先端になるかと見られていました。
(とはいえこれには極端な視点が含まれています。ポリコレ推進派の極左からみると、それらに賛同しないイーロン・マスクが極右に見えてしまうということのようです)
ところがここに来てNetflix社が「Woke」コンテンツの推進を撤回し、また「有害な」コンテンツの排除を拒否し始めるとのことです。

オピニオン Netflixは「目覚めた資本」の限界を示している(ワシントン・ポスト)
https://www.washingtonpost.com/opinions/2022/05/20/netflix-showing-limits-woke-capital-dave-chappelle-special-antiracist-baby/


そもそも原則からいえば、有害なコンテンツとして排除されてよいものは児童ポルノやスナッフビデオのような「直ちに違法な」コンテンツのみです。
思想的に劣るだとか、冒涜的であるとか、暴力的であるという点は作品の優劣には繋がるかもしれませんが、あくまでもそれらを理由に排除することがあってはならない、というのが前世紀末までかけて人類が築いてきた価値観です。それは人が思想・信仰・生い立ちを元に差別されてはならない、ということと同じことを指すからです。

繰り返しになりますが、21世紀に入ってヨーロッパとアメリカ合衆国では、「正しい表現」を定義することによって、そうでない表現に対する間接的な制限や排除を正当化する動きが始まっていました。
この動きは欧米と文化圏を近しくする日本人にとって、追随するに相応しいかのように見えるものでした。
実はこれこそ日本人が陥った罠だったのです。

欧米におけるポリティカル・コレクトネスは、基本的に「富裕層の白人(特に男性)」を「正しい行動をとる存在である」ことに仕立て上げるための方便だからです。
「富裕層の白人男性」は大規模なビジネスで金を集め、さらに自分たちが儲けるためのビジネスを作り出すサイクルで豊かになってきました。イギリスでも、フランスでも、ドイツでも、アメリカでも、主役は富裕層の白人男性です。
豊かである代わりに、階層化され分断され続けてきた社会の中で、金持ちの白人は一方的に悪者にされる存在でした。昔のハリウッド映画の悪役が陰謀をめぐらす金持ちばかりだったように。
ある頃から、過去に救われなかった女性や異人種、貧困層を守り手助けすることが正義である、人々を貧困に追いやったり、犯罪に走らせる社会の構造が悪である、ということになってきました。これまで不遇を強いられてきた人々には、優遇策を講じて優先的な権利を与えるのが正しい、とされました。
そのことの功績は小さくはありません。いくつもの謂れなき不平等が解決したからです。
ではポリコレは皆を救って世界を平和にするのかというと、まったくそんなことはありません。ポリコレは「正しい表現」「救われるべき人」を恣意的に決めてしまい、これまでと違う差別の線引きをしました。
過去に同性愛者や無性愛者を異常だとして治療や断種していた事はご存知と思います。これらの人々は救済されましたが、小児性愛者や無機物性愛者は今でも異常者として救済の対象にはなっていません。何なら去勢や断種を望む声もなくなりません。

さて、ポリコレで本当に救われるのは誰でしょうか。
誰かを特別優遇するわけではありません。黒人やアジア人が活躍しているのはポリコレではなくそれぞれの人々の努力によるものです。
LGBTへの理解も多少は進みましたが、何か新たな権利を得たわけではありません。
にも関わらず、ポリコレによって地位が向上している人たちがいます。
それが「ポリコレを推進する人々」です。

わかりますか?

ポリティカル・コレクトネスにおいて「ポリコレを推進する人々」は絶対的に正しいのです。

そして「ポリコレを推進する人々」の中心的存在となったのは富裕層の白人男性でした。

これは金持ち白人が自分たちの為に新たな差別制度を作っているとかいう陰謀論ではありません。
政治的に正しい社会を作ろうとしたら金がかかるので、金を集めないといけない。そうすると金持ちに頼らざるを得ない。結果として金持ち白人ばかりが「正しい側」に位置してしまい、発言権が偏ってしまった、というお話です。

次に「ポリコレが衰退する」件について。

これはポリコレ的活動やコンテンツに出資することで発言力を維持した金持ち白人男が「俺たちが金出してるんだし、俺たちが好きにしていいよね」と人材やコンテンツを取捨選択し始めたことで起きています。
それはそうですよね。
金を出したんだから口出ししたくもなりますとも。

もう一つ理由があります。
金持ちしか金を出さないため、商売が成り立たないことです。
日々をギリギリの収入で暮らす庶民階級はポリコレで一切守ってもらえません。
それどころか「政治的に正しくない古い思想の持ち主」にカテゴライズされてしまいます。

たとえばテレビを造る工場で働くアフリカ系アメリカ人男性がいるとします。彼が働く工場は親会社の倒産によって閉鎖になりました。なぜかと言うと、日本や中国で造られるテレビの売れ行きに押されてアメリカ製のテレビが売れなくなったからです。彼は仕事を探す傍ら、毎晩地元の酒場でアジア人に対する悪口を元同僚と語り合っています。
彼はアジア人を差別しているので、政治的に正しくありません。職を奪われた貧乏な黒人であるにもかかわらず、恵まれた者たちによる価値基準で「悪い」とされてしまうのです。
さらにこの黒人男性が貧しさに苦しむあまり近所のドラッグストアに強盗に入ったとします。地元警察の警察官(白人男性)が出動し、彼を逮捕しようとしました。ところが黒人男性が銃を発砲してきたため、白人警察官は応戦、黒人男性を射殺しました。
この白人警察官は差別主義者と罵倒され、テレビで自宅住所まで報道されてしまいます。
白人警察官は差別主義者ということになるので救われません。ところが富裕層の白人男性であったらどうでしょう? 富裕層ならそもそも警察官になりません。人種問題の最前線に立つ必要すらないのです。
そんな、差別構造ありきの思想に、庶民階級が金を出すメリットがあるのでしょうか?

ということで、初めはポリコレを遵守していた企業経営者も、顧客である庶民が買ってくれない商品(ポリコレ染めサービス)を売ることにメリットを見い出せず、撤退し始めているわけです。

さてさて、我々日本人(この言葉、昔英語の教科書に、外国人差別であり『日本人の悪い習慣』だと書いてありました)が、この「欧米発のルールであり」「新たな差別を生み出す」「富裕層の白人がさりげなく優遇される」ポリティカル・コレクトネスに金を出す義理があるでしょうか?

本日は以上です。

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