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ニュースなんか見なくていい

という煽りタイトルをつけてみたぞ諸君、私がバーチャルダークヒーロー・ヤタガラスだ。

今回ちょっと中の人がマズイことに遭遇したので、軽く考察してみる。ホントに軽くだよ!

発端

諸悪の根源はインターネットだ。

インターネット上でヒットしているサービスは人間の「7つの大罪」のいずれか一つを刺激する作りになっている

七つの大罪を全て揃えているからだ。

その中でも「憤怒」の象徴であるTwitterでは、まさに人々がその感情を大きな力に操られ、怒りに燃えて品性のかけらもない殴り合いを繰り広げている。往年の「2ちゃんねる」掲示板の方がはるかに平和なもんだった(ネット老人特有の懐古趣味)
でもって、Twitterを常時利用する、いわゆる「ツイ廃」になってしまうと、問題が多すぎて次から次へと我がことのように社会的トラブル、それに由来するソーシャル・グラップリングに直面する事態に陥ってしまう。
要はそこら辺のユーザー、友人の知人程度の人々が政治だの宗教だの性問題だのゲーハーだので誰かに殴られ吠えているのだ。
(この辺の意見は分かれる。ネットよりリアルの友達が多いしフォロワーは百人以下ですという人は、社会的トラブルを目にする機会がない)

今回はミャンマーの軍による市民虐殺のニュースに触れて起きた。
ある人が「何も出来ない自分にイライラする!」と興奮していたのだ。
私は「精神を病むから回線切って寝ろ」と咄嗟に忠告し、ふと(余計なお世話だったかも)と不安になって相手のプロフィールを確かめに行き、「鬱病」の文字を発見してしまった。
余計なお世話だが、その余計なお世話こそが必要なタイミングでもあったらしい。
とりあえず、何がいけないのかを説明せずに「回線切って寝ろ」もないなということで、その人にニュースの問題点について解説しつつ考えをまとめてみた。

ニュースの何が問題なのか

報道の多くが、事実を淡々と伝えるものではない。ニュースキャスターの口調だとか、新聞記事の文体は穏やかなものだから、多くの人が気づかずに秘められた記者の感情を受け入れてしまっている。
余談だが、こういう時に国語が得意な発達障害者(ニュアンスを謎の霊感で掴むADHDとか、言葉じりをとらえるのが得意なASDとか)は記者が隠したつもりの感情を読み取って「あ〜、そうね、うんうん」みたいな表情をしたりするので、定型発達者からは中二病扱いされやすい。
秘められた感情というのが何かというと、別に世界で起きている悲劇に対する庶民の怒り、とかそういうのではない。
例えば殺人事件を報道するとしたら、その事件のどの部分を読み手に強く伝えたいか、ということだ。
・犯行の残忍さや特殊性
・動機の不純さ(または動機の正当性)
・犯行後の犯人の態度
・周辺住民の反応など
などが多く見られる。また、
・事件に対する官憲の不誠実
というパターンもある。
いずれも、文章の中でそれとなく強調する言葉づかいをしているから、興味があったら国語が得意な人に聞いてみるといい。

でまた話が逸れそうになったが、とにかくニュースというのは、伝え方からして心穏やかなものではない。
伝え方も感情的ならば、素材選びも刺激の強いものを優先して選んでいる。
すなわち、「金!暴力!SEX!」だ
……ふざけてると思った? 残念! 本当で〜〜す!!
スポーツニュースにヨガの健康法は載らないよね? 勝ち負けのある競技だけだ。「交流戦」は真ん中に載っても許されるけど「交流会」は隅っこに小さく、辛うじて掲載を許される。
新型コロナウィルスに関してはどうだ? 感染予防の方法は最初だけ、あとは何人死んだ! 何県でクラスターが発生した! どんな店が潰れた! ばっかりだ。
芸能人の不倫のどこがニュースだ? 熱愛報道って何だ? セックスしたら写真撮られる社会っておかしくないか? でもそれが金になる。
報道というのは商売です。金儲けの手段です。だから売れるニュースを見つけてきて扇情的な記事に仕上げで売らないと、記者はゼニが尽きて死んでしまいます。
でもニュースが飯のタネになる以上、競走になるのは仕方ないし、ある程度の報道倫理があるのなら、それを犯していなければ罪にはならない。

どうやって身を守るか

ニュースが「金!暴力!SEX!」で読者・視聴者を揺さぶってくることはもうわかった。
ならば、それに耐えられる「受け取り方」をするしかない。
精神力があるなら、それこそ全部真に受けて真剣にニュースを見たらいい。
ちょっとした事で怯えたり怒ったりする人は、ニュースを「これは全部情報弱者に対する扇動だ。騙されてなるものか」と思いながら見るといいかもしれない。いっそ見ない方が健康的だが。
自分がどちらかわからない人は、怒りやすい人のパターンで動く方が安全だ。
また「感情を揺さぶられる」のにも少なくとも二つはある。
ひとつは「何いってんだ、その解釈はおかしいだろう」と思えるような報道内容。
もうひとつは「うんうんそうだそうだ、この問題は何とかしないと」という、同意(賛意)がわきあがってくる報道内容。
怖いのは後者だ。報道(扇動)側の思惑に完全に乗せられているからだ。

あなたを賛同者に仕立てあげるために報道は何をしでかすだろうか?
「正しいこと」をいい「正しいもの」を見せるのだ。自分(または支持するもの)が100パーセントの善意から、あなたに正しくてキレイで好ましいものを差し出している、とアピールするのだ。
そしてそれらはあなたの倫理観と不思議に一致し、あなたは心の奥から安心感を覚える。
彼らについて行けば、あなたは正しい道を進むことができるだろう。
うすうす察しているだろうが、これらはカルト教団やマルチ商法の洗脳における常套手段を「弱毒化」したものにすぎない。
どうか現代の、令和の世の中でそんなものに乗せられ、踊らされないでほしい。

まとめ

・悲しいニュースを見て悲しんだり、怒りに燃える人がいる。精神の負担になるので見るのをやめた方がいい。
・それはニュースというものが本来受け手の感情を操るようにつくられているから。人間の欲望に直接訴える要素満載だから。
・受け手はそれらをわかった上で視聴しなければならない。騙されない意志を持って。特に誰が見ても納得のいく正しいことをいい始めたら怪しい。それはカルトの洗脳と同じだから。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
どうか平穏な日々を過ごしてください。

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