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短編小説 雨とシイの木

海が小学校の校舎を出ようとした途端に土砂降りとなった。
傘を持っていなかったので、しばらくその場で雨宿りをしていた。
ふと、横を見ると、同級生で違うクラスの荻野つばさも困ったように、空を見ていた。
雨は一向に止まなかった。
激しい雷が鳴った。
思わず、二人で顔を見合わせてしまう。
「雨、止まないね」
「うん」
海はひさしぶりだね、と言いかけて、はっとした。
つばさは自分と話すのは嫌かもしれないと思ったのだ。
「私、帰るね、じゃあ」と言って、海は雨の中に入った。
大粒の雨が容赦なく降る。
坂道を登っていると、後ろから、おーい、と聞こえてくる。
振り返ると、つばさだった。
つばさはバッグの中からタオルを出し、海に渡した。
海はつばさに聞こえるように、ありがとう、と少し声を張り上げた。
二人とも、雨を防ぐように、頭の上にタオルをのせた。
雷が鳴るたびに、ぎゃあ、と声を出し、笑いながら走って坂を登った。

次の日の朝、海が目を覚ますと、ラジオから音楽が聞こえた。夜から付けっぱなしだったのだ。
陽の光がカーテンを透かし、海を包んでいた。
起き上がって、身支度を整えると朝ごはん作りに取りかかることにした。
土曜日の朝ごはんは海の担当だ。
パンをトースターで焼いていると、母親のえみ子が起きてきて、いい匂い、お腹すいた、と言った。
海は三人分の朝ごはんをテーブルの上に並べ、まだまだ席に着くのに時間がかかりそうな両親を待たずに、食べ始めた。
その日の午後に海は洗濯したタオルを紙袋に入れて、つばさの家まで返しに行った。
呼び鈴を鳴らすと、すぐにつばさが出てきた。
「わざわざ、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。助かったよ」
「今日は、昨日の土砂降りが嘘みたいに晴れたね」
「うん、本当にね」
海とつばさは笑い合った。
「じゃあ、またね」
「うん、またね」

タオルがきっかけで学校の帰り道に海とつばさはよく話すようになった。
宿題の分からないところやアニメや漫画のことや、もうすぐある運動会のリレーが憂うつなことなど、色んなことを話した。
二人が一緒に帰っているところを見て、同級生たちはひやかし始めた。
海はつん、としてそれを無視し、つばさは困ったようにしていた。
海は内心、ひやかされるのが嫌で嫌でたまらなかった。

学校のない週末。海はつばさに誘われて、シイの大木の診断についていくことになった。
「ここに来たことある?」とつばさが海に尋ねる。
「ううん、はじめて」
つばさの母親の南さんと同僚の水川さんは、大きなリュックを背負い、はしごと診断機器を持ちながら歩いている。
四人は鳥居をくぐり、神社の境内に向かって歩いていた。寂れた神社は街のはずれにあり、ここまで、南さんの車でやってきた。
石段を踏みながら、海は木々の緑に包まれた。
なんて気持ちのよいところなんだろう。
境内に入ると、左手に大きな木があった。
幹が何本にも分かれ、空に向かって高く枝が伸びていた。
その迫力に海は驚いた。
「この木を診断するの?」
「このシイの木を今から診るの」と南さんが言う。
「樹齢は三百年だよ」と水川さん。
「三百年!」と海はまた驚いた。
「三百年前って江戸時代だよね」
南さんと水川さんがシイの木を診断するための用意を始めた。

海は、作業をする南さんと水川さんから少し離れて、シイの木全体が見える場所につばさと一緒に移動した。
三百年ここで生きている、巨大なシイの木を見る。足元は古い石畳になっている。
そよ風が通り過ぎる。
海はここがどこか分からなくなった。
三百年前。二百年前。百年前。誰かがここで、この木を見ていたかもしれない。
過去と現在の時間が混じり合っているような、不思議な時間。
海がぼうっとしているのを見かねて、つばさが海の顔の前で手を振った。
「大丈夫?」
「う、うん。シイの木に圧倒されてさ」
「うん、大きいよね」
「すごいよね、南さんと水川さん、こんな大きな木を診断しちゃうなんて」
「虫がいないかとか、木が腐ってないかとかチェックしているんだ」
「そっか・・・ずっとこのシイの木に、ここにいてほしいね」
「うん」
海とつばさはまたシイの木を見た。
南さんと水川さんの作業は時間がかかりそうだったので、二人は境内を散歩することにした。
「いつから木が好きなの?」
「小さい頃から。木を触ると心が落ち着くんだ」
「そうなんだ。私もあのシイの木に触ってみたいけど、いいかな?」
「いいんじゃない」
そんなことを話しながら、二人はゆっくりと歩いた。
「木とか、植物って何を感じてるんだろうね?」
「やっぱり、風が来たとか、痛いとか、感じてるんじゃないかなあ」
「そっか。でも、木は痛くてもどこにも行けないね」
つばさは海を不思議そうに見た。
「そうだよなあ、三百年もここにいるなんてすごいよな。雨も風も、ここに来た色んな人たちも全部見てきてるんだ」とつばさは言った。

二人は石段の上に座った。
今が何時なのか分からない。
木々がざわめいている。
二人は黙ったまま座っていた。
そうしていると、終わったよ、という南さんの声が聞こえた。
二人は立ち上がり、シイの木の所まで移動した。
南さんと水川さんはペットボトルの水を飲んでいた。
「せっかくだし、写真でも撮ろうか」と南さんが言った。
リュックからスマートフォンを取り出して、南さんはシイの木の前に立つ海とつばさの写真を撮った。
写真を撮り終えると、南さんと水川さんは荷物を抱えて、境内から出て行ってしまった。
海はそっとシイの木に触ってみた。
この木は生きているんだ、とはっきりと分かった。
つばさもシイの木に手を置いた。
海は木に耳も当ててみた。帰るよ、という声が遠くから聞こえる。
「はーい」と二人は答えた。
海は学校でひやかされることなんてどうでもよくなってしまった。
明日もまたつばさに会えたらいいな、と思って、海は元気よく歩いた。


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