見出し画像

ひとつの中にふたつある

先日、アーティゾン美術館に行ってきた。
「ブランクーシ 本質を象る」

ルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)
《接吻》

男女がひっついてひとつになっている彫刻
男女が愛し合っているように見えるこの作品

作る時には、ひとつの塊の石から二人を彫り出している。
ふたりがひとつになったのではなくて、
ひとつのものからふたつのものを見出したと考えた時、
ふと、ひとりの人間の中の男性性と女性性が思い浮かんだ。

自分とは何者かのか考えてもキリがない。
自分はこういう人だと思った途端に、そうではない自分も見えてきて
どれもあるとも思えるし、どれも自分を語るには足りないとも言える。

本当の自分というのはもっと複雑で、色々な側面が入れ替わりながら
いつも変わっているのがきっと本当の姿。

自分の中の男性性と女性性どっちが多いからという事でもなく、
どっちもあって、時には融合しているのが自分。

男性性=左脳的(論理的、説明的)
女性性=右脳的(感覚的、情緒的)
と考えてみると、ふたつがこうして融合してみれば
何とも魅力的なことではないかとこの彫刻を見ながら感じた。

もっと抽象度を上げて考えてみると
自分の中にある相反する部分

保守↔︎革新
能動↔︎受動
創造↔︎模範
柔軟↔︎強硬
一般↔︎特殊
親切↔︎冷淡
拡大↔︎縮小
理論↔︎実践
生産↔︎消費
自然↔︎人工
絶対↔︎相対
具体↔︎抽象

どっちが自分だとも言い切れなくて、ケースバイケースである。
色々な相反するものがこの自分という容れ物の中にいる。

ぎゅっと抱き合って離れないこの作品を見ていると
愛らしさだけでなく、大丈夫、どっちもあるから
と言われているようで安心する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?