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お金はジョーカーのようなもの?

お金や経済の話 第二回

 今回は、引き続き「お金ってなに?」に
ついて、もう少しだけ考えてみます。

 お金が手元にたくさんあれば、
嬉しかったりします。そして、より多くの
お金を求めたりもします。
 だけど、「さいこうのおかねもち」で
示しましたが、それはお金として機能する
限りにおいて、です。極論すれば、お金は
お金じゃなくなれば、ただのガラクタです。
 つまりお金は、最終的には使われるもの、
何かと交換されるものです。このことを
『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』
という本で、岩井克人さんは、ババ抜きの
ババに譬えてました。

 このことに関しては私も全く同意見で、
もう「この本読んで」で終わらせるのも
ありなのですが、折角なので、もう一つの
お話とくっつけてみます。
 それは、流通している時のお金は、
「何にでも化けられる(交換できる)」
ということで、ポーカーのジョーカーに
譬えることもできるのでは、というもの
です。

 ジョーカーありのポーカーには、
ファイブカードというのがありますが、
これは変だと思ったことがある方も
いるのではないでしょうか? それは、
ジョーカーがやっているのは、その名の
通り「騙り」、その場にないカードの
振りをしている、というもののはずだ、
ということです。
 例えば、スペードのAとジョーカーの
ワンペアなら、ジョーカーはスペードのA
以外のAの振りをしているのです。
 だけど、ファイブカードの状況では、
本物が四枚ともその場にあります。
ということは、この場合のジョーカーは、
四枚あるそのカード以外を騙るしかない
はずなのです。

 でも、ヒトはなんとなく、それがありだ
という気がしてしまいます。それはつまり、
その場に揃った四枚以外にも、まだ他に
同じカードがあるように思えてしまう、
ということです。

 お金の場合でも、これと似たようなことが
起こっていると思われます。たとえこの世の
全てを買い取ったとしても、お金がまだ
残っていたら、他にも買える何かが
あるように思えてしまう。あるいは、
欲しいものは全て揃っているとしても、
まだ他にも欲しい何かがあるように
思えてしまう。

 お金は、何にでも交換できる、お金が
ある限りは困らないという「安心」を
生みます。
 また、交換できるという事実と、
実際以上にものがあるように思わせることに
よって、流通しているお金は「信用」を
得ます。
 同時に、まだ他にもあるように思えて
しまうことによって、お金は、
「不満(満たされない思い)」や「欲望」も
生み出します。

 どうも、お金というものには、そういう
性質があるように思われますよ、という
お話でした。

 お金や不満や欲望に振り回されて、
それを何とかしたいと思う時には、
「今の自分の不満や欲望は、お金によって
つくりだされたものなのではないか?」
とか考えてみると、少しは距離をおける
こともあるかもしれません。

主な参考文献

『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』
丸山俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班著
東洋経済新報社 2020

 さて、お金そのものについてのお話は
これくらいにして、次からは
「お金や経済の話」の経済の方をやって
見ようと思います。
 まあ、次回は、歴史シリーズの方の番で、
「言い方に配慮しない日本史・中世編」
のようなものをやる予定です。

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