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qutakuta
プレゼントを素直に喜べない
私はプレゼントという名前がでたら構えてしまう人間である。
あげる側だとなんの問題はない。
問題は、もらう側に立ってしまった時である。
友達なり先輩なり後輩なり、人様が私にプレゼントをくれるというのは大変喜ばしいことである。その好意は素直に嬉しい。
だが問題は、その内容物である。
食べ物のような消費できる物ならまだしも、ちょっとしたインテリアや本などといった、下手に扱わなければ恒久的に残る物となれば話は別だ。
私は特段キレイ好きではないし、ミニマリストでもない。
しかし自分の部屋にこだわりはある。
自分の部屋に置いておく本は、また読み返したいなと思う本でありたい。友人がどれを手に取ってもおすすめできる本がいい。
服はどれを着ても愛着のあるものがいいし、落ち着いた色の家具で統一したい。
だがそこに、あまりに自分の趣向とかけ離れた物を送り込まれた暁には、頭を散々に悩ませてしまうだろう。
自分のことながら、小さい人間だなと思う。
ここで割り切ってる人間なら、こっそり売りに出したり、人に譲ったり、処分したりするのだろうが、私の場合は頭の中の天使が、「自分のことを考えて用意してくれた物なのに手放すのはいかがなものか。」、「送り主の思いをみすみす無下にすることになるだろう。」とおせっかいを焼いてくるのである。そんなこと思ってる保証なんてどこにもないのに。
結局いただいた物を処分することもできず、それが自分の部屋の一部分になっていく。
そんな中途半端な自分が嫌いではないというのもまた事実なのだが。
そうして当初の想定とは外れたアクセントを加えられた部屋の中で、また誰かへのプレゼントを考えるのである。
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