僕の覚悟
僕は父にこういわれた「みんなと違うことをしていきなさい。」
「そのために今を使ってスキルをつけて」僕は今中二だ。
僕の父はとてもすごい人だ大学は青山学院大学で仕事もうまくやっていて
今はシンガポールで生活をしている。そして夏休みはお父さんにインドネシアやシンガポール、マレーシアとかに連れてってもらった。父は短気だが優しいし、一緒にいてとても面白い。
それに代わって僕は勉強も結構しているほうだけどテストは平均くらいで運動もできない、何もできない。
でも父は僕が中学生になってから半年に一回くらいはこう言う「みんなと違うことをしていきなさい」そして「いっぱい稼いで俺を楽にしてくれ。」
と言う。
最初に父はシンガポールにいるといったが、僕が5年生の時に行く予定だった。 しかし、コロナのせいにするのも恥ずかしいがコロナとかの色々なへりくつをつけていかなかった。僕はそれを今も後悔している。そして最後の誘いの中二の二学期からシンガポールに行かないかとみんなに誘われている僕は正直悩んだ。「昔後悔したから」「行ったら帰国子女になれるし」みたいな考えもあったでも正直本当に悩んだ。僕は部活絵の愛が強くて副部長をやっていて「絶対に最後の試合に勝ちたい」という思いがあるのと一番は学校の友達との関係だと思う。僕の中学はひと学年90人しかいなくて、60人はほかの小学校から来た子で1年ちょっと関係を作ってきたのに「今からが一番楽しい時期なのに、、、」という感情があったからだと思う。「父はみんなと違うこと」と言っていたから僕はシンガポールに行った方がよかったのかもしれない。
僕は昔から勉強の環境は良くてkumonに幼稚園の年長くらいから通っていたそこから僕は4年生の時に勝手にやめた。父はその時からシンガポールにいたのでテレビ電話で話したらがっかりしていた。そして6年から本格的にもう一回塾には行ったでも2年の夏休みをもって勝手にやめた。これもまた電話で言ったらすごいがっかりしていた。すべて自分が悪い。とも思いながらもなんで僕は、「お父さんと毎日会えないの、しゃべれないの。なんで僕だけ、、悲しくなった。」中二の頃に辞めた塾の時の電話はいろいろ責められた。僕はいろいろな感情が芽生えて、涙が止まらなかった。
でも父にはいろいろなことは思うけれど、案外一年に数回は会えている僕はとてもうれしい父と会えることが。
そして僕に投資をしてくれる「人と違うことをしていきなさい」この言葉とおり、いろんなところに連れっててもらえたし、ブログとかいろいろ学びたいって言ったらパソコンも買ってくれた。
だから僕は決めたお父さんの投資を二倍、三倍、10,100と行くくらいの金額を稼ぐ100倍の経験をさせることを僕の夢としている。
僕は経営者になることが夢だ。でも借金を借りることにもなるのかもしれない。僕はお金を返すという面では融資なのかもしれない。でもそこから2倍三倍の経験をさせたい
絶対に父には損しない人生を送らさせるために
僕は起業する。そして絶対に親孝行をする。