河合理門

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河合理門

書評 国内外の文学作品をあつかって、批評します。堅苦しい文章しか書けませんが、コメントやいいねなど励みになります。どうかよろしく

最近の記事

書評/『東京都同情塔』九段理江(第170回芥川賞受賞作)

作中の言葉を使わせていただくなら、まさに「まだ起こっていない未来を、実際に見ているかのように幻視する」、そんな小説だった。 「言葉は無限に出てくる。けれど言葉の出所を辿れない。……でなければならない。……べきだ。それらの言葉は、牧名沙羅の外部が、牧名沙羅に言わせようとしてくる言葉なのではないか?牧名沙羅の外部の言葉と、牧名沙羅の内部の言葉の、境界はどこだ?」(p35)  生成A Iの台頭、「加害者」の潜在的な被害者性、コンプライアンスへの過剰な配慮。143ページの中編小説

    • 書評/『掏摸(スリ)』・『王国』 中村文則

      書評/『掏摸(スリ)』・『王国』中村文則  二作同時に書評を書くことにしたのは、『掏摸(スリ)』があまりに刺さりすぎてしまい、ほとんど間を開けずに兄妹篇である『王国』を買って、それもまたすぐに読み終えてしまったからだ。  『掏摸(スリ)』は2010年に大江健三郎賞を受賞し、各国で翻訳もされて作者の世界的な知名度へとつながった出世作でもある。今まで、どうして自分がこの小説に触れることがなかったのかと、驚かざるをえない作品だった。 1 「自分が人混みに消えて通り抜ける時、

      • 書評/『オールド・テロリスト』村上龍

        「老いは絶対的な事実で、あきらめと自己嫌悪と怒りを生む。あきらめは老人をたとえば趣味に向かわせ、自己嫌悪は疾病や隠遁に向かうのだろう。年老いて、あきらめと自己嫌悪から逃れるためには、怒りを活用するしかないのかも知れない。」(p429)  構図としては、妻と娘に我が元を去られて鬱病になったジャーナリスト・セキグチが、若者を操ってテロを引き起こす老人集団・キニシスギオへと接近していく、というものだった。  村上龍の作品の中では「構築系」にあたる作品ではないか、と最初は考えた。

        • 書評/『人類の深奥に秘められた記憶』

          激情と冷徹のあいだで巧みにバランスを取る作家、という輪郭が、より鮮明になった作品だ。 本書以外で唯一邦訳の出ている『純粋な人間たち』を読んだときにも、明晰な〈眼〉と恐れを知らない〈声〉に驚かされたが、主題が〈文学〉そのものにシフトされた分、より作者の資質が直截に伝わる小説だった。資質、というより、執念といった方が近いかもしれない。 「おまえ自身の伝統を作り出せ、おまえの文学史を創設しろ、おまえに固有の形式を発見しろ、それをおまえのいる空間で試してみろ、おまえの深い想像力を

        書評/『東京都同情塔』九段理江(第170回芥川賞受賞作)