書評/『人類の深奥に秘められた記憶』

激情と冷徹のあいだで巧みにバランスを取る作家、という輪郭が、より鮮明になった作品だ。

本書以外で唯一邦訳の出ている『純粋な人間たち』を読んだときにも、明晰な〈眼〉と恐れを知らない〈声〉に驚かされたが、主題が〈文学〉そのものにシフトされた分、より作者の資質が直截に伝わる小説だった。資質、というより、執念といった方が近いかもしれない。

「おまえ自身の伝統を作り出せ、おまえの文学史を創設しろ、おまえに固有の形式を発見しろ、それをおまえのいる空間で試してみろ、おまえの深い想像力を肥沃にしろ、おまえ自身の土地を持て。なぜならおまえ自身にとっても、他人から見ても、おまえが存在できる場所はそこにしかないのだから。」(p425)

〈文学〉が否応なく直面するシミュラークル、幻想が反射し続けるような構造を、この作品は丸ごと呑み込んでいる。
それはT.C.エリマンという作家の根源を探ろうと奔走する主人公の姿に、『人でなしの迷宮』とその作者のあり方に、そしてエリマン-主人公-作者が共通して持つ〈状況〉に見出される構造だ。
つまり、限りなく近づけるが手に入れることはできない、という構造。セネガル人でありながらフランス語で書く作家が、この作品でフランス最高の文学賞を受けたことには、アイロニーとともに大きな意味を感じざるをえなかった。けれど同時に、その意味さえ吹き飛ばしてしまうような強さを持った作品だと思った。
あらためて、とてつもない作家だと感じる。

〈おまえ自身の土地〉、そしてそこから生まれる文学への欲求をあらわにしたことは、作者にとってのハードルにもなるだろう。迎合でもなく回帰でもない、という作品を望むのは、しかしモアメド・ムブガル・サールに対しては求めすぎではない。

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