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リンクスランドをめぐる冒険 Vol.59 重なる奇妙な偶然 Part.2


前回のあらすじ
遡ること約20年。最初にセント・アンドリュースへ行った時のこと。キャディマスターへのインタビューを申し込んだら、その相手は意外にも「19番ホールで軽く飲やればいつも心はあたたまる」の著者、リチャード・マッケンジー氏だった…。

マッケンジー氏の奇妙だけれど幸福な偶然

マッケンジー氏がキャディを始めたのはオーストラリアを旅行していた時。
キャディをしていた友人が、都合上キャディを続けられなくなったため、その代役を務めたのがきっかけ。
その後、セント・アンドリュースでキャディの仕事を始めるとすぐに頭角を現し、ヨーロッパツアーや全英オープン、USオープンなどでプロに帯同、1992年にセント・アンドリュースへ戻り、キャディマスターに就任した。

と、ここまでは通り一遍の回答。
彼はそれから「面白い話があるんだ」と続けた。

オーストラリアではキャディの仕事で長く滞在していた。
ある時、TVを見ていたらかなり有名なロックバンドが映っていて、偶然、そのバンドのスタッフに兄が映ったという。
「じつは、兄とは小さい頃、生き別れになっていたんだ。その兄がTVに映ったんだよ!すぐにTV局に電話をして、兄と再開することができたんだ!」
マッケンジー氏はフラワー・チルドレン世代(日本で言うところの団塊の世代)らしく、若い時から世界各地を放浪していた。
たぶん、兄も同じような行動をしていたのだろう。
そして、偶然にも広い世界の中で、兄と出会う。
「もし、オーストラリアでキャディの仕事をしていなかったら、兄と出会わなかったかもしれない。だから、キャディって仕事は天が私に与えてくれた仕事だと思うようになったんだ」

マッケンジー氏がキャディを続けた理由、それは単純にキャディの仕事が面白かった、というだけではなかった。
もっと精神に根深いところで、この仕事を続けられる固い信念があった。
「ゴルフは、いつだって神秘的なんだ」
彼は、それまで絶やさなかった紳士的な笑顔から、神妙な顔つきになって私に言った。

この辺りから、通訳をあまり介さず話を進めていたら、通訳の女性の片方の眉がピクリと上がった。

私は構わず話を続け、インタビューを終えた後、1冊のハードカバーを取り出した。
「19番ホールで軽く飲やればいつも心はあたたまる」と日本語タイトルが書かれた、彼の著書だ。

そこは男同士の秘密基地

今、思うとインタビューする相手がマッケンジー氏とは限らない(むしろ彼とはまったく予測していなかった)状況で、なぜこの本を持っていったのか、まったく分からない。
長い取材では本を読むこともあるが、持っていくのはせいぜい、文庫本だ。

その時、彼はとても驚いたので、私も釣られて驚いてしまった。
「これ、日本語版か?」
「え?…ええ、そうですが…もしかして、日本語版が出ていること、ご存じなかったのですか?」
私は彼に本を手渡した。
「うん…」
彼は本を受け取ると私の顔も見ずにページをめくり、奥付をじっくり眺め、本を裏返しにしていた。
「良かったら受け取ってください」
「え?いいの!?」
私が言うと、彼は玩具を貰った男の子のような驚きと喜びの声を上げた。
たぶん、版元との出版契約に日本語版の出版は含まれていなかったのかもしれない。私の本によって版元から印税をふんだくれるのなら、いくらでも活用して欲しい、と思った。
この本の感想や、本の内容を話し始めるうちから通訳をまったく介さなくなった。もうインタビューの内容とは無関係だからいいだろう、と思っていたら、
「おお、そうだ。俺たちのキャディの部屋を見るか?」
と彼が言ったので「ぜひ!」と私がいった時、通訳の眉は両方とも吊り上がった。
もちろん、彼と私は無視してキャディマスター棟にある待機室に向かった。

その部屋は、私が高校時代に所属していた剣道部の部室よりも乱雑だった。
ゴルフシューズだのウェアだのが脱ぎっぱなしになっているし、掃除なんかいつしたのか分からないくらい散らかっていた。

それが、妙に懐かしく感じた。
そーだよなー、男同士の部屋なんてこんなもんだったよな…

その部屋に、彼は堂々と私を入れてくれた。
「この部屋に日本人が入ったのはお前が最初だぜ?」
と言って。

それから、待機室に戻ってきたキャディたちと気軽に挨拶したり、歴代のキャディマスターの写真を見せてくれたり(初代はもちろん、オールド・トム・モリスだ)、彼がキャディ同士のゴルフ大会で優勝した時の記念写真などを見せてくれた。
彼はともかく、私はとても楽しい時間を過ごした。

そして最後、私はまっさらなメモ帳を取り出し、彼にサインをお願いした。

それが、Vol.58の冒頭の画像だ。

現在、古いキャディマスター棟は取り壊されて新しいキャディパビリオンができている。
だから私が、セント・アンドリュースの古いキャディ待機室に入った、唯一の日本人(たぶん。私の後に誰も入っていなければ)だ。

いや、だからってなんだ、という話なのだけれど。

なお、日本では「19番ホール」というと、かなり下品なイメージ(とくに壮年以上は)があるが、本来は18番ホール終了後、パブなどでその日のゲームを語り合うことを言う。

Play Will Continue!






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